なさぬ堪忍、するが堪忍

さて、この前の練習にて、門下同士でちょっとしたトラブルがありました。勿論、両者に悪意はなく、幼さから来る言葉の掛け違いでした。トラブル自体は、たいした問題ではないのですが、よい成長の機会だ!と子供達に「なさぬ堪忍、するが堪忍」の話をしました。日本人は、長らく「我慢」に美徳を感じてたし、我慢は、長生きの秘訣とさえ考えてました。我慢を生きるためのツールとして、我慢することで、他者とのコミュニケーションを図ってきた、そんな民族です。必要な我慢も不必要な我慢もひっくるめて、それが一番大事と学び、教えました。全柔連のトラブルを見て、色々考えさせられますし、反省もします。母は、子に野菜スープを作り、子は、えずきながらも残さず我慢して食べる。先生は、生徒に課題を与えて家に帰し、生徒は、嫌々ながらも我慢して机に向かいます。師は、弟子に後1分、後一回と特訓します。弟子は、息を切らしながら我慢してノルマを達成します。愛の上に構築されている我慢の機会は、我慢する自身を鍛えます。一方的な信頼関係では、愛の上に構築された我慢を強いることは出来なかったのでしょう。我慢することも我慢させることも、そこに師弟関係があれば、尚のこと必要です。勿論これは、体罰とか暴力とかの低レベルの話ではありません。

今吹衆で起こったトラブルは、そこにちょっとでも我慢があれば、起きなかったトラブルでした。当事者双方ともです。おもしろいこと思いついた、だからさっさと口にしてしまう子、腹立った、だからさっさと手を上げてしまう子。どっちもに愛の上に構築された我慢があれば、トラブルは起きなかったというわけです。しかしこれは、子供同士なら、あってしかるべきトラブルでもあります。だからチャンスと思い、全員に話をしたわけです。・・・こんな感じでした!

では、頭領から今吹衆に質問、

「日本刀を持って歩くことを許され、無礼打ちの特権も与えられたサムライたちは、腹立ったからって人を切りまくったと思うか」だれも返事がない。ふっ、緊張して俺の話を聞いてるな、お前ら、まずはよし!

「サムライ達は、我慢を美徳として簡単に刀を抜かなかったんだ。分かるか、これが、ならぬ堪忍、するが堪忍よ!」

「先生、なんてぇ~?ならぬカンニング、するなカンニング・・・?」

「あっ、あっ、あほか、お前ら!・・・あのね、ならぬ堪忍、するが堪忍というのはやなぁ・・・」、頭領、やっぱり決まらねぇ・・・

我慢することで、強くなったり、いい関係になったり、いい環境になることは、間違いなくある。スポーツチャンバラは、自由を大切にする。自由に甘んずるのも、我慢するのも今吹衆が選ぶこと、頭領は約束する。愛の上に構築されない我慢は、絶対にさせない。だから今吹衆は、選ぶなら、安心して我慢を選べ!お母さんの野菜スープも、先生の宿題も師匠の特訓も選んでほしい。そして、今吹衆にも愛の上に構築された我慢をさせることが出来る大人になってほしい。それを目指していれば、きっとトラブルはなくなる。仲良くしような。今吹衆!

そして、もし、今吹衆、どう考えても意味の分からない我慢をした日は、その我慢を家でしっかり話せ!、んで、頭領にも話してくれ。一緒に考えようぜ。その我慢の値打ちを!考えても考えてもワケの分からん我慢ならば、たぶん、それは何の役にも立たないものだ。道に落ちてる軍手の方が役に立つってモンよ。するな、そんな我慢!必要ない!そんな我慢なら意味はない!我慢も選べるぜ、今吹衆。

とにかく、今吹衆!この道場でトラブルは無しな。

 

 

2013年2月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

東大阪クラブに行って参りました

山本美樹先生率いる東大阪クラブに行って参りました。

実は、ここ、頭領とユウゴとユウマが初めてスポーツチャンバラに触れた場所でもあります。当時は、東大阪道場と名乗り、田中先生、中村先生、金子先生ご指導の下、幼年はユウマだけ、少年部が4~5人、後はこだわりのきっついおっさんとおばはんが何人か・・・、僕、ついて行くのが大変だったな~、へへ、いい思い出です。ペレーネの受付のおねえさん方も当時と一向に変わらずお美しい・・・、タイムスリップしたかのようでした。

さてさて、練習メニューは、そんな当時とは、様相の違う東大阪クラブ、山本先生が美しいので、心なしか当時より道場も美しく見えました。美しいのは、先生だけでなく、子供達の基本動作がお見事です。東大阪クラブの子供達の基本動作は、場所すら美しく感じさせるくらいきれいでした。山本先生の号令もわかりやすくていいなっと思いました。当時、基本動作は、二の次にして、しばき合いばっかりしてきた頭領には、この日の山本先生の号令は、とっても勉強になりました。メン、ドー、モトノイチ!だけでは、だめなんです。子供達がタイミングをはかれるようにフォローする号令も必要なんだと感じました。幼年部の指導についても色々ご意見を頂戴し、大変、参考になりました。先生たる者、門下の姿、礼をきびしくしておかないと、門下は、基本動作の美しさは勿論、美しい姿勢、美しい礼節を獲得出来ないとの由、つまりは、普段の生き方が基本動作の形に現れるのです。今吹衆の幼年部は、スタートして以来8ヶ月、楽しいことに重点を置いてきましたが、これは、今吹衆の為にはならなかったのか・・・。それどころか、おもろい頭領だけでは、子供達は、強くもうまくもなれないのか。勿論、これは、体罰などの低レベルの話でなくて、指導者の厳しさが、門下の生き方を美しくするって話です。う~ん、これは、頭領の姿勢から考え直さねばならぬこと・・・。さて、いよいよ対戦練習だ!この道場の子供達は、みんな足うちが上手です。それも連打です。特徴あるな。それに比べると、今吹衆は、単発打ちだ・・・、これ、きっと、これ古いタイプのスポチャンなんだな、これも考え直さねば・・・。

ともかく、ユウゴとナオトとユウマ、そしてナオトママさん、お疲れ様でした。

なにより、東大阪クラブ 山本先生、子供達のみならず、私にまでもご指導、本当にありがとうございました。また出稽古させてください。今後ともよろしくお願いします。

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2013年2月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

ゴリさんに夢中!あれ?、五里霧中・・・

頭領の親しい人なら知っています。頭領は、霧が大好きです。六甲山ドライブ行って霧に出会ったりした日にゃ~夢中になってしまします。なぜ?って!前が見えないからに決まってるじゃぁないですか。なにがあるか分からないことほどワクワク、ドキドキすることないしょ!だから霧って大好きなんです。前職でちょっとしたトラブル抱えて、副社長に呼ばれたとき、「これからどうするつもやじゃ?」と問われ「どうするかは、まだ分かりませんが、今、ワクワクしてます。」と答えて、あきれられたことがあります。直属の上司からも、「お前は、あっちに問題がある、こっちにはもめ事があるというとすぐに行ってまうが、いやにならんのか」と聞かれたこともあります。「行くまでが楽しいんです。何が出てくるかわかりませんやん!」と答えて「便利なヤツ・・・」と」言われました。この上司に酔って絡んだことがあるらしく、絡んだ記憶は、すでになかったですが、この上司から「大丈夫か、うまくやってるか」っと聞かれて、「給料もろてんのにうまくやるのは当たり前ですわ、そんなことより、出来てないところにカツ入れおくんなはれ!」と若気の至りで申し上げますと、「そういや~、この前の忘年会で、お前、おれに、現場に送り出すときに気をつけていけっとかいわんと現場で5回でも6回でも死んでこいって送り出せとかゆうとったな、あれは、エエかっこしぃと思ったが、本気やったか」といわれ赤面した記憶があります。

どん底の続きです。

気の持ちようで、どん底にあっても秋晴れの小春日和、ルルランルルラン♪っとなるかも知れません。要するに楽しむ事が出来れば、ゴリにも夢中になれるってこと!環境にも心境にも左右されず、我を忘れない、筋を一本通して、勝機がどこにあるかを自分の持ってる知力と体力と精神力を全部使って、あるときは神仏に頼って探します。絶対に存在する「勝機」を探しだす。これを見つけたときの感動が忘れられないので、頭領は霧が大好きです。

さて、風の今吹衆!五里の霧をも吹き飛ばす強い風に成長するのか、霧の合間さえ自由に吹き渡る賢い風に育つのか、俺、楽しみでしょうがない。

「我」をしっかり持って、もっと練習しような!

 

 

 

 

 

2013年2月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

どんとこい、どん底!

誰しもが経験し、誰しもが通ったことがある場所なのに、今そこにいる人にとってはこんなひどい場所はないって思えるし、今そこにいない人にとっては、そこがどんなとこだったかはっきりしない場所・・・。どん底・・・。

自分の経験で・・・。僕、基本的には、その日まで病気とは縁のない人間と思っていました。それがある日、突然、どん底に突き落とさました。脳出血です。当時の環境も、体調もよくはなかったんですが、突然です。話せないし、動けない、頭が、割れるように痛くて、自分がどこにいて、何が起こったのか、発病当時は、状況の把握すら出来なかった。それが、一日経ち、二日経ち、なんとなく自分の状況が分かってくるとまず不安がおそってくる。それから、自分の居る場所が「うわぁ~、ここ、どん底だ」っと気がつきます。実は、どん底にいることに気がつくと、案外落ち着くものだな~っというのが印象です。周りには、いろんな波が押し寄せました。これからどうする、こいつ寝たきりになるのか、誰がこいつの面倒見るのか、心配だ、大丈夫か、保険はどうなってる、労災なんて言わせんぞ、左麻痺か、動くようになるのか、それが問題だ、その前に職場の車の鍵返せよ・・・、とにかく、半身不随の僕に、ふざけた波も、暖かい波もいっぱい押し寄せてきて、そのすべてが今は、笑い話です。

脳出血当時は離婚してて独り身で、これも最悪の状況でしたが、不安を感じる周囲とは温度差があって、おれは、これ以上落ちねぇって思いの方が強かった。登るしかねえって思ってた。看護婦さんに説教されても羽交い締めされても、広い待合室を何時間もかけて行ったり来たり、一人、廊下を行ったり来たりしてました。登るしかねえってね。このままどん底にいるのいやや・・・。ええカッコ言っても一人で出来ることは、たかが知れてました。ソファの周りを回る程度、こけても安心と言う理由です。なくしたはずの家族がしょっちゅう見舞いに来てくれました。その家族は、あれせい、これせいっと言いました。でけへんと思っとんかい、やったら!と・・・。特に長女は、ジャンケンせいと・・・。出来ませんでした。だっこせいと・・・。出来ませんでした。悔しくて悔しくて、一晩中、グーチョキパーやってました。そうしてるうちに家族は戻ってきて、新しい仕事は、環境もよくって、今に至ってます。去年、ガンの摘出手術しました。周りの心配をよそに、まだ、どん底は下の方だな。どってことねぇっと思えました。ここからならすぐに登れる。落ちても知れてる。再発?再発病?再出発に聞こえるぞ!その時がきたら考える。考える楽しみは後だ!今は、問題なし!

どん底に足がついたら、それ以上は落ちません。ここが底かっと思えたら登るしかないんです。さぁ、膝を抱えている時間はもったいない。あがきましょう。あがいていると誰かが声かけてくれる。そのうちロープ投げてくれかも! あがいている人には、貸す手も出てくる。底でうずくまってたら誰にも見えなし、貸す手も届かない。さぁ大声出して、手足動かして登り始めましょう。その場所では考える時間に意味がありません。どうせ誰も見てない、無様なほどあがいてやりましょうよ。そんで後で笑い飛ばせばいい。今の姿は、後の笑い話です。今、どん底にいる人も後で、きっと今の自分の姿に大笑いできますよ。僕が場合そうでした。間違いありません。

 

 

 

 

2013年1月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

♪オーソーレミーヨ~、恐れ!

おぉ昔、学校の先生から諭された話です。「お前はすぐに怒るが、怒るときは、きっと心臓ドキドキ、顔面蒼白、手のひらにも脇の下にも汗が出て、武者震いしてんやろ?。つまり、なんや?」ときかれて、「先生、なんやって怒っとんねやろ!」と答えると、それなら、怒ってるんやない、恐れてるんや、との由。誰がビビっとんねん?と先生に詰め寄ると、先生一段と大きな声で、「つまりや!心臓ドキドキも、武者震いブルブルも逃げるための身体反応や、末梢血管の収縮から顔面蒼白になるのも少しでも出血をおさえる反応で、手や脇の汗も、木から木へ移動しやすくするため、つまり、サルが逃げる準備や!もともと身体的には、戦うための牙も爪も持たぬサルは、戦うことより逃げることを得意としたはず!怒るお前は、逃げる準備をするサルに等しい。」と教えていただいたことがあります。ショックでした。怒りは恐れなのか・・・、確かに弱い犬ほどよく吠えるといいます。こう諭された当時、いくつかの自分の態度を反省したこと、よく覚えています。怒っているときの身体反応は、逃げる準備であって、ファイティングポーズではありません。サルにはファイティングポーズは無理なんです。それに気がついて以降、怒るたびに、俺、逃げようとしているのかと自身に問うようにしてます。いつの間にか、自分も相手も、怒声あげて怒っているときほど反比例的に心の中では落ち着いて、相手の声のトーンとか、言い回しとか観察するようになりました。なかなか信じてもらえませんが・・・、本当の話です。怒鳴られても、取って食われるわけじゃなしってね。

プラトンは、恐れるべき事とそうでない事を知ることが勇気であるといいました。つまり、何にでも果敢に向かっていくことが勇気ではありません。恐れるべきは何か知ることが大事なことです。恐れを感じない人間はいません。我々は、知恵の木の実を口にして恐れを知ったアダムとエバの子です。そして、恐れを知っていることこそ勇気ある者なのです。つまりは、恐れなくともいいものを恐れ、恐れるべきものを恐れないサルを人々は、愚か者と呼ぶでしょう。あなたが愚か者でなければ、恐れを隠す必要はありません。恐れていいのです。恐れを受け入れることが勇気の第一歩です。恐れをよくよく知れば、案外小さな事なのかもしれませんよ。ただの思い過ごしであったり、思い込みであったり・・・。でも、それが本当に恐れねばならないものであれば、大声あげて助けを求めていい。その恐れに対抗できるボスザルは、案外、身近にいるものです。あなたが今、しようとしているその大きい決断は、本当の勇気ですか?恐れるべきでないものを恐れさせるサルは、いつか群れからはじかれます。それは神仏のなさる業で、サルの技ではありません。摂理と言うそうです。君が恐れを理解できる人間ならば、一度くらい大声あげて助けを求めてもいいんじゃぁないですか。それも本当の勇気だと思うんです。恐れを受け入れて、頼れるボスザルと一緒に十分吟味してみましょう。大きな決断は、大きければ大きいほど後になってもかまいません。急いだってどうせ、何にも始まらない。

恐れも怒りも我を忘れるものです。これ、忘れてしまっては、絶対、勝機は見えない。どんな名人も見えないものは呼び込めません。怒りも恐れもよく観察して見てみましょうよ。勝機を見いだせるのはそれからです。恐れや怒りの向こうにある勝機が見えませんか。大丈夫です。まだまだ、あなたには勝機があります。それ、あなたの勝機ですよ。

 

 

 

 

2013年1月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

くず湯?、きずし? ちゃうわい。くずし!

さてさて、先に出た「くずし」について・・・。くずしのテクニックは、徒手空拳をある程度学んだ者であれば、その必要性も、その方法も理解されていると思います。まだ、僕が柔道小僧だったころ、一つ年上の女の子で、出足払いから体落としのくずしの上手な先輩がいました。受け側の左足を払う取り側の右足が、そのまま体落としの外側に出る足になります。このときの引き手のタイミングが絶妙で、出足払いを仕掛けられる瞬間に受け側の左足から右足に体重移動を誘うのです。頭では、理屈も方法も分かっているのに避けられず、何度も投げられて悔しい思いをしました。この経験から、僕は、正道館時代に二発の左下段回し蹴りから左前蹴りへのつなぎ技を得意としていました。三発目の左ローキックを右足で受けようとする相手は、中段がノーガードになる上、重心が左足一本に偏ります。つまり、前蹴りの衝撃をもろに腹部に受けることになります。下段回し蹴りの軌道で前蹴りを放って、僕のKO・技ありパターンとしてました。直美先輩のおかげで出来た「くずし」の誘いです。

話は変わって、ドラマの話。田村正和さんの「古畑任三郎」だったと思います。おもしろいシーンがあって、確か犯人が棋士って設定だったと思います。古畑刑事に犯人が、将棋で一番強い囲いは何かと問います。いや、問われたのかな?答えは、将棋を開始する時の状態、歩が前線にきれいに並んでいて、両サイドに角飛車がある、シンメトリーな囲いこそ、最強の囲い、つまり、将棋とは、勝たんが為、一つ一つこの強固な囲いを崩していくこと、という答えに古畑刑事が感心するシーンだったと思います。このシーンの絵柄もストーリーもほとんど覚えていませんが、勝つために堅牢な防御を崩さねばならない、と言うメッセージがとても共感できて印象に残ってます。間合いの外にいて、しっかり正眼で構えていれば、どんな相手の攻撃も怖くない、でも、こちらも攻撃できない。勝つこともなければ、負けることもない。無難に生き残る方法であります。では、勝つにはどうするか。攻撃は最大の防御と攻めまくれば、相打ちか、勝ったり負けたりになる。波瀾万丈に生きていく方法であります。生き方としてはどちらもありです。人それぞれのやり方、選択の問題です。

結果が勝にせよ、敗にせよ、恐れていては動けない。恐れは、自身の崩れか相手の攻撃か、いずれにせよ、恐れを抱いたままでは、勝機を呼び込むことはできません。勝ちたいリスクは、負けるかもしれないこと、負けないリスクは、勝てないこと、さて、あなたにとってはどっちのリスクが大きいでしょうか? 必ず勝つセオリーはありませんが必ず負ける動きはあります。勝敗に全神経を注いで知恵も絞って、勝つことだけに集中する。どきどきです。つまり、これがスポチャンの醍醐味。勝機は、相手と対峙し、どちらかがなにかを仕掛ける時におこる。つまり、自分も相手も、攻めようとする瞬間が一番崩れる。ここが狙い目、狙われ目、そして勝機の生まれ所です。その瞬間を待つんです。どきどきです。

「くずし」とは、相手の正中線をぶれさせること、相手を居着かせること、相手のかかりの「か」を攻めること。くずしを誘えることができれば、勝機を自在に自分のものにできるでしょう。

さてさて、上述は、すべて、我が武道の師から教えていただいた受け売りなんですが、うまく今吹衆に伝えられるかな~。まあ一緒に頑張ろうぜ!くずしの誘いの習得を・・・。

 

 

 

2013年1月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

自灯館に行って参りました

自灯館の稽古始めに行って参りました。まぁ~今吹衆の弱いこと弱いこと・・・。長い者で、スポチャン初めて半年なら、こんなものかとな思いながら、今吹衆の練習見てました。

それにしても自灯館の皆さんは、姿勢がいいんです。何より館長の石上先生の姿勢が崩れません。うちの戦うスノーマンが、二刀でお手合わせをお願いし、20分ほど稽古つけていただいたのですが、最後まで姿勢が全く崩れませんでした。スノーマン、石上先生を左右に揺さぶることを指示されて、挑んだのですが、同心円に動くだけで、間合いが詰らなので、攻こむタイミングが合わない。オタつくと速い足うちに撃沈、あせって、前後に動いて撃沈!石上先生、全く美しいスポチャンです。勉強になりました!さて、一矢報いたいスノーマンは、石上先生の姿勢のよさを逆手にとって、浪風が時々決まりますが、石上先生を崩せたら、君のステージは、もう一段が上がる。「崩し」の研究してください。ヒントは、勿論、今吹八風にある。頑張れ!

その石上先生に学ぶ子供達だから、自灯館メンバーはみな一様にきれいです。それに引き替え今吹衆の崩れまくったスポチャン・・・、俺、頭を抱えるぞ・・・。まぁ、頭領が片麻痺なので、きれいな姿勢は教えられない。・・・ので、君たちはここでしっかり学ぶんだ!君らの頭領の得意技だ、名付けて、他力本願!。今吹衆は、まだまだチャンバラ遊びの段階だ。それは、大いに結構!誤りではない。むしろ、この段階を踏まないとチャンバラ道に入れない。早く遊びから抜け出してこい!よその道場、こんなに強いんだと知れば、今回は、成功だ。

帰りの車で頭領にめっちゃ 叱られた門下が一人いました。その原因は、やっぱり姿勢でした。姿勢は体の形と心の形の両面があり、いくらリラックスしても、どっちも崩しすぎてよいものではない。体も心も姿勢を崩すと不真面目に見える。君は不真面目な子でない、それは、頭領の俺が知ってる。ただ、君は、自分の弱さを隠そうとして余裕を失うこと、崩れた姿勢がかっこいいと思い込んでいること、つまり、いつも恐れて、虚勢を張る、虚勢は誠ではない。誠でないものは、正させてもらうよ。姿勢が、虚勢であってはならない、姿勢は、姿誠でなければ、新渡戸先生の言う道化芝居だ、そんなものに意味はない!

姿勢は崩しすぎると損するぞっと強烈にメッセージを送ったけど、君、成長してくれるかな。いつも誠であれ!今吹衆!

頭領は、今吹衆を清流まで連れては行くが、そこの水がきれいでおいしいことに気がついて、清流すくって飲むのは君らだ!

ともかく、ユウゴにジュン、ユウキにダイキにナオト、んでもってミチカ、みん~な、お疲れ様でした。石上先生、また、出稽古お願いいたします。ありがとうございました

よし!、次の出稽古先は、東大阪だ。いろんな事に早く気づけ!今吹衆

 

 

 

 

 

2013年1月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

2013,初稽古!

やっと、練習始まりました。いやぁ~長かったよな、お休み!おかげで、このブログ、ワケわかんなくなってきて困ってたんだ。うおぉぉぉ~、よおぉぉし!今吹衆のなまった体をたたき直してやる!気合い入れて道場に向かいましたが、すでに3人ほど、体育館の開錠を待ちわびてる子供達がそわそわと待っていました。体育館に入った瞬間、走り回りやがって、あかん・・・、ついて行かれへん・・・。理解しました。「体がなまる」という日本語が、今吹衆には存在しません。

おぉ、幼年部!なんと、今日は、うれしいことに4人のマメ剣士がきてくれま した。かわいい女の子達です。一番小さいサナちゃんが一番勇ましかったのが印象的でした。みんなまた来てくださいな。スポチャンやるのに大きくなるまで待つことはない!みんなの基本動作、かっこよかったよ。

さあ、少年部だ!戦うスノーマンの指導の下、打ち込み、対戦のあと、今吹八風のお復習い。八風は、ただの基本形だ、これを土台にして、自分の技を見つけて磨け!ユウキは、すでにオリジナルの山谷風をもってる。ユウゴの浪風は、頭領のそれを越えた。皆、疾風は自分のものになってきたぞ。

基本は大事だ、忘れてはいけない、だけど基本のままではだめだ。自分の八風を作っていい。得意な風を極めてもいい。何度も言う。八風は、基本型でしかない。八風覚えたからって勝てないぜ。学問と同じ、応用が利いて初めて成就する。早く、九九から脱出しようぜ!おもしろい問題はこれからだ。

今年は、お前らのステージがいろいろ用意されているぜ、今吹衆!右でも左でもない、俺たちは、一歩一歩前に進むぞ。

さぁ、2013年の幕開けだ!

 

 

 

2013年1月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

切り身か~!、あの、見切りです。

さきの続きです。アングリマーラーさんとお釈迦さんの出会ったシーン、又聞きとは言えど、もう少し話してみたく・・・。

さてさて、この話を聞いた当時、アングリマーラーさんの話を聞いた感想は、めちゃめちゃかわいそうな人やな~でした。この話の前後の話は省略・・・します。実は詳しく知りません。お寺で聞けばいいのかな?とにかく、お釈迦さんに関係する本を読んでみます。ので、今は、先輩からの聞き伝て話です。

理由は、ともかく、100人切りに挑むアングリマーラーさんと、その噂を聞いて出かけたお釈迦さんが対峙するシーン、刀剣を抜いたアングリマーラーさんが、無手で静かにお立ちになるお釈迦さんに怒鳴る、「動くな、このやろう!」、それにお釈迦さんは、「私は動いてはいない、動いてるのはお前の方だ」と答えられたという。この話を教えてくれた先輩は、この話は、つまりは、心の話であって、道を踏み外して人斬りをするアングリマーラーさんの動揺する心とお釈迦さんの心の話ではあるんだけど、武道を学ぶ俺たちにとって、刀剣を持って襲ってくる相手に「私は動いていない、動いているのはお前だ!」と答える様子は 武術チックと思わないか、だから無法の時代に愛を説くお釈迦さんは、きっと武術をなさっておられた、しかも名人級の腕前だったと思うんだとのことでした。力愛不二よ、学べ!との由。このシーンで、お釈迦さんの威厳に圧倒されたアングリマーラーさんは、その場でお釈迦さんのお弟子さんになったそうですが、それから先、凄惨をを極める修行に耐えられたそうです。先輩曰く、そもそも人斬りを始めたアングリマーラーさんは、だまされたようなものなのにとの事でした。だから、前後の話を知らずしてこのエピソードだけで終わらず、必ず前後の話を知っておくようにとのことだったのですが、20年たってもいまだこのエピソードでままです。先輩、すいません。この場をお借りして反省の意を表し、アマゾンへ!

さて、「動いているのは、俺じゃない、お前だ」という事態、つまり見切りではないかと思うのです。この見切り、実体験でもそうそうお目にかかれる技術ではありませんが、某先生で、見切りの完璧な先生がいらっしゃいました。昨年の大阪大会で、久しぶりにお目にかかり、相変わらずの見事な初一本を見せていただきました。この先生、こちらも先生のまねをして初一本決めてやろうと何度挑んでも当たらない、10本、本気で打ち込んで一回でも先生の袖の先に当たれば、いいところ、クリーンヒットなんてほど遠い。なぜ?と聞くと、当たるのいやだからっとの返事・・・。そりゃそうだろうと思いながら、教えてくれないのなら、いいや、見て盗んでやるっと、思って注目をしていると、さして、大きく動いている様子はない、淡々とスポチャンの練習していて、それにしても、初一本の早いこと早いこと、相手が構える前に仕留めちゃえって感じ、これ当たらない原因か?いやぁ違うな・・・。受けるわけでもないし・・・、反りよけ、伏せよけ、流水、ダッキング、スウェイー、そのどれでもない・・・、ん?どれでもないっていうか、よけなんか使ってない。この先生、よけ技を使ってないぞ?

つまりは、この先生、相手の初動にあわせて、すぅ~っと間合いから出てしまわれるので大きくよけの動きが必要なかったのです。後は、相手に剣を振らせてカウンターです。これじゃ勝てない。ご自身は、自分の初動で、相手が逃げきれないスピードで打ち込むので、打たれてしまう。書くと簡単ですが、ここまで見て取るのに何度も某先生の所属道場に通いました。出稽古、ありがとうございました。とはいえ、方法も理屈も分かったと言っても、とてもまねできる技術ではないな、これは・・・。でも一回くらいは、某先生に勝ちたいと思って考えたのが、長剣で剣先を隠す技で、今吹衆で山谷風と呼んでる技です。長剣の間合いがあって初めてできる技ですが、一回で見破られて、文字通り、「一回ぐらい勝った」でした・・・。かかりの「か」で、相手の動きを正確につかむこと、意識でつかまなくても体が反応することができないと見切りは使えません。だからこれができる人には術で対抗するしかありません。でも同じ術は何度も使えません。要するに見切りを体得された方には、歯が立たない。ましてや、「動いてるのはお前だ」と言われてしまっては、刀剣ですら意味がなくなるのです。

見切りは、間合いを体得して次のステップです。ここまで来たら、名人上手への扉の前ですが、人間、恐怖心もあって見切りの体得には、精神的な強さも必須条件なら、才能も要求される。つまりは、相当に難しい。真剣勝負を想定した木刀稽古で修練する新撰組のお歴々なら見切りの習得は初歩のレベルなんでしょうが、おれたちゃ~エアー剣だしな~。よく、うちの師匠から新撰組の生き残り、永倉新八の話を聞きました。後日紹介します。

見切りの技術は、ゲームで習得できるようなものでないよな~。でも、おれ、頭領やしな。なんか考えるわい。間合いも見切りも身につけようぜ、今吹衆。しかし見切りは、ゲームに頼るな、鍛は千回、錬は万回、練習あるのみ、見切りは、練習する以外、習得の方法はないかもよ。今吹衆!

 

 

2013年1月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

愛のない力は暴力、力のない愛は無力

二〇代の中頃、その技の一つ一つの合理性に魅せられて、少林寺拳法を懸命に学んでいた時期がありました。体は、まだまだガンガンに力でぶつかり合うことに何ら抵抗なかった時代で、そして、まだまだ人々からは、ハナタレよ、若造よ、と言われながらも、社会的には、そろそろ責任を持たされ始めるお年頃、そんなときに出会った少林寺拳法の先生から教えていただいた言葉が力愛不二(りきあいふに)でした。「愛のない力は暴力なり、力のない愛は無力なり、」と・・・。 この言葉に甚く感銘を受けました。私は、当時、老獪な上司に護られているのをいいことに、のべつ幕なく かみつく、ヒーロー気取りの青二才でした。このやっかいな青二才の思考の根底には、「幼い頃から武道を学んできた俺は、タイマンならだれにも負けない」、という根拠のない自意識からくる驕りがドロドロととぐろを巻いておりました。少林寺拳法の師は、この言葉と一緒に、合理的な技を駆使して、大物ぶる20代の青二才の鼻は大して高くないことも併せて、教えてくれました。ここにもお宝があったぞ、と思った瞬間でした。・・・ので、その後、今に至るまで力愛不二の精神は、自戒の言葉とし、今吹衆の子供達にも伝えています。武道を志す者の座右の銘にすべき言葉です。

さて、その後、真実のほどは分かりませんが、お釈迦さんも武術をたしなんでおられたのではないか、という話を先輩から聞きました。先輩が言うには、無法の時代に愛を説く宗教家が武術の一つもできないほうが不思議だと思わんか、そんな事したら三日と持たないという前ふりの後、アングリマーラーさんとお釈迦さんが出会ったときの話を教えてくれました。その話の中身は後で触れますね。

その話を聞いて、あぁ、だから力愛不二か、関心すると同時にクリスチャンの私もちょっと合点のいくところが合って、聖書の中に、イエスさんも大勢に人に囲まれた時にするりとその場からいなくなる記述が割とあるんです。聖書だからサラサラっと書いているんですが、ある時は石を持った敵であったり、熱狂した群衆であったり、相当怖い状況でないかと思うんですが、神の子だから、っといってしまうとサラサラもおもしろくなくて、イエスさんは、武術家だったと言わないまでも身体能力が高かったのかと思ってみたり、弟子達にはアウトローも多く、イエスさんってお方、むしろそんな人達に愛を説いたみたいですけど・・・。このやんちゃくれの弟子達が、相当にけんか慣れしてたんじゃないかと思うシーンもいくつかあって、ヨハネの福音書なんですが、イエスさんが、いよいよ捕らえられるとき、一番弟子のペトロさんが剣を抜いて大祭司のしもべのマルコスさんの耳を切り落とした記述があるんです。さぁ,チャンバラーにも武道家さんにも得物系武術の先生にも伺います。長剣あるいは刀剣抜いて耳だけ切り落とすことができますか?間違いなく素人には、無理ですよね。肩まで切るか、顔面ごと切っちまうか、流浪に剣心か、おまえわ!と言いたくなる剣技です。ペトロさんはもともと漁師さんでした。どだい、剣技を学べる時代でも地域でもなかったはず、では、聖書は、嘘を書くのか、いいえ、聖書は嘘を書かないし、ペトロさんに耳を切り落とす剣技はありません。では、何が真実?我々は、「剣を抜く」、という言葉に長い剣を振り回すペトロさんを想像していますが、たぶんペトロさんは懐にナイフを忍ばせて、いざっと言うときは、これで我が師をお守りするっと構えていたんでしょう。ここからは、想像の世界ですが、人を捕らえに来た者が、武器を持ってる相手がそこにいたら、身構えるでしょう。なのにあろう事か、マルコスさんは、耳を切り落とされた。たぶん、ペトロさんは、ぎりぎりまで待って、懐のナイフを抜かずに、一番近くにいたマルコスさんにヘッドロックかまして、耳をそぎ落としたんじゃないですか、これって、ケンカです。武道のブの字も見当たらない、美しさに欠けるケンカ殺法です。耳をそぐとか、親指を断つとか、太ももを突くとか、死なせはしないけど、相手の戦意も動きも維持させない、武道家の妙技に引けを取らないケンカ屋のやり方です。でも、イエスさん、この後、マルコスさんの耳を拾って、元通りに治してから、ペトロさんを戒めるんです。そして無抵抗で縛に就く。これが神の杯なれば、飲まぬわけにいかぬと。正に力愛不二に併せて、見事な覚悟。イエスさんの場合は、弟子達が、相当頼もしかったように思います。時々やり過ぎて、イエスさんに怒られる荒くれ弟子達が、また、人間くさくって、たまらなくいいんです。この辺り、興味あれば、近くの教会の神父さんに聞いてみてください。イエスさんの弟子ってヤバかったんでしょう?ねぇねぇ、教えてくださいよって。でも、ヤバいのはお前じゃ!っと言われない程度で、お願いしますよ。

 

今吹衆!、正義を語るにも愛を実戦するにも力は必要なんだ。それは、あるとき、君らの自信となり、支えとなる。だからもっと強くなれ!だけど、力だけは、むしろ邪魔になる。強いだけならば、今吹衆を名乗ることに意味はない。愛がなければ強さに意味なんかないんだ。力愛不二の精神よ、しっかり心に刻んでおけ!

 

岩山に背を向けず、花は、一輪も散らさない

強きを求めて優しさを知る!我ら、風の今吹衆

 

 

 

 

 

2012年12月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

それ、受けるぅ~

徒手空拳をある程度学んだものにとって、相手が複数いることは、さして怖いことでないと思いますが、武器をもっている相手と戦えるか、それが複数ならどう戦うか、剣道三倍段という言葉もあるそうです。一度だけ、真剣を構えていただいたことがあります。日本刀って、ビックリするくらい薄いんです。勿論、構えてもらっただけですが、薄すぎて、日本刀が近くにあるのか遠くにあるのか、飛び込んで相手に届くのか、いや、逃げて逃げきれるのか、考えると全く動けませんでした。日本刀が世界の人々に求められる理由の一つなのでしょう。さて、その思いをもって、安全なエアー剣で対戦します。ルールなので、こちらもエアー剣持ちますが頭の中では、こちらは、素手で、相手の剣を受け切れるか、イメージしながら対戦してました。軌道の大きい長剣は、かなりの確率で受け切りました。小太刀の初一本で6・7分くらいでしょうか、それでも、小太刀は、二手目までが限界で三手目は受けきれない。つまり二手以内に反撃に転じないと武器を持った相手には勝てないと言うことです。こんな事していたので、修行当時から、受けがうまいとよく言われましたが、受けがうまいは、スポーツチャンバラでは、褒め言葉ではありません。受けてるだけではだめなんです。ので、早いうちに受けにこだわるのはやめました。受けについては、獲物は、むしろ短い方が軌道がつかめず受けるのが難しかったです。だから、物干し竿を使った小次郎さんは本当に強かったんだろうな、ましてや武蔵さんってすげ~!と思うんです。あと、素直すぎる初一本も怖くない。今吹衆では、初一本前に術をかける練習と、素直な初一本を打たせる術も練習します。この術が操れるようになるとスポーツチャンバラは、ますますおもしろくなってきます。今吹衆は、この術使いを道場のスタイルにしたいと思っています。でも、個々のスタイルは、その子に合わせてあげたいと思ってます。そもそも、心の素直な少年部では、術を身につけるのが難しいようです。先の間合いと合わせて術が使えると間合いを操れるようになます。そうなれば、自身のスポチャンに遊び心が生まれます。だけど初一本が決まったときのうれしさも悔しさも経験させたい、ばんばん打たれて怖いと思うことも、力で押し出す剛剣も今吹衆にはないスタイルですが、経験させたいな。いろんな相手を自分の頭使って攻略しようぜ、今吹衆!攻略本なんかない!これだから、スポチャンて、奥が深いんだ。

さて、あなたのスタイルはなんですか、スピードを極限まで高めて相手が「あっ」というまに一本取るスピードチャンバラスタイルですか、上と思わせて下、右と思もわせて左、「あれっ?」といわせて一本取るトリッキーチャンバラスタイルですか、力こそ最高の武器だ!とするパワーチャンバラスタイルですか、どのスタイルがいい、悪いはありません。何が合うか合わないかなんです。ともあれ、純朴に剣を振ることは勿論大切ですが、はやくその子のスタイルを早く見つけてあげることが私の役割と思っています。

 

 

2012年12月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

まぁ~いい、なにっ 間合い!

幼い頃から柔道を学んだせいか、正直、間合いの認識があまりありませんでした。組み手の技術はそれなりにありましたし、立ち会いでのテクニックも持ってるつもりでした・・・、それは、徒手空拳での話、獲物系の武道は、徒手空拳ではあり得ない間合いが存在するんです。スポチャン始めた頃のおもしろかった事の一つでした。間合いのことを私に徹底的の教えてくれた先生がおりまして、武心館の金子先生です。金子先生にお会いするまで、間合いは、力で破るものと思っていたのですが、そうでない、間合いは操るものと教えていただきました。今でも「剣術の師匠は」、と問われれば、金子先生と答えます。間合いを学ぼうと思うとぱんぱん打ち合う練習法(これがおもしろいのですが、)でなく、一個打っては検証し、一個打たれて検証する練習法に自ずとなりました。このスタイルが、チャバラー達には受けないのです。師匠からは、「何故勝ったかは考えなくていい、何故負けたかを考えろ、絶対に勝てるセオリーは存在しない。しかし、絶対に負ける動きがある、早く気づけ、この熊!」とよく怒られました。先に言いました。徒手空拳にて間合いを力で破ってきた私は、あり得ない間合いにどう対応していいかわからず、相手の回りをぐるぐる、意味もなく回り、師匠によく怒られておりました。懐かしい話です。間合いは「距離」じゃない、「気づき」なんだと師匠に何度もたたき込まれました。

今吹衆には、「今吹八風」というオリジナルの技があって、ほとんどが金子先生が私に教えてくれた技に名をつけたものです。もっというと間合いを操るための技と運足法に名がついてると言う方が正しいかな。八風は、うちの道場の少年部は、皆知ってますが、ここではここまでです。これ以上は言えません。門外不出の今吹衆奥義です。ネタがなくなり次第、そのうちこのブログで紹介しますね。ともかく、金子先生!先生に教えていただいたこと、しっかり子供達に伝えていますからね。

さて、現代っ子達にこの見えない間合いを教えるのに相当に苦労します。間合いは、距離でない。しかし子供達は、「何センチ?」とよく聞きます。まだわからんか、こいつはと思いながら、「じゃ、テーブルにほうれん草と唐揚げがあって、お母さんは背中向けてる。おまえは、腹が減ってて食いたい。さて、ほうれん草なら何センチのところで手を伸ばして食べて、唐揚げなら何センチで手を伸ばして食べる?」「ほうれん草なんか近くてもとらへんしぃ、唐揚げなら、すぐに食べるわ」「うん、それが間合い」「ん?」

「間合い」の練習に一番いいのは虫取りなんです。本当は、うちの道場で網もって虫取りさせたい。虫の小さい動きと鳴き声で場所を測って、網を下ろす、正にそれが間合い!

その昔、子供達は、見えもしない草むらのバッタにカマキリ、木の上の蝉の場所をほぼ正確に捉え、素手で虫を捕まえてたし、網持たせりゃ、飛んでいる蝶は勿論、トンボまでも網で捕らえていました。彼等には容易に間合いをつたえることができたかもしれません。3Dだ!と言ってもデジタルの世界で遊んできた子供に「間合い」の理解は、相当難しいものがあるようです。そこで始めたのが「座頭市」、小太刀をもって両手足に鈴をつけた子供に、長剣をもったアイマスクした子供が対戦します。音だけを頼りに相手の居場所をつかむ。小太刀は受けるために持たせてます。長剣でいつ打つのか、ある瞬間、見えることは、むしろ邪魔になる。間合いの存在をはやく知るにはいい方法で、且つ、おもしろいですが、時間がかかるのが難点。あとは、しっぽ取り、これいいですよ。うちの子達に言います。「取った取られたは、気にしなくていい。誰に取られた、いつ取られたをしっかりわかるようにになればいい。取られそうだがわかればもっといい、あいつ取られるぞがわかれば一番いい」、先に紹介した座剣もこの一つです。初めの第一歩は、まず、間合いを感じることなんです。現代っ子にどうやってそれを感じさせるか悩みながらやってますよ。結構楽しんでますが・・・。

 

間合いを理解できれば、将来、この子達が大人になったとき、掛け合い、交渉、駆け引きの場面できっと役立つと思います。僕が役に立ってるんだから間違いない。今吹衆の子供達は、間合いも知らん馬鹿な大人達の世界できっと一足先に出るでしょう。そんな大層でなくとも、空気の読める大人になれる。そのために今吹衆では、この、「間合い」を感じることに重きを置いてます。ただ、これだけを望むなら、スポチャンでなくて虫取りがいい。おか-ちゃん、虫取り大いにやらせてあげてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年12月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

THE 剣!

トップページに出てくるTHE剣!ですが、いろんな人に聞かれるのでちょっと説明します。公園のベンチで生まれましたチャンバラ遊びでした。足が悪いので、横着して、座ったままチャンバラ遊びをしてたら、子供勝てないんです。悔しいから、子供も座らせて向き合いました。それでも尚、間合いがないから。ばんばん振り回す子供の木の枝を受けきれない。そのうちだんだんルールができてきて、足たたくなやっとか、ターン(攻守を順番にすることらしい)で勝負しょ!とか、飽きるまでやってました。動きがあまりないので、子供達は直に飽きてしまうんですが、間合いがない中でのゲームは、間合いの大切さを教えるのにいいなっと思って今吹衆でやってたら、これがかなりおもしろい。今吹衆ルールができました。紹介します。 

まず、「初め!」のかけ声はありません。小太刀を持て、いすに座って双方、よい間合いで着席し、剣を背に廻して手を離したらスタートですので、スタートは、非常に「静」です。

ルール① 持ち点10の減点法、先に0になったら負け!

ルール② 剣を持たない相手を攻撃したら原点2=このルールで立ち会いから術の掛け合いになる。さっさと剣を持つ者、なかなか剣を握らない者・・・。

ルール③ いすが動いたら原点2=このルールで交わす動きが小さくなり、囲う以外の防御がなくなります。危険回避にもなってます。

ルール④ いすから離れたら原点5=時々、興奮して立ち上がる子(だけでなく)がいるので・・・。

ルール⑤ 面を打たれたら原点2、その他を打たれたら原点1

ルール⑥ 面の前に机があるという設定なので足うちはなし

ざっと、このくらいです。後はやっていく中で、いろいろ生まれてきます。このゲーム、打ち合えば相打ち必至です。囲い技を使える者が有利です。始めに原点多いと不利になる。打ち合わないことが勝敗のポイントです。どうやって、相打ち地獄から脱出するか、そこに今後の自分のスポチャンの方向があるかも?だから、時間あれば、この練習後、すぐに普通の対戦を行ってください。間合いの存在を感じることができます。これを感じさせたくて始めた修行ですが、結構、おもしろいのと足の不自由な私でも楽しめるのでよくやります。手が使える車いすの利用者ならそれは健常者です。減点法でないと勝負がすぐについてしまうのでそうしてますがこだわることはありません。競技者の技術に準じればよいです。逆に持ち点を30点くらいにして長く続けてもいい。うちの幼年部では、お母さんにいすの後ろに盾を持ってたってもらって防御の手伝いと椅子の転倒防止をしてもらうこともあります。子を護ろうとするお母さんのすさまじいこと、すさまじいこと・・・、学ぶべし。

あと、学んだことは、突きです。このルールだと、突きは、骨を切ったのにこっちの骨も断たれる剣術です。間合いがないため突きに合わせて面を打たれるからです。顔面への突きでないと割に合わない。きれいに心臓ついても、面を合わされるとプラマイで、一点損する。心臓ついたのに・・・。実戦で、きれいに心臓ついても脳を割られるかな・・・。突いた瞬間にどう相手から離れるか、ヒット アンド アウェイです。突いて前足に体重乗ってて可能かな。体当たり的な突きで突き倒すか、同じく突いた瞬間前蹴りで離すか、肩から先の力で突きってきくかな、突きって微妙な技ですね、基本動作してても明かにこれだけ軌道が違う。座剣でも検討の余地がある、。顔面への突き、ノドへの突き、心臓への突きは、原点3点にしようかな。いやいや面が2点なら、やっぱり2点かな。尚、研究中です。

こんな感じです。一度試してみてください。スポチャンの醍醐味はスピードです。それを使えない歯がゆさを味わってからの対戦は見えなかったいろんなものがみえますよ。交互受打の実戦もできます。車いすの仲間と本気で戦えるのもおもしろい。やってみて、もっと楽しいルールがあったら教えてください。今吹衆でもやってみます。

 

 

 

2012年12月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

神頼みの練習

今吹衆は、神仏に祈ることに抵抗を感じません。通常各道場は、練習前後に黙想します。これから始まる練習に精神統一し、静かに備える、練習後は、高揚した精神を落ち着かせ、帰路につくためです。ですが、今吹衆は、黙想でなく、黙祷をします。練習前には、みなの技の向上と安全、無事の終了を自分の信じている神に祈り、練習後は感謝せよと言ってます。そして、信じてる神仏のない者は黙想せよと・・・。皆の祈る対象は、聞いたことはありませんが、天を仰ぐ者、合掌する者、目を瞑る者、スタイルはそれぞれですが、皆、それぞれに黙祷しています。 

今吹衆には言ってます。神仏に祈ることを照れなくていい、困ったときには、大いに頼んでいい。ささやかでも一番始めに助けてくれるのは、自分が信じている神仏かもしれない。対して、絶えず感謝せよ、そこ心から謙虚が生まれる。謙虚の誕生は、今吹衆を成長させる。なに、難しいことは考えなくていい、黙祷せよ!ただね、お金をせびる神、すぐに人を集めたがる神には、気をつけろ、この世には、信用できない神さんもいるからね。

黙して祈り、感謝せよ。君らを愛してやまない神仏であれば、それ以上は求めない。大丈夫、君らの神は頼りになるよ。

だから今吹衆は祈りをもって始め、感謝して、練習終わります

 

 

 

2012年12月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

でっけ~子? いや、出稽古

スポチャンの特徴の一つとしてこの出稽古フリーシステムをあげていいと思います。武道をこよなく愛してはいても、出稽古は大きなの壁一つでした。師が出稽古に行く弟子に送り出す言葉は、「殺されても文句言うなよ」だったし、行ったら行ったで、俺は、親の敵かっちゅう扱いを受け、二度と出稽古なんかするかい!っと思いながら帰った記憶があります。が、確実に勉強になるんです。勿論、勉強といっても手取り足取り教えてもらうことはありません、真剣勝負の様相で、目と頭を使う修行は、常時同じ相手と練習する数倍の習得がありました。痛い思いもしましたが、確実に強くなる実感があって、進んで行く気は起きなかったけど、誘われれば、出稽古に行かないことはなかったです。でも、正直怖かった。今、思い出してもこぇ~。

それがスポチャンになると、おっ、ようお越し!最近どう?まぁあがり、さぁ、始めよかってなもんで、歓迎うけて、雑談して練習して、笑って帰ります。しかも出稽古すれば、確実に強くなる。当時、スポチャンの出稽古っておもしれ~って思ったものです。勿論、出稽古行くのは、お目当ての猛者がいるからで、あっ、この人が、噂のあの人だ、っと思えば、手合わせお願いして、二三打ち合えば、ここ、こうした方がええでっとご教授いただける。これいい、絶対いい、と思って、遠慮もなく、どんどん出稽古に行きまくった時期がありました。えっ吹田、なにっ十三、かぁ~枚方、おぉ泉南と東奔西走してました。当時は、河内にいて、もう10年も前の話ですが、とにかく、あそこの道場のあいつは強ぇ~ぜ、と聞けば、メールするだけで、堅苦しい手続きはしなくって、お手合わせをお願いしに行き、練習させてもらえる、出稽古フリーのシステムは最高です。どんな武道でもスポーツでも出稽古行くなら、うちの先生から、出稽古先の先生に出稽古許可いただいて、日時もご指定していただき、許可いただけなければ出稽古には行けない。ましてや、所属協会が違えば、手続きはもっと複雑で、出稽古できないかも・・・。でも出稽古するならこれが本来の形、通るべき「筋」で、必要なことなのです。順序間違えたり、筋を欠いたら「和」が保てない。順序も筋も和も大変重要なことです。軽んずる事でありません。そんなことすれば、痛いしっぺ返しが来ます。また、通常、出稽古で、技を教わることはありません。見て盗み取る、体で覚える、これが修行法としては、とってもいいのです。そのために、面倒でも手続き踏んで、痛いのに出稽古に行きます。でもスポチャンは、筋が手ごろなのがいい。筋はお手ごろなのに、「和」はちゃんと保ってる!でも筋を軽んじているのではありません。出稽古先への礼儀と感謝の心は、お手軽にもお手ごろにもしません。だから最後に「また来ます。」と言えば、「おぉよ、また来い!」っと言ってもらえる。よし!、次はあの人に勝つ!と胸に誓って帰るんです。

つまり、今吹衆の頭領は、出稽古推進派です。悲しいかな、和歌山には、スポーツチャンバラの道場の数が少ないけれど、泉山系越えた向こうには、いい道場がたくさんあって、強ぇ~ヤツらがいっぱいいる!さぁ、今吹衆、泉山系越えてくぞ!いざ、出稽古じゃ!

我らは、風の今吹衆、西に吹くのか東に渡るか、我らとてあずかりしらぬ、ただ鞄にエアー剣と面とちっちゃい責任詰め込んで、強いと噂のあるヤツのところへ吹き抜けるだけ!さぁ行こうぜ、今吹衆!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年12月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

この場をお借りして

今吹衆、次回、今年最後の練習です。6月にスタートしてあっという間の半年でした。ちょっと振り返ります。

今吹衆は、スタート前から今に至るまで、本当にいろんな方に助けられました。分不相応に、広い体育館で、スタートできたこともスポチャン本部の認定を得てスタートできたことも、助けてもらわねば、できなかったことでした。特に、まだスタートする前に、チラシ配りを手伝っていただいたヤクルトの田中さん、剣道の達人だそうで、いまだに子供達にジュースを提供していただいたり、ホント感謝に堪えません。チラシを快く置かせていただいた、幸太郎のまいさん、ヒダカヤ高松店さん、高松のメッサさん、本当にありがとうございました。地域の役に立ちたい思いの強い私が、役に立つどころか、まだまだ地域に助けられねば、なにもできない小さい存在であること、肝に銘じておきます。和歌山の人って、本当に気のいい、やさしい人が多いな~と大阪から流れてきた私は、常々感じてますが、改めまして、この場をお借りして、今吹衆にご縁いただきました皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

今吹衆は、この地域の子供達の育成に役立つ存在になることを目的に、ますます精進しいたします。今後とも今までのように温かく見守ってやってくださいますと幸甚です。変わらぬお付き合いをお願いします。今福は本当にいいところです。地域への恩義を忘れず、スポーツチャンバラを通じて貢献いたしたいと思料いたしております。

 

 

2012年12月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

今吹衆、嘘つかない!

今吹衆の頭領が修業時代に師から渡された一冊の本が新渡戸稲造の「武士道」でした。カトリックの幼児洗礼を受けた私にとっては、宗教によらずにここまで完成されたスピリッツにひどく感銘を受けた一冊でした。以後、子育てのマニュアルとして使ってます。男の子が生まれた父親には、是非、差し上げたい一冊です。

そこで、今吹衆には、誠であることに重きを置くように言ってます。誠でないことは、弱いこと、つまりは、恥ずかしいことなんだ、我ら今吹衆は、弱いことを認めない、恥ずかしいことはしない。誠でないことはやらない。嘘をつくことは、誠ではない、弱いことで恥ずかしいことなんだ、だから俺たち今吹衆は嘘をつかない、今吹衆の子供達は、こう言います。この前練習後、頭領から「おまえら、誠でないこと、今週はしなかったか!」と聞かれた今吹衆の一人が「俺、学校にこっそり自転車乗っていってしもた」とぼそぼそ答えてました「。もう、誠でないことはするなよ」という頭領に、「先生!こいつの恥ずかしいことは、そんなもんとちゃう!こいつ、恥ずかしいことだらけや」との意見。みなまで以上言うな、中学生!わかってる。

大事なのは、誠という意識を持つこと、次に恥の意識を持つこと、まだまだ、おまえら修行中よ、がんばれな!

 

 

2012年12月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

くろしお作業所に行って参りました

12月3日に、くろしお作業所で、一寸お時間いただいてスポーツチャンバラ体験を障害を持つ仲間にしてもらいました。ビンセント療護園の利用者さんもいらっしゃってて、声をかけてもらいました。とっても充実した時間でした。石上理事長から、人をたたいて喜んでもらえる変なスポーツと言う挨拶の後、興味ある人に前に出てもらっての対戦体験、皆が楽しそうで、なにがいいかって、それがとってもいい。ばんばん打ち合って、勝って負けて悔しくて喜んで・・・。これも楽しいけど、皆が楽しいのは、ほんとうにとってもいい。

 

スポーツチャンバラの奥をちょびっと垣間見た一日でした。さて、  3月 3日(日) 「第36回 障害児者家族のつながりを広める文化祭。」体験会にて、今吹衆は、5分の時間をもらって演舞をさせてもらうチャンスがありそうです。クィーンのウィ ウィル ロッキューをバックミュージックに基本動作したり殺陣を考えて見ようかと思ってます。勿論、考えるのは、俺じゃ~ない。今吹衆だ、さぁ、やろうぜ 今吹衆!

また報告します。

2012年12月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

いまふくしゅうか、いまぶくしゅうかⅡ

今吹衆は、協議の結果、いまふくしゅうとなりました。いまぶくしゅうなどと呼ばれた日にゃ~、いまふく小学校のおれたちゃ~面目がたたねぇ。と言う意見が大半で、面目を重んじる今吹衆は、この意見で、いまふくしゅうを名乗ることになりました。・・・ご報告まで!

2012年12月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

時代は変わる

6年ぶりにスポーツチャンバラの世界を見ると時代は変わったんだな~と思いました。この前、大阪大会にうちの子たちが出たいというので連れて行きましたが、まず、感じたのが、空手着の着用者がずいぶん減ったこと・・・。私が現役の頃は、着る物は自由ですっと言いながらも断然空手着の着用者が多かった。大阪大会前に、別の試合に参加したとき、すでに今吹衆以外道着を着ている者がおらず、この大会に向けて、慌てて、今吹衆Tシャツを作ったのですが,チームカラーがはっきりして、且つスポーティ、スマート感あふれてました。個人的には、道着着用したときのきりっとした感覚は、大好きなのですが、これはこれで、全体の統一感でなく、道場ごとの一体感が各々に出て、どうだ!屋内競技っ感じがでてました。

さぁ試合が始まれば、驚いたのは、基本動作審査の熱心なこと・・・。応援も、先生の指導も、びっくりです。私の師匠は、全然基本動作も型も後回しの師匠で、従って、今吹衆は、基本動作、ビックリするくらい下手くそです。それは、彼らのせいじゃない。彼らの師匠が基本動作を知らないから・・・。ひいては、師匠の師匠が悪いのです・・・。大晦日に朝から晩まで対戦しても、基本動作も型もあんまし伝授してくれなかったから・・・。いや、この弟子は、確かに型の覚えも悪ぅございましたが・・・。グチグチ言うのは止めて!さぁ、いいわけはぜず、これから、今吹衆に基本動作のちゃんとできる指導員を養成しようぉっと!  ・・・おまえがせぃと・・・。人には向き不向きというものがござりんす。ひゅり~、ひゅるりらら~。

次に驚いたのは、対戦スピードが、この数年で、全体的に相当上がったのではないですか?と言うより、運足がかわった。かかとをつけない運足を使う者が相当に増えた印象です。私の修業時代、稽古した道場スタイルが、フットワークを使わない、「ベタ足」とは言わないまでも、空手で言う三戦立ちの前足が伸びた感じの静かな構えを多用してました。上半身は動いても下半身の動きは小さめの構えです。あのスタイルは、なんと呼べば良いのか・・・。ので、今吹衆も割とそのスタイルです。しかし、これじゃぁ時代に乗り遅れるか・・・。ついでに言えば、運足に合わせてか、エアー剣の空気のはり方も変わったんじゃないですか。僕の頃は、キンキンにして、痛いやないかいっわれ!て言われるほどキンキンにしてる者が多かった。河内なもんで・・・。この試合では,エアー剣がムチみたいになってたのが印象的です。だから早い早い。審判のご苦労もあちらこちらで見えました。フェイシングみたいにいずれ、機械判定せねば、ついて行けなくなるかも・・・。

なにわともあれ、スポーツチャンバラに対する考え方そのものを変えねば、っと反省し、覚醒し、試合の結果に肩を落として帰った一日でした。

 

 

 

 

 

 

2012年12月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

いまふくしゅうか、いまぶくしゅうか

小学校の体育館をお借りして練習している我々にとって今吹衆は、チーム名で、道場名という感覚ではありません。地域の町名が今福なので、こんな名がつきましたが、これが、イマブクか、イマフクか、地元の人の発音を聞くと、ある年代以上は、「いまぶく」と言ってるようだし、比較的若い世代は、確実に「いまふく」いってるようです。大阪からきた私は、「いまふく」という方がしっくりきますが、市役所に聞くと「いまぶく」っと発音する方が正しいようです。今吹上村から今吹になったそうで、その頃から「いまぶく」だそうです。うちも「ぶく」と「ふく」がごっちゃになってます。当初は、「イマブクシュウ」としていたのですが、チーム名ならば、皆のもの、「いまぶくしゅう」がいいのか、「いまふくしゅう」がいいのか、次回の練習後にでも皆にきいて決めようとおもいます。

田中先生(我が師匠)!どっちになっても、我らの名は「今、復讐」ではございません。

 

 

 

2012年12月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

今吹衆の頭領です。ちょっと自己紹介!

今から6年前に起こった私の脳みそ内の出血がいまだ、左手足の動きを許してくれません。当時は、カルチャー教室でスポーツチャンバラの講師をしていました。当時、相当働き詰めで、月に二日休みがあったかな?今は、とってもいい環境で働いています。いや、働かせていただいてるという表現があってるかな。ストレスなんか貯めたって、ろくなことは無い。ヤツは、弱いところに攻撃してきます。胃の弱い人は胃に、のどが弱点のひとは、のどに、目だったり、三半規管だったり、頭の弱かった私は頭に・・・、ほっておてください。とにかく、適宜、ストレスは開放してやって下さいね。それには、スポーツチャンバラは、とってもいいですよ。

わたしが、スポーツチャンバラに出会ったきっかけは、私、小学校の制服着る前に柔道着に袖を通して以来、剛柔流空手、正道空手、日本拳法、少林寺拳法、テコンドーと、武道を学べるチャンス、きっかけがあれば、飛びついていた時期がありました。勿論、そこにすばらしいお宝を見つけたからですが、長男坊にもそのお宝を見つけさせたくて、いろいろな道場見学に引っ張り回しました。が、すべてを拒絶され、父子の縁を切ったろかっと思ってた頃に、スポーツチャンバラに出会いました。正直に言いますと、初めて見たスポーツチャンバラの印象はとても悪かった。すぐに帰ろうとしましたが、冷めてる父親を背に長男坊は、スポチャンの先生に渡されたエアー剣を握りしめ、振り回し、馬鹿かこいつは!と思ったのですが、目をキラキラさせて、僕これやりたいっと言い出すのに時間はかからなかったです。これは、俺の求めていたものでないぞ!と反論もむなしく、送り迎えさせられることになりました。そうこうしてるうちに先生からお父さんも如何ですか?っと言われてエアー剣持たされるまで一ヶ月・・・。さて、初めての対戦では、有段者の先生にかなうはずもなく、一方的に打たれましたが、痛くない、武道は、痛いもの、投げられたら痛いし、蹴られたらもっと痛い、これ、いっこも痛くない。武道を長く続けた私にとってやられたら,痛いは、当たり前!だから、参ったって思うし、勝てないとかこの人強いなぁって思えるのに、負けたのに痛くないは、初めての感覚でした、加えて、負けたのに痛くないことほど、悔しいこともないって知ってましたか?武道家は痛いから負けたを認めることができるんです。痛くないのに負けたを認めるのはことはできない。そうしようと思うと潔さしかないんです。武道家を自称していた自分は、この潔さを全く欠落させてた事に気づいた瞬間でした。その足で、入会したのは言うまでもありません。スポーツチャンバラが武道かスポーツかは、スポチャン仲間の間では、よく議論されるテーマですが、どっちにせよ、相当奥が深いです。こんな特別な体になっても、こんなに年を喰っても、いまだにその奥にたどり着かないのです。頭領などと偉そうに名乗っていても、まだまだ修行中の身なのです。

 

自己紹介、ちょっと長すぎました。追い追い、スポーツチャンバラに関係する話もしていきたいと思ってますので、今後とも、よろしくお願い申し上げます。

 

2012年11月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima