切り身か~!、あの、見切りです。

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さきの続きです。アングリマーラーさんとお釈迦さんの出会ったシーン、又聞きとは言えど、もう少し話してみたく・・・。

さてさて、この話を聞いた当時、アングリマーラーさんの話を聞いた感想は、めちゃめちゃかわいそうな人やな~でした。この話の前後の話は省略・・・します。実は詳しく知りません。お寺で聞けばいいのかな?とにかく、お釈迦さんに関係する本を読んでみます。ので、今は、先輩からの聞き伝て話です。

理由は、ともかく、100人切りに挑むアングリマーラーさんと、その噂を聞いて出かけたお釈迦さんが対峙するシーン、刀剣を抜いたアングリマーラーさんが、無手で静かにお立ちになるお釈迦さんに怒鳴る、「動くな、このやろう!」、それにお釈迦さんは、「私は動いてはいない、動いてるのはお前の方だ」と答えられたという。この話を教えてくれた先輩は、この話は、つまりは、心の話であって、道を踏み外して人斬りをするアングリマーラーさんの動揺する心とお釈迦さんの心の話ではあるんだけど、武道を学ぶ俺たちにとって、刀剣を持って襲ってくる相手に「私は動いていない、動いているのはお前だ!」と答える様子は 武術チックと思わないか、だから無法の時代に愛を説くお釈迦さんは、きっと武術をなさっておられた、しかも名人級の腕前だったと思うんだとのことでした。力愛不二よ、学べ!との由。このシーンで、お釈迦さんの威厳に圧倒されたアングリマーラーさんは、その場でお釈迦さんのお弟子さんになったそうですが、それから先、凄惨をを極める修行に耐えられたそうです。先輩曰く、そもそも人斬りを始めたアングリマーラーさんは、だまされたようなものなのにとの事でした。だから、前後の話を知らずしてこのエピソードだけで終わらず、必ず前後の話を知っておくようにとのことだったのですが、20年たってもいまだこのエピソードでままです。先輩、すいません。この場をお借りして反省の意を表し、アマゾンへ!

さて、「動いているのは、俺じゃない、お前だ」という事態、つまり見切りではないかと思うのです。この見切り、実体験でもそうそうお目にかかれる技術ではありませんが、某先生で、見切りの完璧な先生がいらっしゃいました。昨年の大阪大会で、久しぶりにお目にかかり、相変わらずの見事な初一本を見せていただきました。この先生、こちらも先生のまねをして初一本決めてやろうと何度挑んでも当たらない、10本、本気で打ち込んで一回でも先生の袖の先に当たれば、いいところ、クリーンヒットなんてほど遠い。なぜ?と聞くと、当たるのいやだからっとの返事・・・。そりゃそうだろうと思いながら、教えてくれないのなら、いいや、見て盗んでやるっと、思って注目をしていると、さして、大きく動いている様子はない、淡々とスポチャンの練習していて、それにしても、初一本の早いこと早いこと、相手が構える前に仕留めちゃえって感じ、これ当たらない原因か?いやぁ違うな・・・。受けるわけでもないし・・・、反りよけ、伏せよけ、流水、ダッキング、スウェイー、そのどれでもない・・・、ん?どれでもないっていうか、よけなんか使ってない。この先生、よけ技を使ってないぞ?

つまりは、この先生、相手の初動にあわせて、すぅ~っと間合いから出てしまわれるので大きくよけの動きが必要なかったのです。後は、相手に剣を振らせてカウンターです。これじゃ勝てない。ご自身は、自分の初動で、相手が逃げきれないスピードで打ち込むので、打たれてしまう。書くと簡単ですが、ここまで見て取るのに何度も某先生の所属道場に通いました。出稽古、ありがとうございました。とはいえ、方法も理屈も分かったと言っても、とてもまねできる技術ではないな、これは・・・。でも一回くらいは、某先生に勝ちたいと思って考えたのが、長剣で剣先を隠す技で、今吹衆で山谷風と呼んでる技です。長剣の間合いがあって初めてできる技ですが、一回で見破られて、文字通り、「一回ぐらい勝った」でした・・・。かかりの「か」で、相手の動きを正確につかむこと、意識でつかまなくても体が反応することができないと見切りは使えません。だからこれができる人には術で対抗するしかありません。でも同じ術は何度も使えません。要するに見切りを体得された方には、歯が立たない。ましてや、「動いてるのはお前だ」と言われてしまっては、刀剣ですら意味がなくなるのです。

見切りは、間合いを体得して次のステップです。ここまで来たら、名人上手への扉の前ですが、人間、恐怖心もあって見切りの体得には、精神的な強さも必須条件なら、才能も要求される。つまりは、相当に難しい。真剣勝負を想定した木刀稽古で修練する新撰組のお歴々なら見切りの習得は初歩のレベルなんでしょうが、おれたちゃ~エアー剣だしな~。よく、うちの師匠から新撰組の生き残り、永倉新八の話を聞きました。後日紹介します。

見切りの技術は、ゲームで習得できるようなものでないよな~。でも、おれ、頭領やしな。なんか考えるわい。間合いも見切りも身につけようぜ、今吹衆。しかし見切りは、ゲームに頼るな、鍛は千回、錬は万回、練習あるのみ、見切りは、練習する以外、習得の方法はないかもよ。今吹衆!

 

 

2013年1月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima