ゴールへの(逃げ)道

このエントリーをはてなブックマークに追加

さて、そう言ったわけ(前回参照)で、頭領には、相手を責めるときも論争するときも相手のと着地点を捜す癖があります。特に子供を叱るときもこう答えてくれさえすれば、最後のとどめを刺さずにすむのに、言え!言え!、こう答えろ!と念じながら怒ってます。なのに、子供たちは、なかなか正解を言わない。ならば、誘導尋問だ!もう少しで不時着できる、がんばれ ! でも落下するよりいいだろう!なに!貴様!ここで急上昇するのか?待ってくれ!うわぁぁーおちるぅぅー

子供たちと話し合うときは、こんなこと多々あって、・・・最後は、強制着陸です・・・。ここゴールじゃないのにってこともしばしば・・・。これは、大人としての頭領の能力不足で起こることなんです。落下させてしまった子供には言わないけど、落としてごめんなって思ってます。本当です。

話し合うときは、この着地点を先にしっかり考えて、相手を追い込んで追い込んで、最後のとどめを刺してしまうより、相手が子供であれば、尚のこと。ちょっぴりのゴールに通ずる(逃げ)道と着地点を用意することはとっても重要なことです。かつての大人達は、叱ろうとするより、諭そうとしたのでかつての子供たちは、着地しやすかったのかも知れません。

頭領が小六生だった時のこと、A君が銭湯で、よその小学生とトラブルになり叩かれて、その仕返しに駆り出されたたときのこと、目的の小学校にたどり着いて、頭領は、10人ぐらい仲間の、まずは先陣を切って目指す学校には入ったのですが、はて?A君を叩いた相手が分からず、そういえば、目指す相手の名前さえ聞くのを忘れたぞっと分かったときは、そこの先生達に追いかけられ、その日は、無様に逃げ帰りました。翌日の放課後、10人は、自分の小学校の会議室に呼び出されました。この時、10人は、A君の仇討ちに行くという大義名分があったので、初めは、先生の説教に全員、馬のようになっていましたが、先生の一言で事態は、一変します。「Aが、なんで殴られたか知ってる者は?」この質問に10匹が10匹とも違う話をし始めて、結局、不思議なことにAが殴られたことを自分のことのように感じていた暴れ馬たちは、Aがトラブルになったその理由を知らなかったことが分かりました。先生が言います。「実はな。Aは、必ずその銭湯では、31番の棚に自分の服をいれてたそうだ。大好きな野球選手の背番号なんやと。その日は、その番号に違う服があって、勝手に隣の棚に31番にあった服を入れ替えたんや。」っと言うのです。誰が聞いても、Aに非がありました。10匹の馬が人間に戻った瞬間でした。10匹の馬は、殴られたAを見ていたBが、Cに話して後は、CからDとEに、そしてFとGへHへIへ伝言され10匹の暴れ馬が生まれました。しかも、その会議室で10匹の暴れ馬は、だれもA君とは話していなかったことが分かったのです。

10匹の暴れ馬を前にした先生は、事に真相を話した後、全ての出来事には、一つの真実があり、それを見る100の目には50のストーリーが生まれる、だから真実を求めることは重要で難しいことなんだと話してくれました、つまり諭しです。続けて、Aを叩いたZ君が、Aに謝罪に来るらしいぞと言い、お前達はどうすると聞きました、人間に戻ってた10人は、俺たちも迷惑をかけたZの小学校に謝りに行くと答え、それは正解でした。

暴れ馬に説教してもそれは、無駄でした。先生は、この暴れ馬を進んで謝罪させるというゴールを設定して途中いろいろな着地点を用意して、最終的には、暴れ馬を人間に戻してからそこに追い立てました。ゴールへ通ずる道が逃げ道だったので進みやすかったんだと思います。暴れ馬の状態でこれをやったら、無理矢理首根っこを押さえ込んで力ずくの謝罪になったでしょう。目的から離れた結果になったかも知れません。

頭領にとってこれは、(逃げ)道の先にゴールがあった宝物の経験です。

この事は今吹衆には、ちょっと難しいな。前項と併せて、知ってくれればそれでいい。なにをって?今吹衆の頭領と、今吹衆の周りの大人達はこう思ってることさ!

 

 

 

2013年8月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima