果報は寝て待て、待てば海路の日和あり!

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人生、山有り、谷有りと申します。山がいいのか、谷がいいのか、自然は、本当にいい!体の壊れた頭領には、山登りも谷降りもけして楽ではありません。でも、杖を持ってても知る人のいないビルの間を移動するよか、よっぽど「楽」しいに間違いない。山だ、谷だ、と言えば、八風の中に「山谷風」という技があって、術系の技なんですが、大きく吹き落ちる剣を惑わしとし、鋭く下から吹き上げる剣で切る、山風を大きく見せるほどに決まる技なれど、吹き上がる剣の指と手首の使い方を理解できれば、一体どこから打たれたかすら解らない剣になる。是非身につけて下さい。道場ならば具体的に教えます。

つまりは、禍福は糾える縄の如し。苦楽は相伴うの例えもある。これ、まさに山谷風の神髄、楽に見せて、厳しく打つ、この二つの技は、一つで無ければなりません。禍福で糾った縄は、一本なんです。

実は、今、今吹衆は、過去にも何度か訪れたスランプ期に入っています。それを、家族の支えがあって、また、そのたびに起こる新しい出会いがあって、乗り越えてさせてもらいましたが、今回は、何となく今までのケースが当てはまらないです。何が違うのかというと今までは、乗ってる船が今吹丸しか無かったから、これを操って、沈むまい、迷うまいと必至にオールを漕いでいました。が、今回は、大友丸もあって、頭領、沈没はしないんです。兼好法師が、徒然草で「一の矢に定むべし」と行ったことに間違いはありません。山谷風も山の風、谷の風と分けてしまうと技として成立しません。一つの技なんです。やっぱ、2艘同時航海は、ダメなのかなぁ。

紀北から一つも道場を無くさないと鼻息荒げて、新生大友館をスタートさせましたが、二足のわらじだったか・・・。どうすれば今吹衆と新生大友館の二道場を糾える縄に出来るだろう・・・。何より、これがスランプの証拠。普段なら、こんな事でいちいち悩まないし、ちょっと考えれば、何某のアイデアは、すぐに出てくるし、何より、我が神は、必要なときに必要な物や人を与えてくれる。多分、何も無い時は、何もしてはいけない時です。

でも、無用の用、スランプも必要なんです。スランプも無いと頭領は休まないので・・・。スランプの時には家族でチャンバラするんです。色んな事忘れて楽しいから!いよいよ、家族も相手にしてくれなくなったら寝る!寝て待つ、海路の日和をね。やっぱ、2艘で航海するわいな!今は、眠むる時間なんだ。

2015年8月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima