ナイフを持つことのルールが厳しくなり、それはそれでよいことだと思います。頭領は、自分の子供たち(特に男の子ですが・・・)に10歳になった時に自分の刃物を持たせました。刃物は、便利なもので封筒を開けたり、鉛筆を削ったり、生活には、必要です。さらに、頭領が子どのたち与えたのは、アーミーナイフで、長男には、ジュースを次男には、ビクトリノックスを持たせました、頭領自身は、レザーマンを持ってます。刃物だけでないアーミーナイフは、様々なところで活躍します。これを優れものというのでしょう。さてさて、ただ子供にナイフを持たせるだけでは、木偶の坊親父です。頭領は、ナイフを持たせると同時に子供たちにその責任も持たせました。ナイフは、便利だけど、他人も我が身も傷つけることができる。誤った使い方は、親父だけでなく、社会もこれを許さない。だから、これを使う者には、大きな責任がついてまわる、それが理解できなければ、ナイフを持たせることができない、10歳の少年は、ナイフ持ちたい一心でその父の言う責任を理解しようとしました。彼らは、それから、兄は10年、弟は5年の時間が過ぎましたが、その責任は完全に理解してくれているようです。息子たち、アーミーナイフは、持ち歩きませんが、責任はいつでも持ち歩いています。
さて、いま、このナイフに変わる大きな責任を理解してもらわねばならないモノがあります。おわかりですか?スマートフォンです。アーミーナイフの数十倍便利で、それ以上の優れものです。しかし、これも使い方で、人を傷つけたり、自分も傷つきます。そこには、大きな責任が伴います。しかもアーミーナイフほどにルールが整っていません。木偶の坊親父と言われたくないので、やはり、子供たちにこれを渡すのにアーミーナイフを渡したときの記憶をたどって、しっかり、息子たちにも娘たちにもそれを持つことの責任を理解させて、持たせたいと思っています。
それは、刃物以上の刃物にして、あやふやな責任のまま皆がそれを持ち、頭領の若い頃にはなかった危険と便利が裏表のモノ・・・、全く、難しい時代ですな。しかし、我々、日の本の民は、二本の真剣を「魂」と高めて持ち歩いたサムライの末裔です。意識をしっかり持てば、何の心配もないはず。精神力をフル回転させて、優れたモノを使いこなし、便利に生きていきましょう。