うちのカズさんが、支部長さんだったんです。ご本人は、たいしたことないといいますが、「支部長」って響きがかっこいいじゃありませんか・・・。荘厳な雰囲気の中で、支部長さんの誘導で、頭領登場、しかし、その前に司会の美しい女性が、完璧なスポチャン紹介をし、支部長さんが、国体のデモスポ競技になっていることを説明されての誘導で、ネタ切れ頭領です。チャンバラの歴史を簡単に紹介して、とっとと、今吹衆の可愛いどころに基本動作のお披露目を・・・。おっと、馬鹿にはできないんですよ。今吹衆幼年さんは、和歌山大会の幼年部基本動作優勝者と近畿大会の幼年部基本動作三位入賞者がいて、様になるんです。頭領の出番なんか、なくてもいいんです、本当は・・・グスン・・・、続いて、前出の幼年部さんの小太刀の模範試合、カズサンと有誠の盾長剣対二刀の異種競技にて模範試合をもって、紹介終了です。よい機会を与えてくださいましてありがとうございました。今吹衆たちにとっても、紹介させていただいたことは勿論、このような荘厳な雰囲気に触れる機会をいただいたことは、とっても意味があると思います。これからもよろしくお願い致します。
さて、この世には、人間の数くらい神様がいらっしゃって、何がいいと言い出すと頭領の頭では、許容範囲を超えてしまいます。ただ、頭領がまだ十代の後半にカトリック教会で出会った先輩から受けたお話です。「カトリックには、亡くなる直前に洗礼を受ける方を天国泥棒などと呼ぶふざけた人たちがいるが、君は、そんな考えに流されてはいけない。我らの主が十字架にあったとき、同じく十字架の刑を受けていた罪人の一人に主が微笑んだこと、知っているだろう。要するに我々は、死の直前、目の前に想像もつかない神々しいものを見る、そのときに、自分のけがれを知り尽くして尚、その神々しい方か、場所に近づきたいと思うか、いや、とても近づけないと思うか、そこにあるのは、自分の判断で、我々の信じる神は、どんな大きい罪を犯した者にも、考え違いをした者にも、「おいで」っと言ってくださる、これはいい、これはだめっていうようなちんけな神じゃない。あなたのところにいきたいんですという者すべてを受け入れてくださる。それが神様という存在で我々には、計り知れないんだ。つまり、最後の審判は、自分がする。人間の想像できない、とんでもない神々しい方か場所に出会ったときに、素直に、あぁそこに行きたいと言える人間になりなさい、そして宗教の意味がそこにある。」その言葉を聞いたときから、人を傷つけない、お金も人も集めないすべての宗教を正しいと思えるようになりました。自分のけがれをおして、尚、そこへ向かうことができるその心を作るには、宗教は不可欠です。だから頭領は、それぞれの宗教の教義は勿論理解できませんが、それが正しいものであるとを感じる宗教すべてを大切にしたいと考えています。