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攻誠の故植田先生は、そのお名前が誠史先生である通り、生き方に裏表のない方でした。というより、表裏一体で、自由を重んずるスポーツチャンバラと形式を重んずる居合道をこよなく愛され、誠の強さを追求されておられました。このブログでもいくつかその例を挙げたことがあります。おもしろさと厳格さ、素直さと用心深さ、ええかげんさと生真面目さ、強さと弱さ、曖昧と律儀が相まって、両立されてる方で、ある人は、植田先生を褒め、ある人はけなし、表裏一体なのに多面体な先生でした、要するに掴みにくいお方でした。
道場旗できた
護誠の館長は、幼い頃から尊敬できない権威の上に立って物を言う人間が大嫌いで、そのせいなんだろな、ケンカ相手は、いつも年上の子や先輩、親も含んでまわりの大人、先生、近所のおっさんだったりしてました。もめながら考えていたことは、お前の親がウチの親より早く交尾しただけで偉そうにできる人間の気が知れないってこと。勿論、尊敬できる人物は、年齢の上下は小さな話しで、自分にないものを持ってる人ならば、それは先生です。スポチャンの世界は、自分も含めて先生がいっぱいいます。我が身は、先生と呼ばれることに甘んじてはならぬ、こんな体の壊れた自分に「先生」と呼んでくれる子供達を感心しながら、これに答えねばっと身を律しております。この子達の方がよっぽど先生なのにな~。さてさて、前に言いましたが、協会長が、「たかがチャンバラ」っと言われたときに自分には、その言葉に痛烈な権威に対する対抗心を感じたんですが、ちょっと違ってました。曖昧でいい、ええ加減でいい、という意味だったらしく、それは、尊敬できない権威の次に嫌いな言葉なんです。ならば同調はできない。つまらない前置きは、このくらいでいいや。
さてさて、護誠館のチャンバラポリシーは、何をおいても先ず楽しくあること、その次に強くなること、楽しくもないのに強くなるはずがない。楽しくなって、好きになって、強くなる。でも、上手くも強くもただの結果だ。そのことを表して、二匹の鷹がチャンバラしてます。なぜって?鷹がチャンバラで「たかがチャンバラ」なんです。シルエットにしてるのは、このチャンバラする鷹どもが、将来何に化けるか期待を込めてます。末は、鳳凰か、不死鳥か、子供達の将来が、楽しみだ!
そして護誠館の座右の銘「至誠通天」を謳い込んでいます。道場旗が出来た記念に、調子に乗って、ジャンバーも作ってみました。道場旗と同じデザインです。どうです、かっこいいでしょ。杭ノ瀬衆の中高生達がこれを着てくれるようです。
さあ、カッコばかり整ったって、意味はない、護誠館!
受打、じょ~じゅだな。
このところ、護誠は、受打をよく練習しています。先ずは、交互受打、それから百本受打、続いて高速受打、更には超高速受打。仕上げに集中十本受打。これを多いときは、五セットくらいやるかな~。反復練習は、この季節には、とってもつらい練習です。なので、門下が多いときは、交互受打にフリー受打、小手取り、アシ取り、面取り、アシ面取りと続きます。
実は、この受打練習、教わる門下より、指導する側が難しい練習方法なんです。無難にリズミカルに受けて打つような門下は、上手に見えるけど、これは、矯正せねばならない態度、同じく敵意むき出しで、たたき合う門下も矯正の対象。敢えて、「矯正」という言葉を使うのは、この練習方法で、叱責することが一番失敗なんです。怒られた門下は、無難にやろうとするので・・・。優先は、受ける方、打つのは二の次にしないと練習にならない。しかし、スポーツチャンバラだもの、打たないと始まらないはず、と思う門下の概念を受打の練習しながらゆっくり矯正する。これは、それほど時間がかからない。すぐに慣れてもらえる。やがては、反射的に一歩入って受けて、下がりながら打ち返すようになると対戦練習にも厚みが出てくる。つまり、受打練習がそこそこに慣れてくると、一歩踏み込んで、受けるようになってくるんです、届かないから。それがわかってもらえたくらいで初めて、護誠の館長は「しめた!」と呟きます。でも、ここまでがやっと準備体操終了くらいなんです。後は反復的に何度も何度も受打を練習して、双方上手くなってくれば、双方「打」が少なくなってきて、バトミントンとか、卓球の上手い人同士のラリーのように見て心地ようモノになってきます。
受打練習が、護身の精神と相まって、交渉時や、トラブルの時、相手の主張を一端は、受け入れて、自分の主張が効率良くできようになってくれればいいな~って思ってます。その意味でも護誠の練習では、受打を大切にしています。多分、ここに書いた説明だけでは実際よく解らないと思います。遠慮無くのぞきに来て下さい。見ればすぐにわかります。
どぉも~、いいえ、同門の話
昔も今もただチャンバラがやりたくて、十何年経ったて、その気持ちには、あまり変化がない。気持ちは変わってなくても環境も体も随分変わってしまった。気持ちの方もそれらと同時に変わっていかねばならなかったんだと思う。他人の情熱はうっとうしいだろうし、理解されない情熱は持ってて重たい。周囲と温度差を感じても、だからどうするべきか、よくかわからない。馴れ合うつもりもない。群れに交じって作り笑いしてれば気持ちも変ったことになるのかな?子どもの頃から群れるのは好きじゃなかった。まわりの大人から、「そんな態度は損するぞ」、「一人で耐えてたらお前いつか爆発するぞ」っていわれてたけど、オレ、群れないこと嫌いじゃないから、損した気にも爆発したいと思う気にもなった事もない。むしろ、群れる方が爆発したいこと一杯あったよ。勿論、過去には群れるだけの意味のある連中もいた。奴らとは、今も時々群れる。チャンバラでもそう。まだ体もバンバンに動いて、一緒に汗を流した同門とは、その温度差を感じない。多分、こいつ、オレと同じ温度なんだな。組織の力とか言うけど苦手。何もしないヤツが増えて、エライ人が増える組織が一番苦手、結局何の役にも立たない。オレの助けになるのは、同じ温度のあいつ、群れの方じゃねえ。オレと同じ温度のあいつを人は友達と言うのか。
あいつ、別に一緒にいる訳じゃない。気兼ねも気遣いもない。でも困ったときは頼りになるんだ。ついつい、声を掛けちまう。だから、声掛けられたときは、全力疾走で、あいつのところに行く。あいつのことを友達と思った事も、そう呼んだこともない。一番相応しい言葉が、「同門」。それが友達やンといわれるとそうかな、って思いながら、そんなに軽くねえって思うような存在。やっぱり持つべきものではある。同じ土俵で、同じつらさ味わって、同じ温度して、仲間とか、友達と違う奴ら。
もぅ一回だけ昔みたいに、ただひたぶるにエアー剣振り回して、笑いながら、勝ったの負けたのいいたい。
もぅ一回だけ昔みたいに、ただひたぶるにエアー剣振り回して、笑いながら、勝ったの負けたのいいたい。
スポチャン水滸伝
いよいよスポチャン水滸伝が始まる。元はといえば、ある大会の設営に京都の大学生チャンバラー達に多大なる協力をいただき、なんとしてもお返しをせねばと、護誠の館長は、壊れた頭で考えたわけでさぁ。メシを喰わしたところで、極々僅かな時間、奴らの胃袋の穴埋めをするだけだし、酒に至っては、こやつらを満足させたらこっちは破産する。そこまでの恩はない。そこで、護誠の館長は、スポチャンで得た恩は、スポチャンで返すことに決めた。但し、こちとら、確固たる左半身不随の障害者!他人のふんどし奪ってでも相撲を取る、いやぁ~ん。信条は、他力本願!これでこそ、立派な障害者、幼少から柔道を嗜んだ護誠の館長の得意技は、今も昔も「疲れたふり」と「丸投げ」さ。なんて立派な前置・・・。
この度、2016年8月7日に護誠の館長が声を掛けた道場の先生の元で懸命にスポチャンの練習に励む中高生チャンバラーに京都の仏教大学に集結いただき、大学生達と合同練習をすることにしました。その名前が「スポチャン水滸伝」、建前は、チャラチャラ、スポチャン練習と称して遊んでばかりいる大学生チャラチャラチャンバラーどもを、道場で必死に稽古する中高生チャンバラー達が成敗しに行く!っということになっている。
なので、京都に向かう車は、梁山泊号!これには、ヤトー館と刀流館、そして紀州護誠館がこれに乗って、京都に攻め込むストーリーになっている。
で、第一の本音は、大学という場所でスポーツにせよ、勉強にせよ、仲間達と集う大学生の楽しげな姿を、中高生チャンバラーに見せつけ、彼らの向上心を発火させること。第二の本音は、中高生チャンバラーの中には、小学校のランドセルを背負う前にエアー剣持たされ、チャンバラ練習してきた者もいる。まだ数ヶ月しか練習していない大学生のチャンバラ技術開発意欲に灯をともすこと、第三の本音は、次世代のスポーツチャンバラリーダー達のコミュニケーションをよくして、仲間意識にぼうぼうに炎をあげること! なので、練習あとのピザ交流会はめちゃめちゃ大事ないベント、護誠の館長は放火魔である。
さあ、年齢とは関係なく自分に持ってない技術を持ってるチャンバラーを心中で師と仰ぎ、自分に持ってないゆとりを持ってるチャンバラーを先輩と慕い、互いの良いものでしのぎを削って真剣勝負する、その名をスポチャン水滸伝という。
京都に攻め上る若武者達どもは、先ずは、我らが、紀州護誠館の弥次さんと喜多さん、続いてヤトー館の金角銀角、切り札の刀流館三銃士の合計七人の侍、頼みの柏原高校スポチャン部十三人の刺客は、大学の急な場所変更のため、援軍叶わず、迎え撃つ大学生チャンバラーは、京都見回組二十五人衆、いざ、尋常に勝負!
いざ、関西のスポチャン若武者ども、我ら、共に学ばん!
護誠の館長は、この企画の発起をもって、立命大学生チャンバラー植田杯の設営協力の恩返しとする。
高松の本部講習に行って参りました。
スポーツチャンバラの基本理念である自由と公平、そしてなにより安全について、認識を新たにしました。実は、和歌山で、スポチャンの道場を作った2012年から三度目の本部講習参加です。そのたびに基本理念の認識、特に安全については、各論や、形式論でなく、本筋を見極める必要性を大先生は、諸先生方にお問いになられます。
大先生は、おっしゃいます。「んな振り方がダメ、どこを握ったらダメ、というダメケースの話しじゃない、この間合いで、更に深々と突きをいれる選手が問題でもない、そこまで突かないと何の判定もしない審判がいるから、選手は、ダメな審判の判定を得るために、確実にあたる間合いで深々と突きを繰り出すんだ。選手のケガは、選手の未熟さだけが責められることでない。審判の未熟こそ、責められるべき事」、という話しに、護誠の館長は、認識を新たにしました。
とはいえ、審判として、寸止めの槍に一本を言い渡すには、相当な熟練の目が要ります。そもそも寸止めの穂先を目で追いかけると選手の手元で起こる反則に気がつかない。う~ん、大先生!槍の審判って本当に難しいな。一人では、長槍の審判はできないのかも・・・。副審というより、一人穂先を見て、二人は各選手の手元を見てないとちゃんとした審判ができないということなんでしょう。槍は、審判の連携もよくないとダメなんだな。寸止めの合議ってちゃんと再判定できるのかな。不安だらけの審判試験でしたが、大先生が本質の危険お話しをして下さった事と教材となってくださった先生方が熟練されていたおかげで、打突試験前に感じた不安は、その試験場には存在しませんでした。安心して試験を受けたので、合格です。でも、これが未熟な選手の試合で、審判して、うまくいくのだろうか。自分の判定に対する不安はどこまで行っても終わらないんだけど、安全に試合をさせる自信は揺るがない、近い間合いの投げ剣や、振り剣は、うちの門下では一人もさせない。護誠館杭ノ瀬衆では、異種の練習をしながら、相手の安全を常に意識する子に育てよう、今回の本部講習では、今まで以上にそう思う気持ちが強くなりました。有り難うございました。
えっ、鷹もチャンバラ? いいえ、たかがチャンバラ精神
和歌山県協会には、「たかがチャンバラ精神」という言葉があります。スポーツチャンバラ和歌山県協会現会長の福森高夫先生のお言葉です。実にいい言葉と思いませんか。勿論、テキトーでいいやン、ドウでもいいやンってことではないんです。先生方がたくさんいるスポーツチャンバラでは、先生、先生と呼ばれているうちになんだか権威意識が成長してしまって、首が下がらなくなってしまうことがあるんです。僕にも子供達から、或いは、他の道場の先生から「先生」と呼ばれているウチに、半身付随のセイでなく、「クッ、首がさがらん・・・」ということがあるんです。んで、自分が障害者だったと自覚する度に恥ずかしくなるんです。何がって?「先生」と呼ばれていることが・・・。思えば、はじめ、スポチャン道場を始めた頃は「おっチャン」でした。いつ頃かな?「先生」と呼ばれるようになったのは・・・。いや、先生と呼ばれることに慣れちゃったのかな?
「たかがチャンバラ精神」という言葉に、権威意識を強烈に引き締め、民主的、全体主義的な方向へ誘導しようとする強さを感じます。チャンバラを熱心に、命がけでやってる方こそ呟いて下さい。「たかがチャンバラ」っと。新しい自分が見えてくるかも知れません。
紀州護誠館は、この「たかがチャンバラ」を旗印にしたいと思います。前にも言いましたが、先ずは、生業と学業があって、親類友人地縁血縁のお付き合いを大切にしてのチャンバラ、もしどっちかを取らねばならなくなった時や、他のチャンバラーに「行け」だの、「来い」だの、「ダメ」だの言った時に呟いて下さい。「たかがチャンバラ」・・・ね、いい言葉でしょ!
さぁ、みんなが楽しめるチャンバラの協会作っちゃろ!
西ノ衆について
以前から岩出という場所でスポーツチャンバラやりたいなーって考えていましたが、座したまま事を起こさずの状態でした。何となく上部団体への気兼ねもあって、余計なことに手を付けまいと考えてましたが、ちょっとの間、首輪を抜いて自由に走り回れた時間があったので、その間に前から考えてた今吹衆岩出進行を開始しました。岩出のパワーを思う時、ここは植田誠史先生が探求された誠の強さ、勝ち負けに表現されない真の強さを求める道場にしたいと思いました。そして、岩出に拠点を持つことが出来たことを機にそれぞれの単体の道場であったものを紀州護誠館の道場としました。つまり、それぞれの衆はスタートもポリシーもまるで違いますが紀州護誠館始動はここからだと言えます。
風ノ今吹衆が学校の体育館、杭ノ瀬衆が学校の多目的室を貸してもらってることに対して、西ノ衆は、武道場なので、雰囲気がピリッとします。何が違うって言うことはないんですが、正面の神棚や壁に掛かった名札とか試合用のラインなんかが醸し出す日本武道の精神が、スポーツをする我々にも否が応でもピリピリ感を引き出してきます。ここで、しのぎを削って練習してきた若者の思いが残されているんでしょう。こんな環境で誠の強さを求めない手はない。ここの場所取りは、早い者勝ちで不安定ではありますが、ここを紹介してくれた岩出市さんには感謝です。まだ人は集まっていませんが、岩出中のもののふ(武士)たちがいらっしゃるのを座して待っています。勝つチャンバラにこだわる、ここはそんな道場でありたい。
杭ノ瀬衆について
護誠の館長は、まだ健常者だった頃、棒が好きで、「護身の武器と言えば「棒」である。」と持論を展開していました。実は、これ、ある棒の達人先生の受け売りです。護誠の館長、これでも大阪の大会で棒の部で準優勝したこともあるんです。小太刀を上手くなるためにちょっと回り道して、異種の勉強するのは大当たりだと思っています。なので、左半身が上手く使えない今の護誠の館長にとって、どうやって、異種の練習をしてもらおうか、頭を悩めています。嘗て護誠の館長がそうしたように異種がうまいと噂にある選手がいる道場に出稽古、異種を練習している道場に出稽古、ならば護誠の館長の役割は、ただ一つ、運転手だ!そうだ!杭ノ瀬衆には、運転のうまい館長がいるっと評判になってやる。現実問題として、棒を練習するには、もう一本んの棒と槍と盾がいる。予算が、かかり過ぎるな。短刀は短刀があれば練習できる。やっぱ、短刀をしよう。ん!実は、ここは、地域総合型クラブ傘下なので、用具の購入は容易いのか、っと思ってたら、全然お金がないんだって。結局、それはどこもおんなじさ!。もっと人が集まって、もっと賑やかになれば、用具も手に入るのかな。その間は、有る用具で練習しようっと。
杭ノ瀬衆のポリシーは異種の練習ができる道場、奇をてらうつもりは、全くありません。対人感覚や臨機応変さを身につけるため、あらゆる道具の本質を見抜いての使い方こなすテクニックを身につけるため、最終的には、どんな状況にあっても勝ちに行ける人間をを養成したいと思ってます。勿論、小太刀で勝つことが目標の一つ、異種にこだわりがあっても小太刀に始まって小太刀に終わる、ここはそんな道場でありたい。
風ノ今吹衆について
護誠の館長は、実は、家族から一度たたき出されたことがあって、もう関係を修復するのは、無理だなって思ってた時期があるんです。原因?、聞きますか、原因。 それはね、家より仕事に大きな責任感じてたからか~な。かっこつけても、なんちゃない、アホやったんです。ただ、離婚中も別れた妻は、子供達とスポーツチャンバラすることだけは、許してくれました。週に一度、決められた時間に子供たちを誘いに行って、決められた時間に連れて帰る。また来週なっと子供達に手を振る。そんな日々を続けてました。だんだん、離ればなれの子供達と同じスポーツをすることに喜びを感じて、勝った負けたじゃない、同じ空間で同じルールで同じ道具で同じ師に学ぶ、おれは何をしてたんだって反省しきりのスポーツチャンバラ、別れた奥さんが、こうなることをわかって、別れた旦那に子供とスポチャンさせたのなら、ヤツは、きっと女・諸葛亮孔明だったんだな。でも今は、僕の最愛の後妻さんにして、紀州護誠館 風ノ今吹衆の指導員さんです。
さて、そんなこんなで、紀州護誠館 今吹衆は、家族の絆がポリシーです。家族と一緒にスポーツを楽しむ。勝ち負けなんか関係ない。サバイバルで、娘がパパを必死に応援する、息子がオヤジに背中にこっそり近づいて、大笑いして、父親を切り捨てる、よその子に必死に技術指導するおとん、自分の旦那の身代わりかと思うくらい思い切りよその旦那に打ち込むおかん、今吹衆の練習風景は、芝生の公園の風景、家族が楽しければ、それでいい。パパが仕事で忙しかったら、よそのパパと楽しめばいい。道場の敷居をまたいだら、パパはみんなのパパ、だけどママは違うぞ!ここが世のことわりよ。パパ達は、獲物の狩り方を教えるつもりで、道場の敷居をまたぐ。しかし、ママ達は我が子の成長と他のママとのコミュニケ-ションのため道場の敷居をまたぐんだ。ここは、そんな道場でありたい。
今吹八風について
久しぶりにホームページを更新したんで、ブログの更新もしてみむとてするなり。
左半身付随の護誠の館長にとってスポチャンをまっすぐに「好き」とは言いにくく、スピードには、勿論ついて行けないし、どんなに丁寧にやっても基本動作はきれいには出来なし、・・・だのに「好き」なんです。だから、下手の横好き。横でも下でも構わない。どうせ、護誠の館長のチャンバラ「好き」はなんにも変わらない。今までずっと好きだったし、これからもずっと好きなんだろな 。気がつけば、こんな体で、三つも道場やる羽目になってた。
でも、スポチャンに出会った頃は、馬鹿にしてたんです。ダンスか、こりゃ~、武道の皮を借るエセ格闘的スポーツよ、こんなもん、何の役にもならんわい、と馬鹿にしてました。幼少から柔道を学び、正道空手に明け暮れ、韓国で実践テコンドーに出会い、日本拳法、少林寺と進んできた護誠の館長にはゴムの剣と、スポンジのお面は、出会った当時は、このスポーツ、笑い話でしかなかった。
そんな護誠の館長を本気にさせたのは、攻誠の館長、故植田誠史先生でした。いきなり、面打ちを決められ、ショックでショックで・・・、後に電光石火と評されている面打ちであることを聞きなるほどと思った次第です。さて、攻誠の館長に一発返したくて、本気でスポチャンやり始めると、これが見た目以上にスピードを求められて、これ、ついていけんって思いました。この時期に足打ちのフェイントから右のロングフック気味に横面打ち、つまりは「堤馬風」が、まず、誕生しました。これが八風で一番はじめに生まれた技ということになります。当時、私の師匠からは、「高島スペシャル」と名付けられていました。要するにスピードに対抗するにために術を身につけるしかなかった。これが後々、護誠の館長の生き方にさえ影響するめちゃめちゃにおもしろいスポーツになっていきました。堤馬風から浪風が生まれるまでには、僅かな時間でした。次々にうまれる八風の技は、攻誠の館長の電光石火の面打ちに対抗するためのものでした。勿論、当時は八風なんて名も無く、各道場の最強選手、有名師匠がやってたこと、教えてくれたことに護誠の館長が名前を付けただけなんです。そうして、がったがたに壊れても、チャンバラから離れられない体になってしまいました。これは、全て、攻誠の館長の責任です。護誠の館長をここまで、スポチャンを本気にさせた攻誠の館長はもういません。だから護誠の館長はずっと本気のまま、ケジメがつかずにいます。これではね、周囲とうまくやれない。特に権威意識のあるチャンバラーとはね、本気のチャンバラ好きと小さなチャンバラの権威意識は水と油なんです。そもそも「権威」って言葉がキライです。いや、なんにもありませんでしたよ。お気になさらないで!護誠の館長が、周囲とうまくやれないのは、攻誠の館長のせいだと言いたいだけなんです。話を戻して、八風です。八風は、長い時間かけてもなかなか形になりませんでした。ずっと胎児のままで、結局、誕生したのが和歌山です。ので、やはり、紀州生まれの子なんです。この和歌山で成長して、和歌山で成人してほしいと、内心は願ってます。
そうそう、八風について、過去にツィートしたことがあって、記録の意味で次にコピーしました。時間あれば読んでみて下さいな。
紀州護誠館館長 @imabukushusupo1 2015年4月6日 和歌 和歌山市
武道には、一歩踏み込んで受ける技が多々あります。下段の廻し受けも流水蹴りも一歩入らないと型として使えても技として使えません。まして、フルコンタクトでするクロスカウンターや移り腰は、相手の攻撃に一歩の踏み込みがないとただの遊びです。はじめは、受けの踏み込みって、めっちゃこわいです。スポーツでも鍛錬でこれを克服しましょう。
紀州護誠館館長 @imabukushusupo1 2015年4月6日 和歌 和歌山市
今吹衆は、「山颪(やまおろし)」という技で受けの踏み込みを練習します。一緒にやってみませんか?
紀州護誠館館長 @imabukushusupo1 2015年4月9日 和歌 和歌山市
間合いを一気に詰めるにオーバアクションは、厳禁です。人間離れしたスピードでないかぎり、必中は、ムリ、ならば術を!
今吹衆どもは、こんな時、疾風という技を使います。疾風といいますのはね、まず、足をちょっと幅広めに構えまして、そして、引くんです。なにをって?それは、あっ、字数がない・・・。
紀州護誠館館長 @imabukushusupo1 2015年4月10日 和歌 和歌山市
技の体得は、媒体を一切用いず、盗むことを学ぶことから始まります。五感六感を最大限駆使するのは当たり前、記憶力や、理解力など弟子としての知性に、積極性、従順性など学ぶ側の姿勢、つまり、ゼロ感(素地)が必要です。その上で盗む!盗んで我が物に!
その気がなければ、盗人にはなれません。
紀州護誠館館長 @imabukushusupo1 2015年4月14日 和歌 和歌山市
剣先を隠すために、してはならないオーバーアクションを敢えて使います。吹き落ちる風が、山風の正体、山風に反応した相手に次に吹くのが谷風、山風がきっちり吹き抜ければ谷風をかわすどころか、どこから
風が吹いたかさえわからない、吹き上がる風が、谷風の正体、つまり、これが「山谷風(さんこくかぜ)」です。
紀州護誠館館長 @imabukushusupo1 2015年4月14日 和歌 和歌山市
今吹八風の基本となるのが「鎌風」、これができないと八風を体得できないし、八風の理が掴めません。言葉にすれば、「低くて胸を張る足打ち」なんですが、秀でた脚力がないと、「鎌風(かまかぜ)」は完成しません。つまり、八風は、強靭な下半身から生まれるのです。「鎌風(かまかぜ)」かぜ)」が判れば、八風は、ほとんど理解できます。鍛練です。
紀州護誠館館長 @imabukushusupo1 2015年4月14日 和歌 和歌山市
鎌風を導入として、「堤馬風(だいばかぜ)」、「浪風(ろうふう)」の二つの技があります。この二つ、面白いのは、足打ちに対する面打ちの怖さを知らないスポチャン歴の浅い人ほど出来るんです。ダイバとロウフウが下手になってきたことでチャンバラ慣れてきたなと思う今吹衆頭領なんです。詳細は、また次に!
紀州護誠館館長 @imabukushusupo1 2015年4月15日 和歌 和歌山市
「堤馬風(だいばかぜ)」は、低い足打ちを術として仕掛けて、相手の上から覆いかぶさるような面打ちを誘導させて、利き手の反対の横面を切り上げ的に打ち込みます。とは言え、ケンカ四つでは、扇打ちになるし、相四つなら、掬い打ちになりますが、これ、出遅れると相手の面打ちの餌食です。躊躇が、一番の敵なのです。
紀州護誠館館長 @imabukushusupo1 2015年4月15日 和歌 和歌山市
「浪風(ろうふう)」と、「堤馬風(だいばかぜ)」は、係りは、全く同じです。ダイバが、一点打突に対して、ロウフウは、面攻撃なので、ロウフウは、扱いやすい技です。対してダイバは、応用がきく技です。どちらを得意とするかは、その人の体格、性格、人格によります。浪風は、低い体勢からの切り上げで、かなり効果的な技であります。
紀州護誠館館長 @imabukushusupo1 2015年4月17日 和歌 和歌山市
八風の中には、二つの運足があります。「疾風(しっぷう)」と「旋風(せんぷう)」です。疾風(しっぷう)が線の動きに対して、旋風(せんぷう)は、円の動きで、間合いを盗る足運びです。間合いを距離と思ってる間は、この運足は、使えません。この世には、目には見えない、手には触れない、しかし、物理的なものがあります。その一つが間合いです。
紀州護誠館館長 @imabukushusupo1 2015年4月17日 和歌 和歌山市
まずは旋風(せんぷう)、動きとしては、横移動にみせて、円に動きます。動きは、単純にして明快、ただいつ、どこで打つかの理解がないとこの技に意味がないのです。真似は、誰にでもできます。誰にでもできるからこそ、理を掴みにくい。しかし、それを掴んだ瞬間、見えない、掴めない間合いが物に感じます。
紀州護誠館館長 @imabukushusupo1 2015年4月17日 和歌 和歌山市
続いて疾風(しっぷう)。通常、スポーツでは利き足移動します。理由は簡単、体重が乗ってないので動きやすい。疾風は軸足移動なんです。しかも、出来るだけ軸足の移動を相手に見せなければ完成、これも真似は簡単。テコンドーのスライディングキックに同じ運足を見ました。理がわかれば、これ以上速い運足はない。
紀州護誠館館長 @imabukushusupo1 2015年4月17日 和歌 和歌山市
最後の八風です。勿論、八風に最初も最後もありませんが。では、「難風(なんぷう)」です。この理は、「居つき」です。時にエアー剣を斧に見せ、日本刀に見せる。術をかけられて居ついた相手は動かない。相手の目を目で捕まえて居つかせる、これも真似は、容易く理が見えにくい。お分かりか、実にこれが八風真髄なり。
紀州護誠館館長 @imabukushusupo1 2015年4月17日
説明してきた、今吹八風は、基本形です。未だ今吹衆には八風を使いこなせる者がいませんが、コレは、今吹衆のせいでなく、師の教え方の責、ゴメンなさい。それでは、もう一度技の名を「鎌風、浪風、堤馬風、山谷風、山颪、疾風、旋風、難風」の八の風です。形と理屈と自信は、三種の神器、これを揃えて❗️あなたも学んでみませんか?
武道には、一歩踏み込んで受ける技が多々あります。下段の廻し受けも流水蹴りも一歩入らないと型として使えても技として使えません。まして、フルコンタクトでするクロスカウンターや移り腰は、相手の攻撃に一歩の踏み込みがないとただの遊びです。はじめは、受けの踏み込みって、めっちゃこわいです。スポーツでも鍛錬でこれを克服しましょう。
今吹衆は、「山颪(やまおろし)」という技で受けの踏み込みを練習します。一緒にやってみませんか?
間合いを一気に詰めるにオーバアクションは、厳禁です。人間離れしたスピードでないかぎり、必中は、ムリ、ならば術を!
今吹衆どもは、こんな時、疾風という技を使います。疾風といいますのはね、まず、足をちょっと幅広めに構えまして、そして、引くんです。なにをって?それは、あっ、字数がない・・・。
技の体得は、媒体を一切用いず、盗むことを学ぶことから始まります。五感六感を最大限駆使するのは当たり前、記憶力や、理解力など弟子としての知性に、積極性、従順性など学ぶ側の姿勢、つまり、ゼロ感(素地)が必要です。その上で盗む!盗んで我が物に!
その気がなければ、盗人にはなれません。
剣先を隠すために、してはならないオーバーアクションを敢えて使います。吹き落ちる風が、山風の正体、山風に反応した相手に次に吹くのが谷風、山風がきっちり吹き抜ければ谷風をかわすどころか、どこから
風が吹いたかさえわからない、吹き上がる風が、谷風の正体、つまり、これが「山谷風(さんこくかぜ)」です。
今吹八風の基本となるのが「鎌風」、これができないと八風を体得できないし、八風の理が掴めません。言葉にすれば、「低くて胸を張る足打ち」なんですが、秀でた脚力がないと、「鎌風(かまかぜ)」は完成しません。つまり、八風は、強靭な下半身から生まれるのです。「鎌風(かまかぜ)」かぜ)」が判れば、八風は、ほとんど理解できます。鍛練です。
鎌風を導入として、「堤馬風(だいばかぜ)」、「浪風(ろうふう)」の二つの技があります。この二つ、面白いのは、足打ちに対する面打ちの怖さを知らないスポチャン歴の浅い人ほど出来るんです。ダイバとロウフウが下手になってきたことでチャンバラ慣れてきたなと思う今吹衆頭領なんです。詳細は、また次に!
「堤馬風(だいばかぜ)」は、低い足打ちを術として仕掛けて、相手の上から覆いかぶさるような面打ちを誘導させて、利き手の反対の横面を切り上げ的に打ち込みます。とは言え、ケンカ四つでは、扇打ちになるし、相四つなら、掬い打ちになりますが、これ、出遅れると相手の面打ちの餌食です。躊躇が、一番の敵なのです。
「浪風(ろうふう)」と、「堤馬風(だいばかぜ)」は、係りは、全く同じです。ダイバが、一点打突に対して、ロウフウは、面攻撃なので、ロウフウは、扱いやすい技です。対してダイバは、応用がきく技です。どちらを得意とするかは、その人の体格、性格、人格によります。浪風は、低い体勢からの切り上げで、かなり効果的な技であります。
八風の中には、二つの運足があります。「疾風(しっぷう)」と「旋風(せんぷう)」です。疾風(しっぷう)が線の動きに対して、旋風(せんぷう)は、円の動きで、間合いを盗る足運びです。間合いを距離と思ってる間は、この運足は、使えません。この世には、目には見えない、手には触れない、しかし、物理的なものがあります。その一つが間合いです。
まずは旋風(せんぷう)、動きとしては、横移動にみせて、円に動きます。動きは、単純にして明快、ただいつ、どこで打つかの理解がないとこの技に意味がないのです。真似は、誰にでもできます。誰にでもできるからこそ、理を掴みにくい。しかし、それを掴んだ瞬間、見えない、掴めない間合いが物に感じます。
続いて疾風(しっぷう)。通常、スポーツでは利き足移動します。理由は簡単、体重が乗ってないので動きやすい。疾風は軸足移動なんです。しかも、出来るだけ軸足の移動を相手に見せなければ完成、これも真似は簡単。テコンドーのスライディングキックに同じ運足を見ました。理がわかれば、これ以上速い運足はない。
最後の八風です。勿論、八風に最初も最後もありませんが。では、「難風(なんぷう)」です。この理は、「居つき」です。時にエアー剣を斧に見せ、日本刀に見せる。術をかけられて居ついた相手は動かない。相手の目を目で捕まえて居つかせる、これも真似は、容易く理が見えにくい。お分かりか、実にこれが八風真髄なり。
説明してきた、今吹八風は、基本形です。未だ今吹衆には八風を使いこなせる者がいませんが、コレは、今吹衆のせいでなく、師の教え方の責、ゴメンなさい。それでは、もう一度技の名を「鎌風、浪風、堤馬風、山谷風、山颪、疾風、旋風、難風」の八の風です。形と理屈と自信は、三種の神器、これを揃えて❗️あなたも学んでみませんか?
紀州護誠館門下の見分け方
ブログ、久しぶりに手を付けます。ここんとこツイッターがおもしろくて、ツイッターばかりしてました。「紀州今吹衆」、「紀州護誠館」、「紀州今吹衆頭領&紀州護誠館館長」で検索してみて下さい。
いよいよ年末が近づいてきて今年もアッと言う間の一年。歳喰うほどに早くなるな。今年は、国体が和歌山であって、世界大会もいってみて、盛りだくさんな一年ではあったけど、成果がトンとなく、次回に持ち越しだ。次回、次回と言いながら不惑も過ぎて、早6年、こんな事でいいのか!話変わって、年末に植田杯に参戦する。今年最後の試合だ。今年の夏に天命を知る前にこの世を旅立たれた植田誠司先生慰霊の大会だ。享年49歳、植田先生とは、15年前、頭領が初めてエアー剣持って対戦した相手でもあります。当時から剣道弐段の腕前で、面打ちの早さは電光と例えられる先輩だった。形を重んじる居合いと自由を重んじるスポーツチャンバラをこよなく愛しておられた。植田さん、ずるいわ!もう追いつくことが出来ないじゃないか。俺の次回を永遠に葬り去ってしまった。次回なんて、ホントつまらんわな!植田誠司の死を承けて、紀州護誠館が生まれた。大阪攻誠館と紀州護誠館は、誠史先生の「誠」を旗印として、植田先生が探求された、勝敗で表現されない誠の強さをこの二道場は追い求める。植田さん、次に会う場所が、地獄でも天国でも俺、面なんかいらんわいな、小太刀と長剣二振持って、そっちに行くからよ。サボりなや。植田さん、しっかり練習しとって!肢体が自由に動けば、俺は植田さんには負けへんで。 そっちで、鬼でも相手にエアー剣振って待ってろや。俺、エアー剣持って、必ずそっちにいく!
なぁ、植田さん。俺、護誠門下に植田さんが嫌がった切り上げを教えてる。切り上げで勝ち残っていく選手を見たら、そいつは、護誠の門下で俺の弟子だ。
デモスポ「スポーツチャンの部」大会結果
何せ今回はクローズ大会!今吹衆は裏吹衆も加わって大軍投入したからな~。こんな結果でした・・・。
①幼年小太刀の部二位 今吹衆ジャングル大帝 レオ
②幼年小太刀の部三位 今吹衆聖闘士セイヤ
③低学年小太刀の部一位 今吹衆ホオズキのゆきな
④低学年長剣の部一位 今吹衆ホオズキのゆきな
⑤低学年小太刀の部二位 今吹衆技巧の重戦車 ゆうと
⑥低学年長剣の部二位 今吹衆技巧の重戦車 ゆうと
⑦低学年小太刀の部三位 今吹衆風魔のゆう
⑧高学年小太刀の部二位 今吹衆鬼小町もえ
⑨高学年長剣の部三位 今吹衆鬼小町もえ
⑩高学年長剣の部二位 今吹衆天眼通のチー
⑪高学年長剣の部二位 今吹衆天衣無縫のリク
⑫一般有段小太刀の部三位 今吹衆二刀使いのスノーマン 有護
⑬一般有段長剣の部三位 今吹衆二刀使いのスノーマン 有護
⑭団体戦三位 今吹衆高島党 有護・美有・愛有
⑮サバイバルBESTⅠ 今吹衆疾風のヤス
⑯サバイバルBESTⅢ 今吹衆二刀使いのスノーマン 有護
裏吹衆
⑰一般小太刀有段の部一位 立命館スポチャンサークル 浦井健太
⑱一般小太刀有段の部二位 立命館スポチャンサークル 三木章央
⑲一般長剣有段の部一位 BBS21大友館(護誠館) 水波慎吾
⑳サバイバルBESTⅡ 立命館スポチャンサークル 前田賢吾
㉑団体戦一位チーム魚 先鋒上荒磯倖奈・大将上荒磯泰宏+自灯館
㉒団体戦二位チーム前田 大将 立命館 前田賢吾+自灯館
ここの前日、今吹衆と裏吹衆、ヤトー館の掘田ファミリーと合同練習しました。頭領的には、デモスポ大会より、前日の練習の方が、各門下の成長になったようにい思います。クローズ大会で勝った喜びは、肥やしにすればいい。でも俺たちが目指すモノは、ここよりもっともっと上にある。頭領は、デモスポ大会で成果が上がらなかった門下より、成果があった門下がそこで留まることを恐れている。
果報は寝て待て、待てば海路の日和あり!
人生、山有り、谷有りと申します。山がいいのか、谷がいいのか、自然は、本当にいい!体の壊れた頭領には、山登りも谷降りもけして楽ではありません。でも、杖を持ってても知る人のいないビルの間を移動するよか、よっぽど「楽」しいに間違いない。山だ、谷だ、と言えば、八風の中に「山谷風」という技があって、術系の技なんですが、大きく吹き落ちる剣を惑わしとし、鋭く下から吹き上げる剣で切る、山風を大きく見せるほどに決まる技なれど、吹き上がる剣の指と手首の使い方を理解できれば、一体どこから打たれたかすら解らない剣になる。是非身につけて下さい。道場ならば具体的に教えます。
つまりは、禍福は糾える縄の如し。苦楽は相伴うの例えもある。これ、まさに山谷風の神髄、楽に見せて、厳しく打つ、この二つの技は、一つで無ければなりません。禍福で糾った縄は、一本なんです。
実は、今、今吹衆は、過去にも何度か訪れたスランプ期に入っています。それを、家族の支えがあって、また、そのたびに起こる新しい出会いがあって、乗り越えてさせてもらいましたが、今回は、何となく今までのケースが当てはまらないです。何が違うのかというと今までは、乗ってる船が今吹丸しか無かったから、これを操って、沈むまい、迷うまいと必至にオールを漕いでいました。が、今回は、大友丸もあって、頭領、沈没はしないんです。兼好法師が、徒然草で「一の矢に定むべし」と行ったことに間違いはありません。山谷風も山の風、谷の風と分けてしまうと技として成立しません。一つの技なんです。やっぱ、2艘同時航海は、ダメなのかなぁ。
紀北から一つも道場を無くさないと鼻息荒げて、新生大友館をスタートさせましたが、二足のわらじだったか・・・。どうすれば今吹衆と新生大友館の二道場を糾える縄に出来るだろう・・・。何より、これがスランプの証拠。普段なら、こんな事でいちいち悩まないし、ちょっと考えれば、何某のアイデアは、すぐに出てくるし、何より、我が神は、必要なときに必要な物や人を与えてくれる。多分、何も無い時は、何もしてはいけない時です。
でも、無用の用、スランプも必要なんです。スランプも無いと頭領は休まないので・・・。スランプの時には家族でチャンバラするんです。色んな事忘れて楽しいから!いよいよ、家族も相手にしてくれなくなったら寝る!寝て待つ、海路の日和をね。やっぱ、2艘で航海するわいな!今は、眠むる時間なんだ。
また攻誠館に行って参りました
頭領、攻誠館で、基本動作の基本や指導も含めて、一から出直すつもりです。頭領現役時代、基本動作は、子供たちのものと言いイメージがあって一般の部では、あまり練習してなかったので、実のところ、今吹衆の頭領は基本動作の基の字も解っていません。このままでは、今吹衆、基本動作がうまくならないので、先ず、頭領が共に東大阪道場で一緒に汗を流した植田誠史館長、長谷川一恵先生さんに基本動作をたたき込んでもらうことにしました。しかし、悲しいかな、頭領は半身不随の障害者、頭領の体に叩き込んでもらうのは無理なので、美佐穂さんに叩き込んでもらう様子を見学し、半分壊れた頭に叩き込んで今吹衆に伝えるつもりです。基本動作を教えてもらえるのは、ともに汗を流した仲間であるから・・・。感謝申し上げます。普通、こうは、行かねぇよな~。ほんと、ありがと!
「おっしゃ!、一からでなおしや~」と言うことで、今回は運足を教えてもらいました。これ、やりにくいんです。なぜなら、日常的には、あまり使わない踏み出しだから・・・。踏みだしは、通常、軸足に力を入れて、利き足から軸足に体重移動して踏み出すのを、基本動作では、右構えで利き足が既に一歩出た状態で更に利き足を一歩踏み出すので、初動は、軸足から動くのでバランスは悪いし、体の構造的に無理もあるし、やりにくい上に、さらにその動きをかっこよく見せる事が大切なので、テクニックが必要になり、軸足移動の練習が必要になります。蹴り技がある打撃系の格闘技には、軸足移動の蹴り技があります。今吹八風のひとつ、「疾風」も軸足移動です。これね、一度身につくと、前動作の無い飛び込みの面打ちとかが出来るようになるんです。
その意味で、改めて軸足移動の大切さを感じ、更に軸足移動の基本動作は、実践向きだなって思いました。攻誠館門下が強いのは、この軸足移動の基本動作を体得してるからだと悟りました。長谷川先生、勉強になりました。有り難うございました。
ただ、この道場に館長の姿が見当たらないことが、前回とは比較にならないほど、寂しかった。もう二度と見ることの出来ない電光石火の面打ち・・・、あの面打ちを裁くことに全身全霊を傾けて、エアー長剣の持って強い奴がいるという噂の道場へ出稽古に明け暮れたあの日、気がつけば、相手が構える前の初動で剣筋が読めるようになってた。技術じゃない、獲物系武術の感性を植田館長には教えていただいた。
植田さんが東大阪道場にいなければ、俺、チャンバラやってなかった。植田さんとは、絶対、またチャンバラやれる気がする。その時、俺たちの肢体は、完全に自由、疲れることも無い、永遠にエアー剣振り回せるならば、例え地獄で出会ってもそこは俺たちの天国。
植田さん、俺、護誠館作ろうと思ってる。攻誠の子もまだ見ぬ護誠の子も今吹衆も見守ってやって下さい。では、植田さん、次に来世でも黄泉でも冥土でも天国でも地獄でも、エアー長剣片手に相見えるその日まで。
生みの親と育ての親
何でもそうだけど、何かを作り始める時、何かを動かし始める時って楽しいもんです。夢もあれば、希望も、期待もある。子育てもそうなんです。生まれるまでは、この上なく幸せで、楽しい、誕生のその瞬間から、男は、責任の重さに耐え、女は、産みの苦しみに耐えるが、その後は、幸せとしんどさが交互に長い時間、寄せて返す波のごとくやってるんです。どっちかが無くてどっちかばっかりなんてことも無いんですが、ひとも組織も作るまでは楽しくてそれを維持するのは大変なんです。
さて、頭領、新しい道場始めます。既存の道場引き継ぐんですが、責任の重さも感じてます。出来るかな?練習環境も条件も悪くない道場なんです。なのに引き渡されるには、頭領の目に見えてない悪条件があるのかも・・・。しかし、やると決めた以上、後には引かない、そんな中途半端な障害者ないわい1鼻息荒げても、実に不安です。生んだときは楽しかったろうなっと思いながら、この道場、愛情もって育てていく覚悟は、出来てます。でも一人ではつまずいた時、起きるのが大変かな。そのときは、たまたま近くを通った人に手を借りよう。一人前の障害者は、人に頼るが上手なんです。
だから、先に言っときます。たまたま、転けた頭領のそばを通ってしまった人、ありがとう!さぁこれで新生大友館の再始動、準備は万端だ!行くぞ、大友館!
鯛だ!ヒラメだ!舞い踊りだ!いいえ、怠惰の話
怠惰は、キリスト教の七つの大罪の一つだそうです。七つは、傲慢・憤怒・嫉妬・怠惰・強欲・暴食・色欲だそうです。並べてみると、頭領、普段から、この状態のステージに上がってる気がする。これを大罪と言われた日にゃ~。頭領は、小学校に上がる前には極悪人だったのか・・・。最近、ツイッターがおもしろくて、ブログは更新してませんでした。けっして、怠惰ではないです。時に人には休息が必要なんです。だから怠惰ではないんです。少々飲み過ぎてもちゃんと仕事もやってるし、上司も日本一仕事の出来る男と評価してるようだし、まぁ、ちょっと、自分より出来る人がいても、ホント何とも思わないし、ちょっと腹立ってきたら、食えば納まるし、あ~ぁ、誰か腹一杯食わしてくれないかな~。どうせ食べるなら、かわいいおね~ちゃんと一緒がいいな~、ん?大罪だらけじゃあねぇか、大事なのは、罪犯さない事だけど、そのために自分の罪をちゃんと認識できる修行は、怠ってはいけないんだ。さぁこれからちゃんとブログも更新しょおっと!
攻誠館に行って参りました。
東大阪の橙龍(と、勝手に呼んでますが) 攻誠館に出稽古させていただきました。実は、二年ほど前にも行かせていていただいて、今回が二回目の出稽古なんです。ここの植田館長と長谷川先生と頭領は、その昔、東大阪道場で、田中・中村両先生、金子師匠の下、一緒に汗を流した同門、つまりは、同じ釜の飯を食った仲間なんです。当時は、基本そっちのけ対戦必至の道場でした。それがそれが、この道場の基本動作ご指導の厳しいこと厳しいこと。剣道ご出身の先生方であればこその型の美しさかと思いきゃ、長谷川先生高砂武蔵の浦川先生にご教授いただいたとのことでした。基本動作は、各道場長の解釈や得手不得手で指導、表現、ニュアンスに差違が生じます。何百年と継承される武術の型であれば、個人の感覚や解釈は、そぎ落とされ、精錬されていくのでしょうが、そこはまだ40年のスポチャン、まだまだ成長段階です。頭領も年に二・三回は攻誠館に邪魔しに行って、基本動作の指導方法を長谷川先生から盗んでこよおっと!先生を一人に絞って教えを受ける方が門下にも統一した話が出来るよな~。大事なのはそこで、もともと基本動作が苦手な上に半身不随の師匠では、せめて一貫してないと、門下に指導できない。これからは、長谷川先生の言うことをALLにしようっと!
さて、厳しい先生の声の飛ぶ道場で、うちの技巧の重戦車ユウトが、この道場は絶対泣いたらアカン道場なんや・・・って呟いてたのは印象的!君はすぐ泣くもんね。泣くと人間、考えることをやめてしまう。攻誠館の先生が怒っているのは泣くとこと以上に、泣いて、何もしなくなることを怒ってんだ。その先生から、「髙島さん、丸くなった」といわれ、体のことかと思ったら、それもそうやけど、性格がって・・・。ふん、あなたも昔は、相当に荒っぽかったですよ。まぁ、歳食った分、おたがいにね!
でも今吹衆!今回の出稽古で、頭領、前からちょっと思うところあって、もうちょっとステージあげてもいいかなっと改めて思いました。頭領自身の体が壊れて、動けることに感謝する日々を送ったせいで、ただそれだけで満足するステージに今吹衆を上がらせて、そこに留めてしまったんではなかろうか。竹中さん一家も来てくれたことだし、ここいらが脱皮の時期か。今吹衆には、しんどかったかも知れないが攻誠館の練習がきつい訳では無いんです。むしろ普通田と思います。うん、今吹衆の次のステージを用意しよう。いや、用意せねば!よい出稽古でした。長谷川先生有り難うございました。また、出稽古、お願い致します。
動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し
世の中には、どうしようも無くかっこいい男がいます。・・・表題の如しと呼ばれた天才革命児、高杉晋作さんが、頭領にとっては「どうしようも無くかっこいい男」です。この人とにかくめちゃちゃで、領事館を焼いちゃったとか、将軍様を野次っちゃったとか、5回も脱藩しちゃったとか、奇兵隊作っちゃったとか、80人で15万人にケンカ売りに行っちゃったとか、事実確認は後回しにしても、めちゃめちゃにおもしろい生き方します。晋作さんは、師匠の言いつけを守って「狂ってみた」弟子の一人です。師匠もまた、何よりもおもしろい、幕末好きの頭領ですが、近藤さんも龍馬さんも西郷さんも慶喜公も大好きだけど、晋作は、とっても憧れます。・・・なので、若き日の頭領も発すれば風雨の如しを決め込んで、トラブルの臭いがする度に走り出していましたが、局長からは、「便利なヤツ」と言われ、局次長からは、「話題の多い人だ」と言われてました。勿論、どちらも否定的な意味です。頭領自身には、結果をいつも出して来た自負はありますが、組織的には、頭領は、問題児でした。晋作みたいには成れません。だから今の半身不随の体は、周りとうまくやるにはちょうどいいんです。
晋作さんの発したであろう言葉の中で好きな言葉があります。「人間、窮地におちいるのはよい。意外な方角に活路が見出せるからだ。しかし、死地におちいればそれでおしまいだ。だからおれは困ったの一言は吐かない。」晋作さん・・・、後世の人が簡単でかっこよくに覚えることが出来るように四字熟語かなんかで、きれいにまとめてくれたらいいののに・・・。頭領、この言葉に支えられて、だめだ、と思う状況を楽しむようにしてます。みっともなくても、不細工でも、格好なんか気にせず、「悪」が付こうと、必死にあがきます。
さぁ、今吹衆!あがいてあがいて、どうやったら下手くそな自分を脱ぎ捨てて、強い自分に成れるのかどう考えても解らない時もあきらめず、「困った」って口に出すな。楽しめ!晋作さん、一度も「困った」と言わず、たった一人で時代の流れを変えちまった。彼の生き様を手本として、自由に吹き渡る風となれ!
八風吹けども動ぜず
ものの本によりますと、「八風」とは、仏様の教えに基づいた修行を妨げる八の事柄だそうです。人が欲する四の事を四順「(利い(うるおい)=目先の利益、誉れ(ほまれ)=名誉をうける、称え(たたえ)=称賛される、楽しみ(たのしみ)=様々な楽しみ」と呼び、人間が避ける四の事を四違「衰え(おとろえ)=肉体的な衰え、金銭・物の損失、毀れ(やぶれ)=不名誉をうける、譏り(そしり)=中傷される、苦しみ(くるしみ)=様々な苦しみ」と呼んで、この八つの事柄を八つ風に喩えるのだそうです。つまり、八風は煩悩。
八風吹不動天辺月 雪壓難摧澗底松 (普燈録)
八風吹けども動ぜず、天辺の月 雪壓(お)せども摧(くだ)け難し、澗底(かんてい)の松
風が吹くと地上の草木はすぐにざわざわと揺れ騒ぐ。天空の雲も風に煽られ、形を変えて流れ去る。だが天上の月だけは、どんな風が吹こうと動ずることなく、何処吹く風とばかり無心にして輝く。また、雪が降り積もれば、多くの草木はしおれたり、おしつぶされてしまうが、谷あいの厳しい環境の中で生え育った松は、大雪にもびくともせず緑あざやかにして、また無心に松声を吟じている。
日蓮様は、修行するしないにかかわらず、普段からこの八風に惑わされないお人が賢い人だとおっしゃったそうです。いつどこから来るかわからないから「風」なんです。それが、そよそよと心地よく吹く風を「薫風」と呼んで、さわやかに受け入れ、熱く人の行く手を阻む灼熱の風を「熱風」と呼んで毛嫌いする。・・・なぁんだ、自分本位じゃねえか。風がどうこうって話じゃねぇや。内から起こる風を「あっ、今、俺、なんか変な風、吹かそうとしてしもたぁ!だめだこりゃ~」と、その都度、知ることが出来れば、賢い人に違いありません。カトリックでは、この内から起こる風を「原罪」と呼び、赤ちゃんにも原罪はあると言います。なら、原罪=煩悩は、ちょっと違うのかなぁ。わかんねぇ。
さて、今吹衆!我らは、自分がどんな風かを知り、いつも一段高い空を見よ、岩山に一歩も下がらない、桜木に見向かず一輪も散らさない。いつか天辺の月にさえ「心地よい風よ。」と言わせる風になろうぜ。八風を操る今吹衆は、このことを理解せよ!
神戸市大会に行って参りました
今回も成果無く、まずは、写真を見ていただきましょう。
成果はなかったものの、真成苑磯上先生のご配慮で、とっても強い松山スポーツチャンバラの六年生と中学生のお兄ちゃんたちが助っ人で、合戦と団体戦に出場出来ました。我が今吹衆は、小学高学年と中学生のメンバーが極端に少なく、今吹衆三人娘たちには四国松山のお兄ちゃんたちがとっても頼もしく見えました。今吹衆は、誕生してまだ三年、やっと石の上がなれてきた段階、いつか、きっとこの三人娘が、女剣豪として天下に名をとどろかせる日が来ます。実は、この日、うちの娘たちと連合組む松山の選手は誰だろうと、もしも変なヤツだったら、一〇〇円ステッキで、たたっ切ってやるっと思いながら、試合開始から攻誠の選手と間違えながらも、オレンジの服に注目しておりました。驚いたのは、どの子もメンタルの強さをとても感じました。メンタルを強くしてあげるのは、本当に難しいんです。持って生まれた素地は勿論あると思います。一人二人なら、そう思ったでしょう。みんななんです。松山では、どうやって、メンタルを鍛えるんでしょうか?負けるか!という気持ちが技術を高めるんです。強いはずだ・・・。これは、指導側が松山に学ばねばならぬことがある、っと思いながら松山の選手を見せてもらいました。うちみたいなへっぽこ道場とチームなってくれた松山チャンバラクラブの皆さん、チャンスを作ってくだっさった真成苑 磯上先生、ありがとうございました。
さてさて、ナイナイ成果の中で、一つだけ・・・。うちの聖闘士セイヤがサバイバル初参戦です。セイヤ四歳だったかな、怖かったと思うし、不安だったと思う。何より、サバイバル前に父ちゃんが、長剣の試合にいっちゃった。でも、とうちゃん、気が気でなくで、一回戦敗退、すぐにセイヤの元へ戻ってきた。ん、この家族は大丈夫だ!セイヤ、序盤で、自分より大きい子に狙い撃ち、これがサバイバルの世界よ、あまかねぇ。泣きじゃくるセイヤが、エアー剣で、打たれる瞬間の目を見たぜ、こいつも強くなる。大丈夫だ。大丈夫をいっぱい見て、これが今回の成果でした。
さぁ、今吹衆、この三年間は基本をやってきた。これからは、うちの特徴も出して、今吹衆は術を学ぼうか? やってみるか、使えれば、スピードにもパワーにも鉄壁の防御にも肩を並べることが出来る し、何より、スポチャンがもっとおもしろくなる。術はスポーツチャンバラの醍醐味よ、決めた!やってみような。
第11回目孫市祭体験会手伝いに行って参りました
今吹衆としては、これで三回目の孫市おまつり体験会の手伝いです。しかし、雨ばっかり、屋外で体験したのは、はじめの第一回目だけ・・・、でもこれも、途中雨が降りはじめ慌ててマットを避難させるような体験会でした。風の今吹衆は、ひょっとして、雨の今吹衆だったのでは?いえいえ、我らは、雨も呼べば、嵐も流星も太陽も呼ぶ、それが風の今吹衆だ!しかし、雨ばっか・・・。いいこともあったんです。助っ人に来てくれた有朋館勢と長い時間、合同稽古できる時間が持てたこと。雨は降ってるわ、体育館の入り口は工事してて、例年と変わってるわ、条件が悪すぎて人が集まらない、しかも、去年は、警報の出る大雨でも孤軍奮闘ラーメンマンカンタの呼びかけに少ないとは言え体験者が引き込まれてきたが、今年のそのカンタがおらず、今年のスポチャン体験呼びかけには、今吹衆巴御前ミチカの背後霊作戦に人々は、怯え逃げ惑うだけで集まりません。結果、チャンバラー達の時間が長く持てたわけです。体験者も昼からは、「去年もやった!チャンバラ」っと言う子を中心に集まってきました。神戸の子ずれ狼が、親子で剣道の技でチャンバラー達を翻弄するシーンあり、かわいらしい娘さんと娘さんのお友達さんたちにお供してきたであろう肝っ玉カーチャンが、スナフキンミサホさんを追い回すシーンありと、今年も楽しさ満載の孫市まつり体験会場でした。来年も多分、和歌山市立城北小学校前で(或いは、また雨降って、来年も城北小学校体育館のなかかな?)体験会やってると思います。皆さん、お集まり下さいね~!
来年こそ、お天気にしてくれよ~、な!まごいっちゃんよう~ぉ
富田林大会に行って参りました
南河内の雄、富翔館が主催するこの大会は、先月の大阪大会にひけを取らないレベルの高い大会です。結果を先に言うと今吹衆は、ははっ、撃沈でした。なぁに、今しばらくお待ちください。我らは風! 絶対に追いつきますので。
戦果としては・・・。
今回、今まで参加した大会で、初の一回戦突破を果たした鬼灯のユキナと技巧の重戦車ユウトは、勝つ喜びを感じてくれました。一回戦を勝ち抜いて戻ってきたときの君たちの目を見たとき、頭領は叫んだぞ、「やった、やったぞ、その目を見たくて、頭領は頭領をやってる、まずは一勝、一勝懸命だ!よかったな」ってね!
他にも、大会前に子供たちの調整をしてくれたヤスさん、カズさん、ありがとうございました。
頭領は、ますます、いつかヤスさんもカズさんも、自分の門下を持って、頭領の見た子供たちの目を見てほしいと思いました。その素質も資格も十分に感じさせる試合直前調整でした。これがあって、初一回線突破の今吹衆が現れたと思います。ありがとうございました。
というわけで、入賞はなかったけど、戦果は残せた大会だったんです。懲りずに富翔館の先生方、スタッフの皆様、次回もよろしくお願い申し上げます。
第23回大阪大会に行って参りました
紀州侍にとって超えねばならない一つの山がこの大阪大会、近畿一円の猛者どもが一堂に会するこの大会は、伝統も由緒もある大会です。入賞することを目的として今吹衆も一般を中心に参戦し、一般無段小太刀の部で松井のヒデさん、高校・大学生有段小太刀の部で二刀使いのベイマックス有護が三位に入賞してくれました。お見事です。次は、決勝に残ることを目標に精進しましょう。ちょっと寂しいこともありました。実は10年前、頭領もこの大会で決勝まで残ったことがあるんですが、当時名を馳せた有名選手達は、みな、選手でなくなってて、どこかの道場の先生になったり、役員になったり、やめちゃったり・・・。そんな中で辻村先生が棒を振っておられたのをうれしく思いましたが、おけがをされている様子、大丈夫だったのでしょうか?頭領が知っている選手は少なくなりましたが、関西全体のレベルの高さをうかがい知ることが出来た大会でした。とにかくこの大会で入賞者が出たことをうれしく思います。入賞した者もそうでない者もお疲れ様でした。しかし!さぁ、休んでる間はない。目の前には、富田林の大会が待っている!それぞれ次の目標に向かって走り出そうぜ、我ら風の今吹衆!
我が家の節分事情
カトリッカーだった頭領の実家では、昔から,イースターとかクリスマスとかキリスト教にまつわる年中行事以外は、あまりやったことがありませんでした。ので、鯉のぼりもひな人形も巻き寿司もチマキもなかったんです。唯一、大晦日に一族が集まっての餅つきがあったくらいです。そして、年を越して幾ばくかたったある日のこと、子供だった頭領は、ちち様、かか様に世には豆をまく風習があり、鬼を追い出し福を呼ぶという「豆まき」という習わしがあるというので、我らもやってみませんかと申し上げたところ、うむ、それはおもしろい、なれば、ワシが鬼役を!と父様が言い、かか様は、子供たちに豆を持たせ、「鬼は外!福はうち!」と言いながらちち様を追い回し、豆を父様に投げつけました。しばらくすると、ちち様のお姿が見当たらなくなり、散らばった豆を片付けながら「ちち様、どこへ行ったんでしょう」っとやっておりましたら、しこたまにお酔いになったちち様が戻られ、どこへいらっしゃったのですか、とかか様が問い詰めると、「おまえたちが外へ、外へと言うに、外へ行って一杯飲んできた」というのを聞くやいなや、かか様が、思いのこもった熱い頭突きをちち様にお見舞いし、鬼の形相で一言、「おぉまぁえぇは~ アホォかぁ!」と大阪リズムで言いました。それ以来、頭領の実家に福は来ず、二度と豆まきもしませんでした。めでたし、めでたし!
このことがトラウマとなって、頭領の家では、自らボディペイントを施し、子供たちが泣きまくる、かなり本気の豆まきをしてきました。一つ欠点があり、自らボディペイントしていたため、背中が塗れず、豆を投げられても背中を向けて逃げられなかったこと・・・。それと、一つわかったことがありました。普通、どの家でも父親が鬼役をするケースが多いと思います。うちもそうでした。頭領ん家には、上から男、男、女、女の4人の子供たちがいて、末の娘がまだ小さかった頃、鬼役と長男と父、豆まき役を次男と長女、次女、母の二つに分かれて豆まきをしました。末娘は、まだ2・3歳だったと思います。末娘は、当時、体の大きかった長男にはよく懐いていて、腕力のない、思考回路が独特な次男には、ついて行けない感があったようでした。さて、豆まきが始まると、鬼役の父と長男が、暴れ狂う間に、豆をいれたお椀を渡された長女は、力の限り、豆を鬼に投げつけ、手玉がなくなると、最後にお椀を父に投げつけて、父鬼を撃破。続いて兄鬼の棍棒に見立てた新聞紙棒を奪いとり、勝手口から兄鬼をたたき出しました。次男は、その間、豆を取らず、自分の部屋から剣のおもちゃを颯爽と取り出し、華麗に舞っておりました。泣きながら母の胸にいた末娘には、その絵柄が、まさしく供を従えた桃太郎のように見えたのでしょう。次の日からの次男に対する圧倒的な信頼感で、父・長男と次男の立ち位置を完全に変えてしまいました。このときです。来年の鬼役が決まったのは・・・。父が鬼役をやってはいけない。できることなら、近所のおいやんと連携して、父が鬼を退治する光景を子供たちに見せなければ・・・と、そう思った頭領でした。
そんなこんなで、今吹衆でも「鬼チャン」やります。おにぃちゃんでなくて、「鬼払いスポチャン」の略です。小学校の体育館をお借りしている今吹衆は、豆をまくわけにいかないので、近くの幼稚園さんから、赤のスポンジ玉をお借りして、これを豆に見立てて節分です。盾小太刀スタイルの一般の部に鬼族になってもらい、子供たちには、両手に一つずつ玉をもち、これを鬼に投げる。玉を食らった鬼は、10秒間動けない。子供たちの中には、一人の桃太郎がいて、動けない鬼をやっつけます。ただし、子供たちは、鬼の攻撃にあうか、手持ちの玉をすべて失ったら天国行き、床に落ちている玉は拾えないが、玉は分けてもらうと場に出てくることが出来る、そんなルールで鬼払いです。ところが、はじめ、無鉄砲に玉を投げまくった子供たちは、鬼に全滅されてしましました。これでは、確実に今年はイヤな年になってしまうと気がついた鬼族は、二戦目、かなり手加減してくれて、空気も読みまくって全滅、子供たち大喜びで終了です!
神様のいたずら
大きいことをしようとして、力を与えてほしいと神様に求めたのに、
慎み深く従順であるようにと「弱さ」を頂いた。
より偉大なことができるように、健康を求めたのに、
より良いことができるようにと「病弱」を頂いた。
幸せになろうとして、富を求めたのに、
賢くあるようにと「貧しさ」を頂いた。
世の人々に誉められようとして、権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと「弱さ」を授かった。
人生を楽しもうと、あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと「命」を頂いた。
求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。
神様の意にそわぬ者であるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。
私はあらゆる人の中で、最も豊かに祝福されたのだ。
ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に刻まれている「病者の祈り(作者不詳)」
この祈りと頭領が出会ったのは、頭領がまだ学生の時でした。カトリックの教会の男の子ばかりの集会で、ある神父さんから皆に手渡されたプリントに描かれていました。当時、健康優良児の名を欲しいままにしていた頭領は、はじめ、この詩(祈り?)は、ただの強がりで、負け惜しみだなっと思っていました。俺は、祈らずとも強靱な体力でも揺るぎない権力でもたっぷりの財力でも欲しい物は絶対に手に入れてやるっと鼻息を荒くしていた少年時代・・・、かわいかったな・・・。さて、今、酸いも甘いも噛み分けた大人になって、神様から、大きな肩書きをいただいて、この祈りの本当の意味を悟りました。また、負け惜しみだと思っていた自分の素直さも理解しました。神様は、きっといたずら好きなお方だと思います。頭領ん家は、一度分解したことがあって、生まれるはずのなかった末の娘の手をやさしい妻と引きながら、聖家族像(ヨセフ様とマリア様とイエズス様の像、カトリック今福教会の庭にあります)の前を通って職場に向かってたときにそう思ってました。無かったはずの家族に見習えと言わんばかりの聖家族、これは、神様の教えなのか、はたまた、いたずらなのか、神様に聞いてみたいと思いながらの通勤タイムでした。神様のいたずらは、他にもありました。、若い頭領は、何でも自分の力で手に入れてやるっといいながら、十代の後半に真剣に神様に祈り願っていたことがありました。当時は、柔道と空手を交互に毎日修行していて、神様!俺に、あと10㎝の身長をください。それに20㎏体重をください。どうか神様!ってね。それは、それは、毎日毎日真剣に祈りました。すると神様は、それから30年経って願いを叶えて下さいました。180㎝近い身長と100㎏近い体です。ただ・・・、神様は、頭領でなく頭領の長男にそれを与えてしまったのです。何の間違いでしょうか・・・。頭領にあと10㎝の身長と20㎏の体重があれば、世界一を取りに行くのにっと思っていた、その全てを息子は持っている・・・、息子は、武道のブの字も興味無く、チャンバラばっかしやってます。チャンバラに体重はいらねぇよ!しかしヤツは、自分の巨体をフル活用して、なかなかの腕前ではあります。・・・神様は、いたずら好きなんです、きっと・・・。壁にこの祈りを刻んだ方も神様のユーモアもいたずら好きなことも知っておられたと思います。ま、人生おもしろい方がいいに決まってる。神様が楽しませてくれる。そうそう、神様が頭領にくれた大きな肩書きですが、何だと思います?何を隠そう、「障害者」です。負け惜しみだろって思われた方は、きっと素直な方なんだと思います。少年時代の頭領のようにね!この肩書きは、本当におっきいんです。部長や専務どころじゃない。お分かりの方には、お分かりだと思います。それでいいんです。ではもう一度、健康優良児さんも部長も専務も、大きな肩書きを持つ仲間達も、もう一度ゆっくり「病者の祈り」を味わってみましょう!
一年の計は元旦にあり
などと、昔の人は言っていたそうです。けじめとしては、そうでしょうね。なので、頭領の計画をば!頭領、元旦は、ちょっと飲み過ぎて、使い物にならなかったので、松の内に、「計」の公表を!
まずは、今年は、世界大会に参戦してみようと思っています。先発隊に二刀使いのスノーマンゆうごと戦うアメンボゆうまの兄弟を切り込み隊として、その様子で、本隊が続く、って感じでいいかな?などと計画しています。
次に衆頭さんにインストラクターを取ってもらって、可能なら、新しい道場を立ち上げてもらい、紀北スポチャンの裾野を広げたいと思ってます。
あと、高校生たちとママさんたちが一人でも多く、小太刀初段に合格してもらうこと!紀のくに国体のデモスポを成功させること!それから、それからね!・・・謙虚に生きること・・・。
さて、どの「計」も誰かの協力がないと頭領一人では、何一つ成り立たないでしょう?これが、今吹衆頭領の最大の弱点で、最大の武器なんです。そんなわけで、今吹衆、紀州惣国の皆さん、今吹衆の衆頭さん、各道場・協会の諸先生方、本部の諸先生方、今吹衆の頭領は、今年もいっぱい甘えます。何とぞ、何とぞ、よろしくお願い申し上げます。
第三回今吹衆昇級審査
今回の受審者は、風魔のユウ、鬼姫マー、技巧の重戦車ユウト、ホオズキのユキナ、鬼小町もえ、流浪人なおとの6名です。今回、今までと一番大きく違ったのは、審査3名、号令者1名の計4名で頭領含む衆頭の八つ目があったこと、それに川村4兄弟にチー君、ほか中学生とママさんたちに小さい兄弟姉妹たちもいて、見ている目がたくさんあったこと・・・。緊張するよな。何度の言ってるが、審査では、うまくできた、勝っただけを見ているんじゃない、もっと言えば、審査当日だけを見てるんじゃないんだ。だからその場を上手にやることに神経を使うより、このプレッシャーを楽しむことに集中すればいい。君たちが将来、色んなところで出会うであろうプレシャーを楽しめることの出来る大人になって欲しい。頭領はそう思って審査にあたりました。
今吹衆の昇級審査の特徴として、受審者の夢を語ってもらっています。ナースが多かったね、絵を描く人に合格したい人、ファイヤーマン、体操の先生、いいぞ、今吹衆!キラキラしてる。夢に大きい小さい、遠い近い、早い遅い、正しい間違いはない。でもこれだけは、言えるぜ。夢もないヤツが、スポチャン強くなるはずがない。将来は、こうなりたいよ、ああなりたいぜって希望を持って、夢見られる侍が、世界と渡り合って、この国を前に進めた。だから、今吹衆は、大声で自分の夢を語れる子供であれ!この6人は、大丈夫!見事、合格だ。
issyoukenmeiだ!
「一生懸命」、文字通り、「一生」「命懸け」・・・。しんど・・・・。「死ぬまで」「命懸け」・・・。んなこと、頭領にできるかな・・・。射祷で、真剣に!と祈ったときに考えました。一生懸命・・・。物の本を読むと、鎌倉時代の武士たちの言葉だとか、元寇で、最前線を守った兵士の言葉だとか。でもそれなら、理解しやすいな。「一所懸命」なら、できそうです。一生懸命は頭領には、無理です。たぶん途中で飽きます。物の本によると一生懸命でも一所懸命でも間違いではないそうです。大事なモノを命懸けで守ることは、誰しもがやってきました。でなければ、日本はここまで成長していません。前に言いましたが、攻めるより、守る方が何倍もたやすいんです。城攻めで、攻め手が攻めが勝利を収めることの方が難しいことは、以前にはなしました。兵糧攻めか、水攻めか、時間を味方につけない限り、攻め手が勝つことは、本当に難しい。時間に制限のあるチャンバラでは、守り手の倍の人数で攻めて、やっとトントンくらいで、守り手の得物に長巻きが一本でもあれば、ほとんど勝てません。
ただ、今吹衆!守り続ければ、勝つこともありません。地道に負けない生き方をするか、果敢に挑む生き方をするか、自由に決めていいんだ。でも、今吹衆、守りに入るのは、最後の手段でいい。まずは、攻めようぜ、頭領は、そんな小さいことで守りに入るのはもったいないって思うんだ、今吹衆の守りは、鉄壁だ、最後の切り札だ。まずは、どんなに不安で、怖くても一歩踏み出して、歩み出そうぜ。その瞬間は、「一生懸命だ」!どうしても守りに入らねば、ならないときは、「一所懸命」だ。
今吹衆は「攻守懸命」で生きていこう!
自分の刃物
ナイフを持つことのルールが厳しくなり、それはそれでよいことだと思います。頭領は、自分の子供たち(特に男の子ですが・・・)に10歳になった時に自分の刃物を持たせました。刃物は、便利なもので封筒を開けたり、鉛筆を削ったり、生活には、必要です。さらに、頭領が子どのたち与えたのは、アーミーナイフで、長男には、ジュースを次男には、ビクトリノックスを持たせました、頭領自身は、レザーマンを持ってます。刃物だけでないアーミーナイフは、様々なところで活躍します。これを優れものというのでしょう。さてさて、ただ子供にナイフを持たせるだけでは、木偶の坊親父です。頭領は、ナイフを持たせると同時に子供たちにその責任も持たせました。ナイフは、便利だけど、他人も我が身も傷つけることができる。誤った使い方は、親父だけでなく、社会もこれを許さない。だから、これを使う者には、大きな責任がついてまわる、それが理解できなければ、ナイフを持たせることができない、10歳の少年は、ナイフ持ちたい一心でその父の言う責任を理解しようとしました。彼らは、それから、兄は10年、弟は5年の時間が過ぎましたが、その責任は完全に理解してくれているようです。息子たち、アーミーナイフは、持ち歩きませんが、責任はいつでも持ち歩いています。
さて、いま、このナイフに変わる大きな責任を理解してもらわねばならないモノがあります。おわかりですか?スマートフォンです。アーミーナイフの数十倍便利で、それ以上の優れものです。しかし、これも使い方で、人を傷つけたり、自分も傷つきます。そこには、大きな責任が伴います。しかもアーミーナイフほどにルールが整っていません。木偶の坊親父と言われたくないので、やはり、子供たちにこれを渡すのにアーミーナイフを渡したときの記憶をたどって、しっかり、息子たちにも娘たちにもそれを持つことの責任を理解させて、持たせたいと思っています。
それは、刃物以上の刃物にして、あやふやな責任のまま皆がそれを持ち、頭領の若い頃にはなかった危険と便利が裏表のモノ・・・、全く、難しい時代ですな。しかし、我々、日の本の民は、二本の真剣を「魂」と高めて持ち歩いたサムライの末裔です。意識をしっかり持てば、何の心配もないはず。精神力をフル回転させて、優れたモノを使いこなし、便利に生きていきましょう。
ハロチャンです!
創価学会高松支部総会にて、スポチャン紹介と体験会!
うちのカズさんが、支部長さんだったんです。ご本人は、たいしたことないといいますが、「支部長」って響きがかっこいいじゃありませんか・・・。荘厳な雰囲気の中で、支部長さんの誘導で、頭領登場、しかし、その前に司会の美しい女性が、完璧なスポチャン紹介をし、支部長さんが、国体のデモスポ競技になっていることを説明されての誘導で、ネタ切れ頭領です。チャンバラの歴史を簡単に紹介して、とっとと、今吹衆の可愛いどころに基本動作のお披露目を・・・。おっと、馬鹿にはできないんですよ。今吹衆幼年さんは、和歌山大会の幼年部基本動作優勝者と近畿大会の幼年部基本動作三位入賞者がいて、様になるんです。頭領の出番なんか、なくてもいいんです、本当は・・・グスン・・・、続いて、前出の幼年部さんの小太刀の模範試合、カズサンと有誠の盾長剣対二刀の異種競技にて模範試合をもって、紹介終了です。よい機会を与えてくださいましてありがとうございました。今吹衆たちにとっても、紹介させていただいたことは勿論、このような荘厳な雰囲気に触れる機会をいただいたことは、とっても意味があると思います。これからもよろしくお願い致します。
さて、この世には、人間の数くらい神様がいらっしゃって、何がいいと言い出すと頭領の頭では、許容範囲を超えてしまいます。ただ、頭領がまだ十代の後半にカトリック教会で出会った先輩から受けたお話です。「カトリックには、亡くなる直前に洗礼を受ける方を天国泥棒などと呼ぶふざけた人たちがいるが、君は、そんな考えに流されてはいけない。我らの主が十字架にあったとき、同じく十字架の刑を受けていた罪人の一人に主が微笑んだこと、知っているだろう。要するに我々は、死の直前、目の前に想像もつかない神々しいものを見る、そのときに、自分のけがれを知り尽くして尚、その神々しい方か、場所に近づきたいと思うか、いや、とても近づけないと思うか、そこにあるのは、自分の判断で、我々の信じる神は、どんな大きい罪を犯した者にも、考え違いをした者にも、「おいで」っと言ってくださる、これはいい、これはだめっていうようなちんけな神じゃない。あなたのところにいきたいんですという者すべてを受け入れてくださる。それが神様という存在で我々には、計り知れないんだ。つまり、最後の審判は、自分がする。人間の想像できない、とんでもない神々しい方か場所に出会ったときに、素直に、あぁそこに行きたいと言える人間になりなさい、そして宗教の意味がそこにある。」その言葉を聞いたときから、人を傷つけない、お金も人も集めないすべての宗教を正しいと思えるようになりました。自分のけがれをおして、尚、そこへ向かうことができるその心を作るには、宗教は不可欠です。だから頭領は、それぞれの宗教の教義は勿論理解できませんが、それが正しいものであるとを感じる宗教すべてを大切にしたいと考えています。
塞翁が馬
何が幸福の始まりで何が不幸の始まりかは、わかりません。頭領の中学時代の先生の口癖で、「人間万事塞翁が馬、災い転じて福となす、失敗は成功のもと、雨降って地固まる」とよくおしゃっておられました。受験勉強のうまくいかない生徒に多分、励ましているつもりでこの故事ことわざを連発されてましたが、国語の点数が悪かった友人Aは、「災い転じて・・・」の辺りで遠吠えしてたのを思い出します。
とはいえ、45才になった頭領には、なるほどっと思いあたることも多々あります。半身麻痺の体になったこともその一つです。動けない、つかめない、走れないこの体のおかげで、どれだけの幸福を得ることが出来たかことか・・・。でも、詳しくは言いません。もし、全部言ったら、みんな、びっくりすると思います。が、勿体ないので言いません。どうせ、障害者の強がりだっと思って下さい。障害者は強いんです。これは、何人かは、共感してもらえると思います。しかも塞翁さん、僕は、不幸が一生続くように、障害がずっと続くので、不幸は多分もう来ないんじゃないかって思います。如何でしょうか。塞翁さんもうらやむ頭領です。
今吹衆!とにかく、つらくてしんどいときこそ、受け入れて喜べ、ここから始まる幸福がある。これがスタートだ。よかったな。
人間万事塞翁が馬、災い転じて福となす、失敗は成功のもと、雨降って地固まる、かつての恩師の口癖である。
大切な三つの「つ」の話
頭領は、自分の子供たちに(特に男の子に)、男には、大事な三つの「つ」がある話をよくしました。「つ」?、なにかわかりますか? 「つ」です、「つ」・・・、ふざけているわけでなく、順番は、どうでもよいのですが、まずは、武術の「つ」、次に法律の「つ」、それに理屈の「つ」、つまり、韻を踏んでるわけですな・・・。つまらん!
さて、はじめの「つ」は、「武術」の「つ」、男の自信は、強い体、鍛錬された心、相手を倒すことのできる技から生まれると信じていた頭領は、自らもいろんな武道を学び、子供たちにも学ばせましたが、結局、芦原空手を学ばせた長男はバスケ、テコンドー戦士を目指さした次男は、サッカー、武道の良さを熱く語って聞かせた長女は、さんざん迷って、柔道部に入らず、吹奏楽部に入部、一番末の愛娘は、遊びの中で空手の練習してたのにいつの間にか、母の罠にはまりバレーを・・・、なんでやねん。次の「つ」は、「法律」の「つ」!世の中のルールを身につけることは、この日本において、力にもなるし、隣人を守ることもできる。仕事では武器になるし、遊びに深みを持たせることができる、それが、法律だと思います。最後の「つ」は、「理屈」の「つ」です。何かがそこに存在し、ある事柄が起こったとき、その物・事の「理(ことわり)」をいち早く理解する者は、誰よりも前に進むことができる。頭領は、子供たちに三つとはいわない、一つでも大切な「つ」を自分のものにしなさい、と言いました。この「つ」を自分のものにするためには、鍵が必要です。武術の「つ」には、健康、つまりは正しい食生活と規則正しい生活、法律の「つ」には、勤勉、つまりは、学ぶことに対する謙虚な姿勢、学ばせていただいておりますという心構え、理屈の「つ」には、感性、つまりは、貪欲なまでの観察力と研ぎ澄まされた直感。三つの「つ」は、相乗効果を生み、男を・・・、いや、人を更に上へ、更に上へ、とステージを押し上げてくれます。とはいえ、偉そうに曰わっても、頭領は、未だ一つの「つ」も我が物にしていません。ま、日本の子供たちに期待しております。うちの子は別として・・・、いや、うちの子も含んで・・・。どっち?まいいや!
今吹衆よ!武術の「つ」は自信、法律の「つ」は社会のルール、理屈の「つ」は、世のことわり、これらを身につけて、やがては、一角(ひとかど)の人物となり、この日本を牽引する人物となれ! スポーツチャンバラは、はじめの「つ」を自分のものにしやすいスポーツです。しっかり精進せよ。
和歌山大会お疲れさん会
選手と世話役総勢20人を繰り出した今吹衆の慰安と和歌山大会の無事終了を感謝すべく、西浜の焼き肉屋「でん」にて、宴を催しました。頭領相当飲んじゃって、みなさんのお見送りもろくにできませんでした。すみません。僕の師匠の田中先生は、よく「同好の方々と共に過ごす時間ほど楽しいひと時はありません。」とおっしゃっておられましたが、先生! まさに実感です。ヤスさんやカズさんとこの和歌山にあって、どうやって、スポチャンの裾野を広げていくか、自分は、何がしたくて、おれたちゃ~、何ができるか、そんなことを語り合っているうちについつい酒が進み、カンタ熱唱場面の記憶がほとんどありません。すまん!また歌っておくれ!とっても楽しかったし、店長さんと次期店長さんのダブルサービスも相当ありがたかったです。あれは、サービスというより、愛情の域に達してます。「でん西浜店」さん、本当にありがとうございました。これに懲りず、また利用させてくださいね。
11回目のスポーツチャンバラ和歌山大戦!
所は「大きい波」と呼ばれる武道場。時は、二千から十四を超える七番目の月の六日目、巳の刻、この紀州に集まった各地の兵どもは、七〇を数える。さあ、十一回目の和歌山大戦が始まった!今吹衆からは、十一人の侍と九人の世話役の二十名を繰り出しての大戦!今回の大会は、奈良剣豪の里から一心塾、兵庫から天下無双の真成苑に西宮の雄 松朗館、宝塚から居合いの流れをくむ刀流館、京都書生っぽ侍が、仏教、立命館、大谷の三大学から参戦!北摂の雄 言わずと知れた友心館、大阪の昇り龍 蒼竜館、東大阪の橙竜 攻誠館、河内の暴れ侍 柏原道場、南河内の雄 富翔館、泉州の雄 有朋館、泉州の美侍 熊取クラブ・・・。団体戦参戦の面子です。本大会参加道場は、まだあるかも!これらの兵どもを迎え撃つ紀州侍が、紀中の新星 有田川スポチャン教室、紀北の黒豹 自灯館、大友の一匹狼 松下君、そして我らが風の今吹衆の総勢35人の剣士たち!さぁ、どう勝ち残るか、紀州の侍たち!
早速ですが、今吹衆の結果発表しま~す。→無段二刀の部で優勝 疾風のヤス、異種の部二刀で三位入賞 二刀使いの雪だるま有護、1級から3級の長剣部で三位入賞 戦うアメンボ有誠、無級長剣の部三位入賞 今吹衆の鬼小町モエ、幼年基本動作の部優勝・幼年小太刀三位入賞・幼年長剣三位入賞 風魔のゆう、以上の4人が入賞しました。おめでとう!よく頑張った!他の紀州侍たちも入賞を果たしました。結果は、スポーツチャンバラ和歌山県協会のホームページに掲載されると思います。そちらをご覧ください。
今回の大会、これだけの面子が集えば、そこ、ここで、名勝負を見ることができました。いい勉強させていただいたし、スポチャン後進国の和歌山にあって、これだけの大会を開催できたのは、ひとえに各都道府県協会、京都の学生グループそれぞれの組織の幹部様が、この和歌山のチャンバラーを一つのコミュニティと受け入れていただき、温かく見守っていただいていることの表れであります。心から感謝です! 皆様、本当にありがとうございました。
今後ともこの和歌山をよろしくお願い申し上げます。懲りずに、またお越しください。今吹衆どもは、日々の鍛錬を怠らず、皆様をお待ちし、そして、皆様の所に出張っていくつもりです。
今吹衆の冒険!
今は昔、木の国の今福というところにで4人の侍がおりました。4人は、剣術を学んでおりました。人々は彼らを風の今吹衆と呼んでおりました。4人の今吹衆は、八つの風を自由に操る練習をしていました。ある夜、4人は、今吹衆の頭領に呼ばれ、北摂にある友心山の頂上にある黄金の杯をとってくるように言われました。4人は、友心山の頂上目指して、木の国を出発しました。その4人とは、戦うアメンボ有誠、二刀使い雪だるまの有護、疾風のヤス、浪風(ろうふう)のカズ、の4人衆でした。途中、自灯の若武者ショータも仲間に入り、5人は、友心山のてっぺんにある黄金の杯目指して登り始めました。その山には、各地の猛者達が、同じく黄金の杯を目指して、友心山の頂上を目指して集結しておりました。はじめ、今吹衆達は、一人一人別々に友心山を登り始めました。4人のうち二刀使いの雪だるまが、じわじわと頂上付近まで登り詰めましたが、もう一息ってところで、この友心山の民で大谷に住む風磨君に行く手を阻まれ撃破されました。疾風は、長剣を担いで一気に頂上まで駆け登りました。途中、剣豪の里一心塾の侍と勝負にも打ち勝ち、いよいよ頂上にたどり着きましたが、そこには、すでに蒼い龍が居座っておりました。疾風は、果敢に戦いを挑むも、すんでの所で、黄金の杯を奪われてしまいました。5人は、改めて力を合わせて友心山の山頂を目指し歩き始めました。しかし、まだ山裾に着いたところで、天下無双の名を欲しいままにする真成の剣士達と出会ってしまいました。今吹衆にとっては、強すぎる相手でしたが、浪風がいいます。「さぁ、楽しもうぜ!」それを聞いて、勢いよく飛び出したのは、盾と小太刀を背負った疾風、しかしながら・・・、善戦むなしく敗退しました。これを見た、小太刀を持ったアメンボ、「ヤスさんが負けた・・・。ならば、俺は、今吹衆のために絶対に勝たねば!」と腹をくくりました。下馬評の段階で、アメンボは、「ごまめ扱い」とされていました。アメンボの気持ちは高ぶれど、なんと言っても相手は、真成の剣士、勝てるわけがない!技術も経験も目に見えて、相手が上!。誰もが、真成の剣士の前に打ち据えられるアメンボを想像しました。・・・が、時に気迫が、技術や経験を上回る事があります。心・技・体を超える気は、武運の男神も幸運の女神もあらゆる神々を揺り起こしました。そしてアメンボの気迫は、真成苑の剣士をつまずかせました。これは、偶然ではありません。つまずくはずのない剣士をつまずかせ、持っていた小太刀を大剣に替え、真成の剣士から、一勝をアメンボがもぎ取りました。これらは、すべて鬼気迫るアメンボの気がなせる事でした。しかし、この一勝は、残った静かなる真成の剣士達に火を付けました。長剣を担いだ自灯の若武者、盾と長剣を操る浪風、二刀使いの雪だるまも全く歯が立たず、バッタバッタと切り倒され、今吹衆の冒険は、これまで!頭領にいわれた黄金の杯は、手に入らなかったものの、今吹衆達は、次の冒険にワクワクしながら、それぞれの新しい経験値とそれぞれ相応のお宝を手に入れて木の国へと帰っていったとさ。
さぁ、次の今吹衆達の冒険は、如何に如何に!続きはまたの講釈で!
アナと雪の女王
この前、ディズニー映画を娘をつれて(連れられて?)見に行きました。実は、頭領、ディズニー映画を映画館で見たのは初めてです。ディズニー映画って、アニメのイメージで、それも頭領の好みに合わない人物絵柄、ディズニーなぁっと思いながら、大して気乗りもせず、天気の悪い休日ということで、発券売り場の長い列に並んで、ちょっと不愉快・・・。しかし、映画が始まって、はじめの数分で、「こりゃあ、人間は勝てねぇな」っと思いました。ここまで、コンピューターで映画を作ってしまったら、人間がいくら、完璧なスタジオで、完璧な演技しても「これじゃ及ばない・・・」、風景といい、人の表情といい、歌も音楽も、エルサが氷の城を作り出すシーンなんかは、言葉も出ません。ともかく、すてきな映画でした。この感想が頭領に一番相応しくない感想で、お恥ずかしい・・・、二度言いません。この映画、ストーリーもとってもよかったです。過去、寒い思いをした頭領にとって、エルサが、自ら負いし、生き様に踏ん切りをつけて、「少しも寒くないわ!」と歌いきるシーンに共感し、感動してしまいました、柄にもなく・・・。うちの娘も言いましたが、雪の女王が寒くないのは、当たり前っと思わないでください。エルサが寒かったのは、自分が存在することを疑っていたこと・・・。一番確固たる存在である自分が信じられない状態は、怖いんです。恐怖は、寒い。頭領は、半身不随になったはじめの一週間は、何が起こったのか理解できませんでした。次の一週間で不安を感じ、次の一週間で恐怖を感じ、しばらく寒くて、自分の動かない左側を受け止めた時、つぶやきました、「俺がつらそうにみえるか!少しもつらくない」っと!本当にすてきな映画でした。・・・ぎゃぁ、また言っちまった!最後を男女の愛でなく、姉妹愛を持って、真実の愛としたところにもなんだか、頭領的に落ち着いたエンディングで、途中、ダブルハッピィエンドで閉める気だなっと思わせて、演出も小癪だぜ、ディズニー・・・。もう言いませんが、本当に・・・すばらしい映画でした。
口開けて はらわた見せる 柘榴かな
頭領、またやっちゃた・・・。反省の意を表して告白致します。
頭領、昔から、どっちかって言うと、感情をむき出しにしてしまうタイプなんですが、そのたびに反省してんのに・・・。カッてなると、もう声が大きくなってしまうんです。そのたびに「口開けて はらわた見せる 柘榴かな」って句を(マイナス的に)思い起こすんです。といっても、実は、柘榴ってあんまり食べたことないんです。前の職場の庭に生えていて、つまんで取ってるシスターから、一粒もらって食べました。甘酸っぱくて、いい感じ!でも、裂けた落ちた柘榴は、確かに見た目、あんまり気持ちのいいものでなかったです。花は、ちょっとハデハデで、桜好きな頭領は、派手な花が苦手です!さっき初めて知ったんですが、これ、芭蕉の句だそうです。頭領は、新渡戸先生の「武士道」でこの句を知りました。
ん、何の話だったかな・・・。そうそう、この前、京都に行ったんです。あるお店で駐車場に車を止めようと思うと、お店の出入り口から、遠くに離れた所に停めるよう誘導され、足の悪い頭領は、娘の肩を借りて、入店しようとしたら、あるんです、入り口のそばに車いすマークの駐車スペースが・・・!、早速、店長さんに車いすシールも貼ってるのに遠くに停めさせるのは、おかしくはないですか?と訪ねると、その店長さん、「あなたの車は、背が高くないですか」と聞き返され、「普通の乗用車ですが、それがなにか?」と応えると、「足が悪いなら、私でなく、駐車場係にそう言ってください」と言われ、カッ!て音が聞こえまして・・・。車の背が高いかどうかの質問も意味不明な上、この返事!上に立つ者として、失格!後から来る車いすマークのついてる車を運転する仲間たちのこともチラついて、この一言は許してはいけないと考えた瞬間に、場所も顧みず、大きな声をだしてしまいました。いくら主義主張に誤りが無くても大きな声で威圧するのは間違ってる。そこで、大声出しながら、いつものように浮かんだ言葉は、「はらわた見せた柘榴」、いやはや、みともない・・・。いや、柘榴が悪いんじゃない、柘榴は、おいしかった。悪いのは、大声出す頭領!だから正しくは、「はらわたを見せた頭領」です。かつての日本人は、感情を外に出すことをよしとしなかった。ガッツポーズした横綱がお叱りを受けた例は、他の国の人には理解されないでしょう。しかし、現代に生きる頭領は、大声はともかく、良いことなら、表に出して良いような気もしてます。表現下手の日本人も変化しつつある。でも、頭領は注意しよう。威圧や、大声からは、なにも生まれない。相手の改心も自分の反省も・・・。こちらの良い部分さえ自分の大きな声が、吹き飛ばしてしまい、白い目で見る店員さん達の中に、娘が混じっていなかったことが唯一の救い。でも後から来た障害を持つ仲間たちは、ちゃんと誘導してもらえたかも不安。もう一度、「口開けて はらわた見せる 柘榴かな」
我々日の本の民は、言わねばならないことの言い方を学ばねば!我慢するだけが「徳」ではない。他国の皆さんとうまくつきあうためにも言わねばならぬことを正しい方法で言うこと。日本のリーダー達が、今、正しい方法で必至で戦っていることを心から願い、応援します。中も外も輝き見せる柘榴石・・・
孫市祭りスポチャン体験会
例年通り開催されました孫市祭りです。例年と言いましたが、今年は、全く違いました。朝からビックりする大雨でした。バケツをひっくり返したなんてもんじゃない、バケツの中にいるのかって思うくらいの雨・・・、しかも、頼みとする有朋館勢から、この雨では、応援に行けないという連絡があり、スポチャン体験会は、いよいよ中止かと思いながら、頭領一家は、会場入りしたんですが、なんと、雨の中、ヤスさんがいる、しかもご家族で!これは、大船に乗れたぞ!しかも別働隊の応援チームすでに体育館に陣取っている。そうこうしてるうちに田中先生も由良先生も福森先生も石上先生もカズさん一家もカンタも参加、これで矢でも鉄砲でももってきゃがれ軍団成立です。たのもしいな!とはいえ午前中は、人がいなくて、皆で、呼び込み開始、チラシも配って、切り込み隊長カンタの縦横無尽の声かけ作戦にかなりに人が集まりました。昼からは、天気も体験会も打って変わって、30~40人くらいの子供たちが押し寄せ、スポチャンを体験をしてくれました。ハラハラどきどきの孫市祭りスポチャン体験会でした。
兵庫県本部講習会
神戸で、スポチャン兵庫県協会主催の本部講習会があり、田邊哲人会長の講習を我が今吹衆から、やっさん、ユウゴ、ムーマ、みさほさんの四人に受けて貰いました。ゆくゆく紀州スポチャンのリーダーになって貰いたい面子です。四人各々、思い思いの感想なり、知識なりをもってもらえたと思います。大先生は、以前にも増して、お元気そうで、何よりです。まだまだ小さい存在ですが、我らが紀国にもお越しいただきたいな、そう思いました。頭領は、ベビーシッターをしていたので、大先生のお話を聞くことが出来なかったのが残念ですが、聞くところによると、講習は、部外競技にお力が入っていた様子、この和歌山でも田中先生率いる、部外競技の勉強を中心とする和歌山同好会(以下、和同会と言いますね)が、この3月から始動します。実は、頭領のその昔、大阪大会で棒の部で準優勝したことがあって、部外競技は、部外と言われながらも、スポチャンの醍醐味、これがおもしろい、そう思って、当時の東大阪道場が購入したエアー棒を借りまくって、あっちに棒のうまい人がいる、こっちに棒好きが集まってるっと聞くと厚かましく出稽古させて貰ってました。なつかしい日々です。大阪府連の林理事長に無理矢理、棒のご指導頂いた事があって、林先生から、「高島さんは、棒をブンブン振り回して、相手をバンバン叩こうとするがそもそも使い方が違います、棒は、相手の攻撃を受けるための得物なんです。受けて受けて、凌いで凌いで、相手の攻撃に現れるスキを見逃さず、ポンと突けばいい。棒で防御の技術、相手の隙を見る目を養って下さい」と教えていただきました。小太刀護身道から生まれたスポチャンが、槍や、盾長剣を練習する所以が、林先生のその言葉の中にありました。そしてその言葉は、当時、剛剣使いだった頭領自身のチャンバラスタイルに大きく影響しました。凌いで凌いでポンってか!これこそ正に「仁!」このブログを古くから読んでいただいている方には、なんこっちゃ分かってもらえると思います。ルールが厳しくなって部外競技がおもしろくなくなったという声も聞きますが、それも修行の一環、鍛錬あるのみ、近道はないですよね、大先生!
さあ、今吹衆、どんな用具にもどんな練習にも神髄というものがある。表面ばかりで無く、神髄を見る目をもってることが達人の条件よ。チャンバラだけじゃねぇ、神髄見切って、生きる達人になろうぜ!
伝承館でスポチャン(デモスポ行事)紹介!
わかやまスポーツ伝承館は、和歌山県のスポーツ記録とか成績を県外・県内に紹介し、スポーツの魅力を発信している施設です。ここに、小さいスペースですが、国体デモスポ行事に選らばれたスポーツの紹介コーナーがあり、あった、あった!我らがスポチャンも並んでおりました!
国体のデモンストレーションとしてのスポーツ行事(略称デモスポ行事)とは、各都道府県が天皇杯・皇后杯の獲得を目標に競い合う「正式競技」とは別に、国体開催県において 広く親しまれているスポーツ、今後普及する見込みがあるスポーツをするんだ。「デモスポ行事」は、県内の子供からお年寄りまで、みんなで参加できて、国体開催期間中に各市町においてゲームを実施するんだって。
デモスポ、なんだか、楽しそぉっわけで、みんなでチャンバラ大会やりたいな!デモスポ行事「スポチャン大会」の会場地は、有田川町、場所は、藤波小学校です。国体開催期間にスポチャン大会が行われます。
この大会に今吹衆は、当然のことながら、参戦しますが、是非、各体験会で、スポチャンを味わった子達も集まって、和歌山の子供ならみんなに参戦資格があるぞ。優勝目指して、いっちょ、やってみようぜ!
さぁ、2015紀の国和歌山国体、みんなで盛り上げようぜ!
白浜町体験会
ここは、きれいな街です。この日は、天候も抜群だし、何より冬の海はとってもきれい!っと、いうことないロケーションでした。この環境で、体験会をさせてもらえることにワクワクしながら、感謝しながら、白浜入りです。三〇分前に白浜総合体育館に入りましたが、すでに田中先生がお待ちで、僕以上にワクワクを感じておられることがその表情からうかがい知れます。スポチャンを大切にしておられるこの先生は、なんと短刀の部で世界大会三位に入賞されたことのある実力の持ち主です。ので、田中先生がいてくれると、頭領は、とっても心強いので、参加の子供たち以上に体験会を楽しむことができます。
さて、頭領の体験会は、パターン化しつつあって、最初にルールも歴史も宣伝もスタッフも全部含んでのスポチャン紹介して、続いて、扇打ち、すくい打ち、回し打ちの三点セットをまず、打ち込んでもらい、さらに、上囲いから足打ち、足引きよけから小手打ちで囲いとよけを練習してもらって、だいたい参加者が、20人くらいいれば、このへんで、一時間になるようにしてます。休憩はさんで、サバイバル、合戦と、ちょっとゲームを楽しんでもらえたら、最後に競技としてのスポーツチャンバラを味わってもらって約二時間くらいになるようにしてます。で、今回は、はじめに聞いていた人数が多かったのと、こちらのスタッフが少なかったので、先に勝ち残りの対戦を実施しました。この辺は、臨機応変に、目的を初めてスポーツチャンバラを体験する子たちに「おっ、これおもしれぇ!」って思ってもらえることに絞って体験会を構成していくことに心がけています。・・・力入れすぎか・・・
話を白浜に戻して、ここの子供たちは、とっても純粋です。こちらの思惑も意図もなにも感じることなく、素直にスポチャン楽しんでくれました。子供たちがノリノリで、でも個々で楽しいんじゃなく、みんなで楽しいときは、講師の側もこれ以上ない至福の時間を過ごすことができるんです。何より、ここでは、子供たちを連れてきていただいたお母さんたちも参加してくれて、場をもりあげてくれました。つまりは、白浜の子供たちが純粋な原因は、この青い空ときれいなこの海と、このかーちゃんたちだな。上手な写真が撮れないのが残念だけど、ほんとうにこの町は、子供たちを上手に育てておられる、そんな印象を持った体験会でした。
何はともあれ、いろいろ準備していただいた上、当日も模範試合等ご協力をいただいた、白浜町役場観光課の中原さん、他ご関係の皆様、ありがとうございました。この紀南の地でスポーツチャンバラを支えてくださる石川さん、今吹衆とも交流いただければ、うれしいです。では皆様、お声かけくだされば、今吹衆は、馳せ参じます。ありがとうございました。
八幡台小学校子供センター体験会
本日、八幡台小学校子供センターさんのお声掛かりで、今福小学校子供センターさんに続いて二度目の子供センター体験会を行って参りました。この和歌山にして珍しく雪が降り積もり、ほんとに子供たち来るのかなって思うほど、寒さは、半端でない日でした。しかし、子供たちは、裸足でスポチャンに熱中してくれました。
初めにスポチャンの歴史や用具・ルールの説明して、打ち方、守り方、よけ方の練習、さらに対戦マナーと対戦感覚を磨いてもらって、ここまで来れば、みなサムライです。迷うと無くサバイバルへ!4戦ほど楽しみました。今回唯一幼稚園児で参加した今吹衆のまちかちゃん、すみっこで、全員自滅をじっと待ち続け、2回の生き残りを達成、三回目は、開始スタートから小学生達の狙い撃ちであえなく敗退、そう!サバイバルは、強い者より、周囲を見る力のある者が生き残る、それが神髄です。続いて、学年別に競技としてのスポチャンを体験、二年生の女の子が3人抜きの大勝利の後、3年生の男の子が4人抜きの逆転劇、勝って負けてがおもしろいスポチャン、これも神髄です。ここまで神髄を究めた君らは、いよいよ二手に分かれての合戦勝負!今吹衆の中学生が仲間に入ったカラー面チームは、作戦を練りに練って、鶴翼の陣にて黒面チームを迎え撃つ、対する黒面チームは、作戦を立てるリーダが無く、今吹衆久保田さんのアドバイスも聞き流してしまい、第一戦目は、カラー面チームの圧勝、続く二回戦では、やはり、鶴翼の陣から横隊の陣に形を変えたカラー面チームに対して、これではダメだと作戦を立て、黒面チームは、密集陣形にて迎え撃ったものの、ギリギリの勝利とはいえ、再びカラー面チームの勝利!何とか勝ちたい黒面チームは、第三戦目にて、コートの隅にハリネズミの陣を敷き、最後の決戦に臨む同じく鶴翼の陣で攻めてくるカラー面チームのリーダーが、攻めてこないハリネズミにイライラしたか、防御の陣を単身で崩しにかかるもあえなく失敗、それを見たカラー面チームが、一斉攻撃を開始、それをハリネズミでなんとか受けしのぐ黒面チーム、数人が鶴翼の陣の後ろに回り込んだ黒面チーム、二度の敗退を味わったが、ついに勝利の鬨の声!
こんな感じで、合戦も体験会も修了しました。
寒さを吹き飛ばす八幡台の子供たち、裸足では、立っていられないはずの板の間の体育館が、ほんのり暖かく感じたのは、頭領だけではないでしょう。滅多に積もらない雪も凍てつく寒さも記憶を呼び起こすパスワード、このような体験会のお声かけいただいた八幡台小学校の赤木PTA会長様に感謝です。いつでもお声掛け下さい。今吹衆は、いつでも馳せ参じます。参加してくれた八幡台小学校の子供たちにも感謝です。みんな、また、スポチャンやろうな!
何はともあれ、手伝っていただいた中谷親子にカズさん、マチカ、ミチカ、ユウマ、みさほさん、皆の喜びは、あなたたちの力です。お疲れ様でした。
あさすぽさんの取材を受けました。
今吹衆は、あさすぽさんの取材を受けました。知らない人に写真を撮られるって緊張するよな。みんなの基本動作が、いつも以上にかっこよかったです。ので、頭領の号令もメッチャ、気合い入りまくりでした。おっさんのダミ声の間に入り込む「カシャッ」、「カシャッ」って音、意識するなって方が無理だわな。3月までには発刊されるそうです。どんな風になってるのかなぁ、楽しみだなぁ。
色んな人にスポチャン知ってもらう方法として、今回の取材の機会は、とっても有り難いものです。実は、取材に至った経緯が一向に分かりませんが、取材のお申し出を戴いたあさすぽさんに、まずは感謝です。有り難うございました。僕らは、事ある毎に自信を持って、スポチャンは、いいものですよって言いますが、そう言わせていただける場所は、なかなかありません。これは、スポチャンに限らず、これいいんだぜ!って公に言う場って普段からあまり、与えられないですよね。でもみんながいいと思うものは、気がつかぬ間に確実にひろまります。ある先生から、派手な企画も、資金のばらまきも人の心を動かさない。これいいなって思って貰うには、飾らない真の姿とスポーツチャンバラに対する奉仕の精神で、地道に体験会活動を開くことっと教えて頂いた事があります。そうそう、その時、アマチュアスポーツであればこそ奉仕の精神は、「なるほど、そりゃぁ、そうですね。」っと答えるとその先生曰く、「アマチュアスポーツであるなしではなく、それを伝える我々が、このスポーツを大切にしてますかってことなんです。このスポーツを皆に愛してもらうために無理できますかってことなんです。」っと教えてもらいました。「奉仕の精神では、長くは続かない、体験会には交通費もかかるし、道具は、壊れるし、だから、このスポーツを大切にするからこそ、皆にも、お月謝を出していただくし、お月謝を貰う以上、道場長には、門下を強くする責任がある、奉仕の精神などと美しい言葉に酔ったり、逃げたりしないで、何に対価を求めて、何に無理をするかよく見極めなさい。」と諭され、道場するってぇのは、難しいんだなって思ったことがあります。頭領は、まだまだ未熟な道場長なんです。
なにはともあれ、取材に来てくれた朝スポの川畑さんと協力してくれた今吹衆に感謝です。みんな、有り難う。ここの写真は、あさすぽさんからいただいたものです。さっすが、写真写すの上手だなぁ、有り難うございます。
さぁ、次は、八幡台小学校子供センターで体験会だ。よろしくな!
刀龍館大会に参戦!
とってもハイレベルな試合で、とっても勉強になりました。兵庫県勢は、本当に強いなぁ。何喰ったら、あぁなるんでしょう。出稽古行きたいな、今吹衆のレベルで相手してもらえるかな。今回参戦した今吹衆は、マチカ・ミチカ姉妹、ナオト、ユウマ、カンタ、ヤスさん、ミサホさんの7名です。成果は、ユウマが中学生の部、二刀で三位に入賞できたこと、それより、ナオトが小太刀で1回戦突破したこと、1勝がナオトの目標でした。飛ばない、突っ込まない、この二つを肝に銘じて試合に臨んだ結果です。今吹衆、試合で一勝するって難しいだろ、初めは、簡単なことではないんだ。でもな、場数踏むと出来てくる、今回は、初試合の者もいたので、まずは、経験値アップさ!その意味では、今吹衆、目標達成だ!よく頑張ったぞ、次回は、みんな、一回勝とうな、次は、和歌山大会だ!
さてさて、今回の試合で、ユウマとカンタとヤスさんは、護身道ルールに戸惑ったかも知れない、見てると、選手の異義を認めないのと致命的な打ちしか取らない、その関係で、この大会では、足打をほとんど取りませんでした。これは、チャンバラーには、はじめの第一歩で滑った「だるまさんが転んだ」状態でした。足払いの出来ない柔道、下段回し蹴り反則の実戦空手、ジャブ禁止のボクシング、そんな感じです。分かります? 特に八風を掲げる今吹衆には、このルールは、出鼻をくじかれる感じだね。ですが、異義申立がない、浅い打ち込みが流されるスポチャンは、武道チックな印象を受け、白黒もはっきりするので、気持ちよかったです。ただ、その分、審判の誤審も多かった気がします。選手は、異義を言えないので泣く泣く試合場を後にしますが、このルールにエアー剣が向かないかも知れません。少々の得物の堅さがあれば、受けた剣か当たった剣か、よけた突きか当たった突きか分かるでしょう。エアー剣では、打った方も打たれた方もよく解らないことがあるのにまして、4人の審判が、分からないのは、しかたない気もします。ので、まだまだ研究の余地がある様に思います。よい経験をさせて戴きました。刀流館の宮津先生、今後ともよろしくお願い申し上げます。
自灯館に行って参りました
また出稽古いこうなって、言った瞬間、出稽古です。今度は、紀北の黒豹自灯館です。ここは、今吹衆にないピリピリ感のある道場で、今吹衆には、刺激のある道場です。今回は、マチカ・ミチカ姉妹とヤスさんカズさん義兄弟と雄大君と雄大ママの6人でお邪魔しました。今回、頭領は、自灯館と今吹衆の子供たちの指導をさせていただきました。総評でもちょっと言わせて貰ったけど、自灯館の子も受けがうまいのです。でも受けるのが上手い、だけでは、50点なんです。前回の有朋館への出稽古で言いましたが、受けは、次の攻撃の布石になってこその受け、つまりは、受打という一つの技で無ければ、100点は取れません。自灯館の子供たちに受けるときに一歩前に出てごらん、というアドバイスだけで、今吹衆は、お手上げでした。受けるのは怖いんです。それをぐっと押さえて、一歩踏み込んで受けると受打の完成です。そうそう、小さいながらも術を使う坊やがいました。足うちする前に剣の柄を相手に向けて、剣を抜く仕草を見せるんです。すると、相手は、頭を割られるって気になるんですね、咄嗟に頭を引いて、足が残る体勢になる。この足を払うんです。おぉ、坊やにして既に剣士・・・。頭領をうならせた技でした。出稽古行くと色んな技を見ることが出来て、やっぱやめられません。とにもかくにも、ヤスさん、カズさん、マーちゃん、ミーちゃんお疲れ様でした。次は刀流館大会だ!
有朋館に出稽古に行って参りました
やっぱり老舗の道場だな。空気が違います。ここから、たくさんの名人上手が巣立っていったことを思うと身も引き締まる思いです。我らのカンタ、ユウマ、ヤスさんの三名が有朋館のみなさんにコテンパンにされながら、しかし確実に強くなり、一皮むけた、感じです。有朋館は、斯く言う私も現役時代によく出稽古させて貰った道場です。当時は、狭い道場だなっと思っていた道場が今回は、随分広く感じました。柚岡先生曰く、正月の鏡開き後は、いつも人が少なくなる,との由。よく解ります。今吹衆も暑い寒いにメンバーが少なくなります。これは、サボりだけでなく、免疫低下然り、食欲低下然り、体力そのものの落ちます。そのくらい、暑いも寒いも異常です。根性がどうこう、精神論唱えるつもりもないので、今吹衆が来ないと心配だし、来たら来たで、この寒いのに大丈夫かと思うし、早くいい季節にならないかな・・・。
さて、グチはこの辺で、有朋館の特徴は、やっぱ、あの受けにあると思います。攻めのための受け、正に「後の先」、というより、「護の戦」これが、有朋館の神髄です。今吹八風に「山颪」という技があって、これは、後の先なんですが、タイミングが非常に難しい、使えると、かなり、必勝技なんですが、今吹衆には、まだどの八風も使えるレベルの者がいません。なので、今回の有朋館の出稽古は、とっても勉強になったと思います。有り難うございました。なにはともあれ、ユウマもカンタもヤスさんもよく頑張った。また出稽古行こうな!
第二回 今吹衆昇級審査実施!
今吹衆にして二度目の昇級審査です。今回は、カンタが小太刀一級、ユウマが二刀一級、彼等は、来年、昇段審査を目標として今回1級の審査を受けました。小学生は、ナオトが長剣5級、ミチカが、小太刀4級をそれぞれ受審です。雰囲気も場所も違うので緊張したと思います。今吹衆の初級審査では、将来の夢を公表して貰います。漫画家、デザイナー、歴史に名を刻む、高校合格、遠い夢近い夢、夢は何でもいい。夢を持ってることが君らを強くする。つまりは、夢を語れないヤツが強いはずがない、そのポリシーから、上の級を目指す君らには、当然のことと、夢について聞かせて貰った。各々練習量も違えば、キャリアも違う、でも自分の受審する級位に必ず合格するぞっていう気迫が感じられました。とってもいい級位審査だったと思います。対戦の相手を務めてくれたヤスさんカズさん、有り難うございます。あなた方には、次回の昇段審査を目指して戴きます!そのおつもりで・・・。
さて、実は、この日が、今年最後の練習でした。基本動作をみんなでやって、稽古納めとしました。今吹衆を応援してくれる方々から、ジュースの差し入れや、ノート・ボールペンなどを戴きました。小さいけれど、育成母集団の誕生です。本当に有り難い話です。
さぁ、これで2013年今吹衆が幕を閉じます。次回の幕開けは、2014年1月6日が練習初めはじめです。この12月は、怪我があったり、警報があったり、寒くって、お休みも多かったけど、来年は、みんな頑張って、幕を開けにこいな!来年1月には、刀流館の試合もある。試合に出る子の出ない子も、寒さに負けるな、頑張って練習しようぜ!なにわともあれ、今年は、演武したり、近畿大会に出たり、合同練習主催したり、いろいろあったよな。ほんと、今吹衆たちにもママさんパパさん達にもお世話になりました。来年もよろしくな!
那智勝浦スポーツチャンバラ体験会
いや~、那智まで行ってまいりました。この日は、風がちょっと強めでしたが、天気は上々、朝まだくらいうちに出発し、朝食も車で取って、現地入りしたのは、9時頃、早朝ドライブは、気持ちのいいものです。それもこれも協力してくれる家族があってのことと、半身不随の頭領は、とっても感謝しております。さぁ、気分よく現地入りすると那智勝浦でレスリングの紀の国和歌山国体開催記念の第7回新宮ジュニアレスリング大会が行われておりまして、われらがナオトもこの大会に出場すべく那智勝浦体育文化会館におりました。がんばってねぇっと声を掛けるもナオト緊張義気、集中削いではだめっとうちのメンバーに言いながらスポチャンの準備始めました。前日にユウゴが16本のエアー剣に空気をいれてくれてたので慌てることなく準備が進み、お陰で田中先生との打ち合わせに充分な時間があり、本体験会主催の那智勝浦町教育委員会国体準備室の西村副主査さんと庄司さんとも子供たちが来る前にスポチャン体験を田中先生、ユウマ相手に軽くやっていただきました、西村さんは、現役ばりばりの剣道家で打ち込みの豪快さは、流石!と今吹衆をうならせるものでした。さて、その間、頭領はゼットテレビ新宮放送局の森さんに情報提供してました。森さんの耳元で「そもそもスポチャンとは・・・」「そうか、ぬしも悪よのぉ」っと言う感じでした。
そうこうしているうちに、着々と紀南の剣豪達が集合し初め、12人の子供たちと二名の大人が集まり、体験会が始まりました。初めにスポチャンについての解説、用具の取扱い、ルール説明、準備体操して、打ち方、よけ方、囲い方を練習しました。ここまで来れば、皆様、立派なチャンバラーです。ので、早速、実戦に入りました。まずは、サバイバルです。皆さん、これゲーム感覚でおもしろいっしょ!三戦実施しました。続いて、競技としてのスポチャンを経験して貰いました。子供の部トーナメント、大人の部トーナメントで、最終グランドチャンピオンを決定し、かわいい女の子ですが、なおちゃんが見事、優勝です。続いて、二手に分かれて、合戦です。作戦をじっくり練った方が勝つんです。その為にリーダーシップが取れるメンバーのいるチームが有利になります。それが分かると作戦タイムがだんだん長くなります。その様子を見てるのがおもしろくて、頭領は、体験会には、合戦と城攻めは、入れるようにしてます。最後は、団体戦です。チームWAKAYAMAとザ・パーフェクトにわかれて、先鋒・次鋒・三将・中堅・副将・大将の6人戦です。結果、チームWAKAYAMAが勝ちました。
最後に西村副主査さんが、「みなさん、楽しかったですか!」というに、「はい!」と大きく返事をした那智勝浦の子供たちを見て、遠くに出張ってきたことも忘れて、ほほえむ田中先生と頭領でした。何はともあれ、出会うはずのなかった子供たちと出会う機会を与えていただいた那智勝浦町教育委員会様に感謝です。有り難うございました。
今回は、遠方だったので、頭領一家に助けてもらいました。ミサホさん、ユウマ、ミチカ、マチカ、本当にお疲れ様でした。いつも本当に有り難うね。次は、来年、八幡台小学校で体験会です。この体験会には、今吹衆の力を借りるつもりです。よろしくね。
体験会のお申し出には、許す限り応えたいと思う今吹衆頭領でした。今吹衆!そこんとこ、よろしく! ん、表現が古かったか。世代がばれちまう・・・。