ガンマンにネクタイ?いいえ!我慢と忍耐です

このエントリーをはてなブックマークに追加

頭領の時代の武道場の先生達は、堪忍をすることを修行の一つとしてました。それは、技術の向上と言うより精神修養でしたし、心体の基礎作りでした。そしてそれは、各家庭でも普通に行われていることでした。たとえば、町も今のような危険な時代でなかったので、どこの家でもお使いは、子供達の仕事の一つでした。頭領は、朝一番に田中屋のパンを買いに行くのが家での仕事でいやがろうが、雨が降ろうが、寒かろうが、暗かろうが、小学校に入学と同時に母親に背中を押されて朝のパン買いが始まりました。家では、母親が縫製の内職をしていたのでそれを家族で手伝うのも決まり事でした。それは時には自分の余暇より優先されました。何度、「遊びに行きたいのに・・・」と言う気持ちをすりつぶしたか知れません。家での仕事は、なんだか「我慢」だった気がします。

前に言いましたように頭領の家は頭領のひいじいさんからずっとカトリックの家です。日曜日には、家族そろって教会に行き、ミサにあづかる(ミサに行くことをこう言ってました)、平日の6時から始まる早朝ミサも神父様のお手伝い(侍者と言います。当時は「ミサごたえ」とも言いました)をしに行きました。これは、「忍耐」でした。

さて、どう違うの、と聞かれれば、イメージ的にはポリシーを持って耐えるときには忍耐で、意味も分からずこらえているときが我慢? ・・・どっちにしても必要な修行です。耐えてこそ見えるものがある。しかし、この加減が難しい時代になりました。諸先生方もこれで悩んでおられると思います。道場最初の行き止まりの壁です。子供達が、耐えないんです。これでは、練習にならない。それに、耐えない修行を続けることは、頭領自身が練習してきたことの否定につながって、へこみます。今吹衆には、「滅多打ち」という練習法があって、ある程度の年齢とある程度の技術が伴えば、練習メニューに入れるんですが、これが相当にきつい、ある人から、「滅多打ち」に意味があるのか、自分がよかったからって、他の人間に役に立つとは限らない、見た感じも悪いし、やめるべきと言われました。滅多打ちは確かにしんどいんです。つらいんです。でもそこから得るもの、見えるものを子供達に感じさせたい。今のところ、これに耐えたのは、頭領の二人の息子と野球を小さい頃から野球をやってた野球少年だけです。奴らは、腹筋しても腕立て伏せしても最後までやる子たちです。

我が身を振り返って、頭領の四人いる出来損ないの子供にも家での役目があります。朝一番に頭領が六人分のを洗濯をして、それを干すのが、長男、次男のお仕事、娘達も同じです。冬の寒い日も夏の暑い日も、長女はゴミをまとめて出す係、次女は朝の新聞取りに行く係、これは、多分、うちを巣立つその日まで続きます。ここで住む以上、いやとか、嫌いとかは、後の話で、やらないなら、ここを出て行く、それがこの家のルールで、社会のルールです。それが彼等にとって、我慢か、忍耐かは、それは彼等が決めることですが、きっと成長のプラスになる。だから、子供達に安心して我慢か忍耐をさせる環境を作る。それが父の勤めと思ってます。別に偉そうに言うこっちゃない、多分、昔から今も、どのとーちゃん達もやってきたことと思います。

今吹衆よ!いやだからしない、つらいから行かない、きらいだから食べない、頭領、前にも言ったぜ!我慢を選ぶも選ばないも君らの自由だ、自由に生きればいい。しかし、出来れることならば、よいものをえらんでほしい。「楽なもの」、「遣りやすいもの」の後ろには、あんまり何もない、これは頭領の経験だ。これいやだな、しんどいな、やりたくねぇなって思うものの後ろには、案外、お宝があるもんだぜ、今吹衆!それも頭領の経験したことだ、前にも言ったが、頭領信じて、とにかく、やってみな!堪忍全てをだ。堪忍する中で、どうしても意味の分からない堪忍なら、頭領にも話してくれ。その堪忍が我慢か忍耐か、意味があるんだか、ないんだか、一緒に考えような。だから今吹衆は、堪忍することから逃げる子供にならないでおくれ、頭領からのお願いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年7月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima