カトリッカーだった頭領の実家では、昔から,イースターとかクリスマスとかキリスト教にまつわる年中行事以外は、あまりやったことがありませんでした。ので、鯉のぼりもひな人形も巻き寿司もチマキもなかったんです。唯一、大晦日に一族が集まっての餅つきがあったくらいです。そして、年を越して幾ばくかたったある日のこと、子供だった頭領は、ちち様、かか様に世には豆をまく風習があり、鬼を追い出し福を呼ぶという「豆まき」という習わしがあるというので、我らもやってみませんかと申し上げたところ、うむ、それはおもしろい、なれば、ワシが鬼役を!と父様が言い、かか様は、子供たちに豆を持たせ、「鬼は外!福はうち!」と言いながらちち様を追い回し、豆を父様に投げつけました。しばらくすると、ちち様のお姿が見当たらなくなり、散らばった豆を片付けながら「ちち様、どこへ行ったんでしょう」っとやっておりましたら、しこたまにお酔いになったちち様が戻られ、どこへいらっしゃったのですか、とかか様が問い詰めると、「おまえたちが外へ、外へと言うに、外へ行って一杯飲んできた」というのを聞くやいなや、かか様が、思いのこもった熱い頭突きをちち様にお見舞いし、鬼の形相で一言、「おぉまぁえぇは~ アホォかぁ!」と大阪リズムで言いました。それ以来、頭領の実家に福は来ず、二度と豆まきもしませんでした。めでたし、めでたし!
このことがトラウマとなって、頭領の家では、自らボディペイントを施し、子供たちが泣きまくる、かなり本気の豆まきをしてきました。一つ欠点があり、自らボディペイントしていたため、背中が塗れず、豆を投げられても背中を向けて逃げられなかったこと・・・。それと、一つわかったことがありました。普通、どの家でも父親が鬼役をするケースが多いと思います。うちもそうでした。頭領ん家には、上から男、男、女、女の4人の子供たちがいて、末の娘がまだ小さかった頃、鬼役と長男と父、豆まき役を次男と長女、次女、母の二つに分かれて豆まきをしました。末娘は、まだ2・3歳だったと思います。末娘は、当時、体の大きかった長男にはよく懐いていて、腕力のない、思考回路が独特な次男には、ついて行けない感があったようでした。さて、豆まきが始まると、鬼役の父と長男が、暴れ狂う間に、豆をいれたお椀を渡された長女は、力の限り、豆を鬼に投げつけ、手玉がなくなると、最後にお椀を父に投げつけて、父鬼を撃破。続いて兄鬼の棍棒に見立てた新聞紙棒を奪いとり、勝手口から兄鬼をたたき出しました。次男は、その間、豆を取らず、自分の部屋から剣のおもちゃを颯爽と取り出し、華麗に舞っておりました。泣きながら母の胸にいた末娘には、その絵柄が、まさしく供を従えた桃太郎のように見えたのでしょう。次の日からの次男に対する圧倒的な信頼感で、父・長男と次男の立ち位置を完全に変えてしまいました。このときです。来年の鬼役が決まったのは・・・。父が鬼役をやってはいけない。できることなら、近所のおいやんと連携して、父が鬼を退治する光景を子供たちに見せなければ・・・と、そう思った頭領でした。
そんなこんなで、今吹衆でも「鬼チャン」やります。おにぃちゃんでなくて、「鬼払いスポチャン」の略です。小学校の体育館をお借りしている今吹衆は、豆をまくわけにいかないので、近くの幼稚園さんから、赤のスポンジ玉をお借りして、これを豆に見立てて節分です。盾小太刀スタイルの一般の部に鬼族になってもらい、子供たちには、両手に一つずつ玉をもち、これを鬼に投げる。玉を食らった鬼は、10秒間動けない。子供たちの中には、一人の桃太郎がいて、動けない鬼をやっつけます。ただし、子供たちは、鬼の攻撃にあうか、手持ちの玉をすべて失ったら天国行き、床に落ちている玉は拾えないが、玉は分けてもらうと場に出てくることが出来る、そんなルールで鬼払いです。ところが、はじめ、無鉄砲に玉を投げまくった子供たちは、鬼に全滅されてしましました。これでは、確実に今年はイヤな年になってしまうと気がついた鬼族は、二戦目、かなり手加減してくれて、空気も読みまくって全滅、子供たち大喜びで終了です!