この鶏野郎め!

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人間、言われるとどうしても我慢ならない言葉ってありますよね。バック・トゥ・ザ・フューチャーで、主人公が、「チキン野郎」と言われれると、切れて、暴走するシーンがありました。実は、頭領にも、つい、反応してしまう言葉があって、一つは「こんなともでけへんのか!」っていわれることにくわえて「男のくせに・・・」と言う言葉です。要するに、出来ないということを指摘されることですが、それを言われた途端、怒ってました。それに「男」が絡むと、頭が真っ白になってもっと話はもっとややこしくなっていきました。今は、たばこを吸いませんが、その昔は、結構なたばこ吸いでした。そのきっかけが、「男のくせにたばこも吸えんのか!」と言われたのがきっかけでした。馬鹿な話でしょ。「男のくせに」っといわれた、一つ一つのことを今思うと反省するんですが、何につけ、相手に「出来ない」思われてるっと感じた瞬間暴走してました。終わって、フウフウいいながら、出来なかった何かをやり終えても、やり遂げたっていう喜びの前に、「どうじゃ、ざまぁ見さらせ!」と怒り終わってるって感じでした。この性格は、非常に体によくなかったです。

ので、いまでも「しばらく様子を見ましょう」とか、「先にこれをやってそれは後に」とか言われると「俺にはでけへんとおもとんな」って走り出してしまうんです。ところが体は壊れて、直ぐに動かないのでこっちは、焦ってるのにまわりは、「様子見たはるんや」って思っているらしく、体壊れてからは、なんとなく周りと歩調が合うようになってきました。障害も持ったことは、強がりでなく神のお恵みと考えてます。

出来ないことをやろうとすると後ろに下がるワケにはいかない、転んでも前に進むしかないんです。これは、おもしろいことでつらいことではなかった。ゴールがあったので、わかりやすかったです。なにより、出来ない何かを与えてくれる学校、法人、会社、道場、塾、教会、クラブ、仲間達・・・。ともかく何かの集団に加わることで、必ずできない何かに出会い、それが出来る連中がいて、出来ない仲間もいて、いっつも怒ってる自分もいて・・・。集団には、出来ないことを提供してくれた方々がおりました。それは大人であったり、友人であったり、見知らぬ学生であったり、いろいろな「出来ない」をくださった皆様に今は、感謝しております。本当です。

なんの努力も、苦労もしないで、出来ないことが出来るなら、道場にも学校にも行く必要が誰にもありません。だれにでも「出来ない」があるんだ、だから練習して、苦労して、「出来る」を勝ち取る、それがおもろいんとちゃうんかい。練習しんどい、苦労がしんどい、だから行かないっという理屈は、頭領には、あり得ないことに思える。

いずれにしても今吹衆よ、出来ないことを当然のように言う子、出来ないことに100の理由をつける子、今吹衆にはあわないぜ。そもそもそんなことこの頭領が許さない。まずは、やってみな、出来ないだろ、それから、何度でも、何度でも、やってみればいい。いつまでっていちいち聞くな、出来るまでに決まってるじゃないか、血反吐吐くまでとは言わないよ、おんなじ空気吸ってる、おんなじ水飲んでる、おんなじ歳の奴らがやってることだ、出来ないはずがない。君らにもやれるれんだ。出来ない何かを君らに言う、その人を先生と呼んでいい!出来ることばっかり言う人間は、今吹衆には必要ない。

さて、今吹衆、出来ないことにいつまでも逃げ回ってたって、出来ないことは、消えることはないぜ。ならば、逃げることに意味があるか、人類が始まったその日から逃げて逃げ切れたヤツは一人もいない。人間は、原罪を持った瞬間から、逃げ癖もついてしまった。逃げ口上考える時間はもったいない。ともかく逃げるな。性(さが)と呼ぼうが、本能と言おうが、そこから逃げるなよ、今吹衆!。逃げることに意味なんかない、そのことを理解せよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年6月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima