♪オーソーレミーヨ~、恐れ!

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おぉ昔、学校の先生から諭された話です。「お前はすぐに怒るが、怒るときは、きっと心臓ドキドキ、顔面蒼白、手のひらにも脇の下にも汗が出て、武者震いしてんやろ?。つまり、なんや?」ときかれて、「先生、なんやって怒っとんねやろ!」と答えると、それなら、怒ってるんやない、恐れてるんや、との由。誰がビビっとんねん?と先生に詰め寄ると、先生一段と大きな声で、「つまりや!心臓ドキドキも、武者震いブルブルも逃げるための身体反応や、末梢血管の収縮から顔面蒼白になるのも少しでも出血をおさえる反応で、手や脇の汗も、木から木へ移動しやすくするため、つまり、サルが逃げる準備や!もともと身体的には、戦うための牙も爪も持たぬサルは、戦うことより逃げることを得意としたはず!怒るお前は、逃げる準備をするサルに等しい。」と教えていただいたことがあります。ショックでした。怒りは恐れなのか・・・、確かに弱い犬ほどよく吠えるといいます。こう諭された当時、いくつかの自分の態度を反省したこと、よく覚えています。怒っているときの身体反応は、逃げる準備であって、ファイティングポーズではありません。サルにはファイティングポーズは無理なんです。それに気がついて以降、怒るたびに、俺、逃げようとしているのかと自身に問うようにしてます。いつの間にか、自分も相手も、怒声あげて怒っているときほど反比例的に心の中では落ち着いて、相手の声のトーンとか、言い回しとか観察するようになりました。なかなか信じてもらえませんが・・・、本当の話です。怒鳴られても、取って食われるわけじゃなしってね。

プラトンは、恐れるべき事とそうでない事を知ることが勇気であるといいました。つまり、何にでも果敢に向かっていくことが勇気ではありません。恐れるべきは何か知ることが大事なことです。恐れを感じない人間はいません。我々は、知恵の木の実を口にして恐れを知ったアダムとエバの子です。そして、恐れを知っていることこそ勇気ある者なのです。つまりは、恐れなくともいいものを恐れ、恐れるべきものを恐れないサルを人々は、愚か者と呼ぶでしょう。あなたが愚か者でなければ、恐れを隠す必要はありません。恐れていいのです。恐れを受け入れることが勇気の第一歩です。恐れをよくよく知れば、案外小さな事なのかもしれませんよ。ただの思い過ごしであったり、思い込みであったり・・・。でも、それが本当に恐れねばならないものであれば、大声あげて助けを求めていい。その恐れに対抗できるボスザルは、案外、身近にいるものです。あなたが今、しようとしているその大きい決断は、本当の勇気ですか?恐れるべきでないものを恐れさせるサルは、いつか群れからはじかれます。それは神仏のなさる業で、サルの技ではありません。摂理と言うそうです。君が恐れを理解できる人間ならば、一度くらい大声あげて助けを求めてもいいんじゃぁないですか。それも本当の勇気だと思うんです。恐れを受け入れて、頼れるボスザルと一緒に十分吟味してみましょう。大きな決断は、大きければ大きいほど後になってもかまいません。急いだってどうせ、何にも始まらない。

恐れも怒りも我を忘れるものです。これ、忘れてしまっては、絶対、勝機は見えない。どんな名人も見えないものは呼び込めません。怒りも恐れもよく観察して見てみましょうよ。勝機を見いだせるのはそれからです。恐れや怒りの向こうにある勝機が見えませんか。大丈夫です。まだまだ、あなたには勝機があります。それ、あなたの勝機ですよ。

 

 

 

 

2013年1月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima