ものの本によりますと、「八風」とは、仏様の教えに基づいた修行を妨げる八の事柄だそうです。人が欲する四の事を四順「(利い(うるおい)=目先の利益、誉れ(ほまれ)=名誉をうける、称え(たたえ)=称賛される、楽しみ(たのしみ)=様々な楽しみ」と呼び、人間が避ける四の事を四違「衰え(おとろえ)=肉体的な衰え、金銭・物の損失、毀れ(やぶれ)=不名誉をうける、譏り(そしり)=中傷される、苦しみ(くるしみ)=様々な苦しみ」と呼んで、この八つの事柄を八つ風に喩えるのだそうです。つまり、八風は煩悩。
八風吹不動天辺月 雪壓難摧澗底松 (普燈録)
八風吹けども動ぜず、天辺の月 雪壓(お)せども摧(くだ)け難し、澗底(かんてい)の松
風が吹くと地上の草木はすぐにざわざわと揺れ騒ぐ。天空の雲も風に煽られ、形を変えて流れ去る。だが天上の月だけは、どんな風が吹こうと動ずることなく、何処吹く風とばかり無心にして輝く。また、雪が降り積もれば、多くの草木はしおれたり、おしつぶされてしまうが、谷あいの厳しい環境の中で生え育った松は、大雪にもびくともせず緑あざやかにして、また無心に松声を吟じている。
日蓮様は、修行するしないにかかわらず、普段からこの八風に惑わされないお人が賢い人だとおっしゃったそうです。いつどこから来るかわからないから「風」なんです。それが、そよそよと心地よく吹く風を「薫風」と呼んで、さわやかに受け入れ、熱く人の行く手を阻む灼熱の風を「熱風」と呼んで毛嫌いする。・・・なぁんだ、自分本位じゃねえか。風がどうこうって話じゃねぇや。内から起こる風を「あっ、今、俺、なんか変な風、吹かそうとしてしもたぁ!だめだこりゃ~」と、その都度、知ることが出来れば、賢い人に違いありません。カトリックでは、この内から起こる風を「原罪」と呼び、赤ちゃんにも原罪はあると言います。なら、原罪=煩悩は、ちょっと違うのかなぁ。わかんねぇ。
さて、今吹衆!我らは、自分がどんな風かを知り、いつも一段高い空を見よ、岩山に一歩も下がらない、桜木に見向かず一輪も散らさない。いつか天辺の月にさえ「心地よい風よ。」と言わせる風になろうぜ。八風を操る今吹衆は、このことを理解せよ!