2013ラジオまつり

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石上、田中、両先生、ラジオ出演です。2015年の和歌山国体のデモスポ競技になったことで、県内の色んなところから声がかかります。これは、和歌山放送55周年記念と和歌山放送公開イベントに自転車競技アスリートの皆さん、カナダ生まれのキンボール協会の皆さんと、ドイツ生まれのインディカの皆さんと我が日本生まれのスポーツチャンバラが呼ばれ、紹介とPRさせていただく企画でした。こういったイベントの経験値を着実に重ねておられる両先生は、見てる方も安心です。紀ノ國のスポーツチャンバラの発展をいま、この国体というビックウェーブに乗り切って、行けるところまでいってみたいと思います。こぎ出せる波がある間は、今吹衆は休みません。だって、楽だから!波が静まった時は、舟を捨てて泳いでみるか、浮いてりゃどっかにつくさ!今は、忙しい波、次は多分暇な波、そんな波の繰り返し、だから俺たちゃぁ、波に影響されない自由な風でいような。荒ぶる波も静かなる波も、俺たち今吹衆には、何の問題もねぇ!なぜって?俺たちゃぁいつでも舟を捨てることができるもんね!

さぁ、次は、那智勝浦の体験会だぁ!がんばるぞ

 

 

 

2013年11月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

和歌山県本部道場始動!

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「本町道場」が新たに「十三番丁道場」として生まれ変わりました。この事によって、和歌山県スポーツチャンバラに本部道場が誕生です。実は、頭領、この紀の国でスポーツチャンバラを始めようと思った時から、シンボリックな紀の国の本部道場が必要だなと思っていたので、この道場の存在は、とっても嬉しいです。できれば、シンボルだけではなく、具体的なものであってほしいと思います。さて、この道場は、福森先生個人道場です。今は、まだ十三番丁道場として、クラブ活動とかスポチャン教室とかのスタートは切っていないそうですが、この道場にて、各道場長が情報交換したり、指導技術を学んだり、インストラクター取得、段位審査、協会役員会を行っています。ということは、やはりここが和歌山県スポーツチャンバラ本部道場なんです。何より、福森先生が、紀の国で一番最初にスポーツチャンバラを始められた先生なんです。そのご存在は、総本山から眺めていただいても紀の国で重要な役割を担っている道場とご評価いただくに値すると今吹衆は、思料致しております。名実ともに重要な道場ということで、十三番丁道場は、県下の各道場とは、一線を画する道場であり、安田会長がこの道場を和歌山県の本部道場と宣言されたことにより、そのことは、確固たるものになりました。ので、今吹衆どもは、このことを心から喜び、祝意を評します。併せて、将来この本部道場にて段位を取りに来るであろう今吹衆の悪童どものことをよろしく、よろしくお願い申し上げます。

さぁ、今吹衆!ここから、段位取って、免状も取得して、道場長になること目指そうぜ。そして、我が日本が忘れかけてる色々な大切なものを次に繋いでいこうな!

 

 

 

 

 

2013年11月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

トヨカロお客様感謝祭!

 

カンタ  ムー・かず 全員  ムー・カンタ

秋のトヨカロお客様感謝祭にて、体験会やってきました。国体応援企画です。ので、スポーツ吹矢さんとラクビーさんと一緒に体験&ご紹介です。まだまだ認知度の低いスポーツチャンバラは、よいスポチャン布教になりました。今吹衆の中学生も随分体験会慣れしてきました。カンタの対戦相手もムーのチラシ配りも堂に入ってきたな。今回は、カズさん一家もお手伝いに来てくれて、大変助かりました。ともあれ、このような場所を与えて頂いたトヨタカローラ和歌山さんに感謝です。ありがとうございました。

体験会と一口に行っても、主催者の意向、企画の規模、実施の場所によって、様々に変化します。例えば、とにかく、来てれくれた方々に、無理からでも面をおっかぶせて、エアー剣握らせて、対戦させる、名づけて「バナナの叩き売り体験会」、他にも綺麗に整列してもらって、細かいルール説明から始める「めだかの学校体験会」、逸る気持ちを抑えきれない「羊の牧場体験会」などなど、とにかく一人でも多くの人にスポーツチャンバラの面白さ、手軽さ、誠実さを知っていただけるとどのタイプの体験会も成功なんです。ただ、大阪市協会の大平先生から体験会の成功とは、ちょっとの記憶に残すことだ、どんな立派な体験やってもそれだけで人々がクラブや道場に集まることはない、これは、とっても重要な草の根運動なんだ、と教わりました。一度、スポチャンを体験した人は、次、自らの意図と関係なくスポチャンを見聞きした時に共感し、共鳴し始める、そうなると、インターネット使って、どこでスポチャンができるのか、探し始める、或いは、偶然、街で道場を見かけたときにフラフラっと道場に入ってしまう。そうなることを願ってます。頭領にとっては、武道が、スポーツチャンバラの体験会だった部分があったので、実は、スポチャンの体験会に参加してもらった経験はあっても、参加した経験はありませんが、こんな思いから今吹衆は、積極的に体験会のお手伝いをします。

 

そうそう、頭領にとって一番面白かった体験会は、東大阪市民まつりでの体験コーナーでした。体験に来た人たちが、ラクビー選手に野球選手、剣道の達人にボクサーとか、一癖も二癖もありそうな連中で、体験する側もされる側もはじまる前は、相当に力が入っていたんです。入っていたのは、力だけでなく「お酒」も・・・。こんな、体験者を迎えるこちらの先生たちも10癖も20癖もあったので、どうなるんだろうってヒヤヒヤしてたら、なんのこっちゃない大笑いしながら、チャンバラ遊びを楽しんでおりました。円月殺法を使って、ツキを食らってるラクビー選手、飲みすぎて、酔拳使いみたいになってるボクサー、ただ、剣道の達人と金子先生だけは、離れたところで、武蔵と小次郎みたいになってました。見ず知らずの大の大人が、エアー剣振り回して、大笑いしていた体験会でした。東大阪っていう土地柄もあって、とっても面白かった体験会でした。

 

さぁ、体験会は、今吹衆にとって大事な仕事のひとつだ、もちろん、学業、家事には及ばない。時間があれば、エアー剣持って出かけようぜ、次は、ラジオ祭りだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年11月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

今福小学校区子供センター体験会

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その昔、土曜日が休みなったことを受けて各小学校区で子供センターが立ち上がったそうです。土曜日の子供たちの時間を有意義に過ごしてもらうことがセンターの目的とのことでした。

さて、今福校区子供センターのご依頼を受けて、県協会の協力を得た上で、スポーツチャンバラの体験と紹介をさせていただきました。初めにスポーツチャンバラの各種目の紹介とルールの説明をして、準備体操して、扇打ち、回し打ち、掬い打ちを練習して、スポーツチャンバラを楽しんでもらうため、サバイバルをしました。それから城攻め、そして、最後に競技としてのスポーツチャンバラの試合をしてみました。みんな、楽しんでくれたかな。

こういう形で地域に関われることは、今吹衆の存在意義でもあり、とっても嬉しかったです。また呼んでください。今福校区子供センターさん、特に事務局の浦口さん、ありがとうございました。

さて、今回は、今吹衆からカンタ、ナオト、シンヤ、ユウマ、ミチカ、マチカの6人が協力してくれました。さらに有朋館の田中先生が応援に駆けつけてくれました。皆さんに感謝です。さて、今回やった「城攻め」についてです。広い場所とそれなりの人数と用具はもちろんマットなんかがないとなかなかできませんが、今回全てが揃いました。ので、「城攻め」の経験できた今吹衆も今福小学生も実は、とってもラッキーです。

体験した子供たちは、わかると思います。城攻めは、守るより攻めるほうが断然むつかしいんです。守り手は、役割がはっきりするんですが、攻め手は、状況判断が求められる。ので、良いリーダーがしっかり指示だして初めて、戦線突破できる。守り手は、各自のポジションを死守することがその役割なので、しっかりそれぞれ個の責任を果たせば、攻め込まれることはない、やがて、攻め手の人数が減ったところを見計らって、打って出れば、守り手が勝ち!でも、攻め手のリーダーが、「右だ!左だ!」と指示を的確に出せば、第一戦線を破って城内に入り込める。入り込むと王様を守ろうとする子と逃げようとする子で城内は混乱する。第一戦線を打ち破ってきたチームには、すでに指示命令系統が出来上がっているので、もう破竹の勢いです。ここで、この組織力を体験できれば、スポーツチャンバラの体験する以上の体験ができたことになります。子供たちが、この体験会終了後、口を揃えて「面白かった」っと言ってくれたことが、この城攻めの組織力を作ったことにあれば、頭領は、いうことがありません。だから、このことを体験できた今吹衆は、今回、集まってくれた今福小学生たちに感謝してください。感謝してしきれない体験をさせてもらったのは、君たちの方だ。よかったな。

なので、もう一度言います。今福校区子供センターさん、ありがとうございました。

 

 

2013年11月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

やぁ、やぁ、兵は?いいえ、平和です

前に力愛不二の話をしました。「愛のない力は、暴力」「力のない愛は、無力」の話です。同じテーマになるんですが、今回の話は、聖書から話します。ルカさんの福音書です。イエスさんと弟子たちが、イエスさんが捕まる前の晩、夕食をとってました。ご存知最後の晩餐です。それは、カトリックでは、非常に意味のある晩ご飯でした。ご聖体を制定されたのがこの時です。弟子たちは、イエスさんの話を聞いて、裏切り者を詮索したり、誰が一番偉いか言い争ったり、一番弟子のペトロさんが、イエスさんから、師の否認を予告されたのもこの時でした。・・・ので、こうやって見ると最後の晩餐は、意外と盛り上がってたのかも知れません。これから何が起こるかをご存知だったイエスさんは、ちょっぴり、気が紛れる瞬間だったのかもなぁ。さては、そんな最後の晩餐での話・・・。

イエスさんが、晩餐の後、12人の弟子たちに「私が、財布も袋も持たさんと君らを派遣した時に、君ら、なんか不自由したんかいな?」と言い出し、12人の弟子は、答えます。「先生、そんなこと、全然ありませんでしたで。」その返事を聞いて、イエスさんは、言います。「そやけどな、これからは、財布は、しっかり持っときや、カバンも要るで、そやそや、刀もいるんやで、刀持ってへんかったら、上着を売り飛ばしてでも刀、買いや。ゆうとっけどな、『あいつは、悪いヤツの一人に数えられたんや』って、もう書かれとんねん。そやから、そないにならなあかんねやわ」。すると弟子の一人が答えます。「先生、見ておくれやっしゃ!ここに剣が二本おまっさかい。」それを聞いたイエスさん、「・・・ほな、もうええわ。」と言われました。

分かりますか、かつて、「右のほほを打つ者に左のほほを向けよ」とおっしゃったイエスさんの言葉とは思えない言い回しに弟子達は、ちょっと困惑したんだと思います。「先生!刀は、二本もありまっせ。」という答えに「もうええわ」と言われたイエスさんに「おまえらなぁ、ちゃうやんか、そんなんゆうとんちゃうねん。」っと言いたげなイエスさんの姿が、頭領には見えるようです。この後、イエスさんは、オリーブ山に行って、血反吐が出るほど父なる神に祈り、もだえ苦しみ、逮捕され、十字架に掛けられます。頭領は、こう思うんです。イエスさんは、公生活をともに過ごした弟子達の身を案じたのではないでしょうか。この場面で頭領は、力じゃない、人を愛することを第一に考えなさいと言い続けたイエスさんが、自らの残酷な死を目前にして、かわいい弟子達が心配で心配で仕方なかったんでしょう。私には、もうお前達を守ってあげる時間がない。私の嫌いな剣を持ってもいい。金ももっていいんだ、食べ物もたくさん持って、とにかく自分の身を護りなさい。そう言いたくて、上述のように言ったのに、師の心弟子知らずです。「先生の大嫌いな剣が実は、ここにありまんがな、しかも一本ちゃいまっせ、二本でっせ!」という弟子の答えを聞いて、メンバーは、12人も居るのにたったの二本、なんじゃそりゃぁ、しかも、ここに刀があるかどうかは、どうでもいい、何が何でも自分の身を護ってほしいのにお前達に言っても無駄なのか・・・。

そこで、頭領はもう一度、聞きます、イエスさんの返事が「もうええわ」って返事の理由、分かりますか。

もう一つ、平和について、話変わって、いよいよ徳川幕府が終わりを告げようとしていたその時、その返事を待つ龍馬さんが、「慶喜さんも大政の返上は、難しいことじゃけえ、7・8歩まで来た頃合で、その様子によっては、最後は、大砲ぶっ放して、当てはせんけど、煽ったることもしかたないきにぃ」と言ったとか言わないとか。あれだけ平和主義者の鏡のようにドラマや映画で描かれる龍馬さん、慶喜公が大政の返上に躊躇したり、じゃまが入ったら、武力行使を考えていた、と言う話です。平和を築くには、時に刀も大砲も必要なのでしょう。いいや、武器が必要かどうかは、頭領には、答えが出ませんが、いざというとき、それを手に取る度胸がなくては、たぶん虐げられる存在になってしまう気がします。武器は必要ないかも知れない、それは、イエスさんのかわいい弟子達が、その後、剣を手に取ることは、ただの一度もありませんでした。龍馬さんも一発の大砲もぶっ放すことはなかったんです。

さて、平和って、本当に優しさだけで生まれるんでしょうか。平和を築く強さは、武器を取ることのできる心の強さから生まれ、でも間違いなく、武器を取った手からは、平和は生まれません。そのことを教えてくれる、この二つの話は、頭領にとって大切なシーンです。

 

さぁ、今吹衆は、エアー剣使って、そのことを学びなさい。

 

 

 

2013年11月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

今吹衆のTシャツ

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今吹衆Tシャツについて、ちょっとご説明を・・・。

先ず、今吹衆Tシャツの色(ライトブルー色)ですが、今吹衆のモチーフがずばり「風」、“ 我らは風、大空と大地を自由に吹き渡る風 ”なんです。つまりこの色は、風をイメージした色合いであることと、これに併せて、頭領にとって、幕末に「誠」をかかげて時の流れに挑んだ新撰組のカラーイメージなんです。とは言え、よくよく見てみると、新撰組が浅葱色の羽織を着た期間は、かなり短かったらしく、いやいや、いやがって着なかったらしいとか・・・。ちょっと納得するのは、この色で、探索、潜入、捕り物するには、ちょっと目立ちすぎるよなぁ、だからあくまでも頭領にとっての新選組のイメージカラーということです。確かにね、このTシャツ、黒や赤が多い試合会場では、特によく目立つんです。あんまり他の道場がチームカラーに選ばない色合いでもあるので、今吹衆は、どんな試合会場にいてもすぐに分かるんです。だから、目立つには、悪くないんですけど。・・・。

それはともかく、今吹衆は、「誠」を大切にします。時代遅れと言われても、頑固者と言われてもこの部分を譲るわけにはいかない。士道の精神を表現するため、桜吹雪と今吹八風を背中にしょって、練習に励んでます。ので、皆さん、この色のTシャツを見かけたら今吹衆かも知れません。声かけてあげて下さい。よろしくです。  

 

2013年10月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

ハロチャン実施

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ハロチャンやりました。なんの略かと言いますと「よその国では、ハロウィンという祭りがあるらしい。ならば、祭り好きの俺たちも仮装してチャンバラやらねば!」を略して、ハロチャンです。けして、ハロー!キティちゃんの略ではありません。海賊もいれば、騎士もいて、魔女も妖精も黒猫ちゃんも仮面ライダーウィザードもいるし、ピカチューもいるし、みんな、みんな、とってもかわいかったです。・・・ですが、中学生トリオは、インターポールから、国際指名手配されそうな危険きわまりない仮装(というより、ひょっとして、あれ、やつらの普段着か?)をしてました。カッパさんと猫ちゃんの大人がいました、ちょっと地味装だったので、来年に期待しましょう!

熱心なカトリッカーの頭領ンちでは、この時期は、ハロウィンでなく、諸聖人の日を全然楽しくなかったけど、教会でお祈りしてました。もっとも、頭領の子供ん時は、ハロウィンって、ほとんど誰も知らなかったもんな~。日本で、わいわい言い出したのは、いつ頃だろ?ここ十年くらいでないですか?でもおもしれーな、これ、別人になって、楽しめるのがいいね。カトリックのくせにハロウィンするのか、と言われるかのな?そうです。するんです。だって、楽しいもの・・・、七五三も敬老の日も母の日も日本の教会では、するんです。なのになぜに父の日をしないのか、日本の社会全体がちゃんと父の日をしないから、教会でもしないんだ。こんなモンだな。父親なんて・・・。カトリック教会が、土着のお祭りと融合するのは、僕は、いいと思います。

そもそも頭領が信じてる神様は、頭領がよその神さんからお餅貰ったからって、すねて怒るようなちんけな神様じゃねぇよ。だから大好きなんだ。

さぁ、今吹衆!イベント盛りたくさんの秋だ!冬になる前に思いっきり、楽しもうぜ。だから、今吹衆には、急に寒くなったからって、病気なんかしてる時間ねぇぜ!よし、次は、今福小学校子供センターのスポチャン企画だ!

 

 

 

 

 

 

 

2013年10月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

風の今吹衆に心強い大風が加わった!!

最近、このブログちょっとサボリ気味でした。ヨゥヨゥ、ネタ切れ?お疲れ?パソコン離れ?おれ、だぁれ?

・・・ちょっと踏んでみました。韻・・・。さぁ、今吹衆で、いま、一番ホットなネタは、トヨさん一家が、今吹衆に加わってくれたこと、総勢6名の大勢力です。とにかく家族で加わってくれることが何より嬉しいことです。いつかこの一家から、スポチャン界のグランドマスターが出て欲しいと思ってます。このところ、ちょこちょこっと仲間が減ったり、あっつい夏以降、休みがちな今吹衆が多かったので、この風は、大きな何かを感じさせます。新しい仲間が増えるたびにいつも大きな何かを感じます。棟梁がスポチャンやらなければ、こんなに大きな可能性を秘めた、この子には、この親御さんには、出会うことができなかった。体が、壊れた時には、もう、スポチャンは、無理だろうなって思いました。現実、今もスポチャンは、できません。僕ができるのは、マネージャーで、今吹衆が誕生した、その日以来、今吹衆のリーダーを求めているんです。ので、可愛い双子ちゃんが来た時も「この子達ひょっとして今吹衆のリーダーになってくれる子かも・・・」って考えてしまいます。だから、体の壊れた頭領は、みんなに期待するし、遠隔地の体験会に協力するのも、ひょっとしてひょっとして、将来のグランドマスターと出会えるかもって思うんです。なぜって?だって、みんな、僕より動けるんですもの!期待されて、当然の子供たちで、当然の大人たちです。マヒしてても、この感覚が全身に残っている間、頭領は、いつも新しい風を感じることができるし、新しい風との出会いにワクワクしてます。

では、トヨさん一家、これからもよろしくお願いします。さぁ、今吹衆!あれもこれもバネにして、もっと練習しようぜ、目標にはまだまだ遠い、俺たちは、もっともっと高いところを自由に吹く風になろうな!

 

2013年10月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

スポーツの秋

今日は、中学校のPTA対抗でパパさんソフトボールとママさんバレーボールの大会がありました。我が校はなんと四位・三位で見事入賞です。えっ参加校の数?・・・そんなもの頭領も知りません。そんな小さいことどうでもいいじゃありませんか、この素晴らしい季節に他校のPTAさんと、スポーツっできることの素晴らしいこと!0点で負けたのでなければ、勝つ可能性はあった、ということです。

先週は、有田町にて「チョウリンピック」と称するスポーツイベントがあって、有田川町スポーツチャンバラ大会が開催されました。三十余人の猛者が集結しシノギを削りました。今回は、有田川町民対象のクローズ大会でしたが、来年は、和歌山県下スポチャン大会になるそうです。更に明後年は、いよいよ国体デモスポ競技として大会が、開催されます。いや、ホント楽しみです。

とにかくスポーツするには、いい季節です。あちらこちらで大会は行われてるし、試合で腕試しするのもよし、いつも以上に練習するもよし、異常なまでに暑かった夏が過ぎようとして、やっぱり、止まない雨はないし、来ない春はないんです。耐えることが幸せに通じる教訓だと思います。

さあ、今吹衆、風が心地よい季節だ、たっぷり練習しような。12月には、二度目の昇級審査会を実施します。頑張ろう。

 

 

 

2013年10月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

2020オリンピックは東京だ!

関係者の皆さんは、大変な大業を成し遂げられました。お疲れ様でございました。世間では、上心にも下心にも深読みされる方もいらっしゃれば、安部首相のスピーチに感動する方も、疑問に思う方もいらっしゃって、今吹衆頭領が東京、選ばれてよかった、よかったっと思うのは、ちょっと単純なんでしょうか。経済効果も期待できるそうですし、何より、この日本を選んでもらったことがなんだかうれしいです。高校野球ワールドカップも日本球児達は、調子がいいようで、これもうれしいことなんです。頭領には、オリンピック招致のことも高校野球のこともよくは分かりませんが、とにもかくにも、がんばれ日本!!

さてさて、オリンピックと言えば、言わずと知れた世界最大のスポーツの祭典です。だから、話題もいっぱい、夢いっぱい、決まった以上は、いいものになってほしいと頭領は、この祭典に関われるわけではないのですが、本気でそう思っています。関係者の皆様におかれましては、7年後の東京五輪が、世界の歴史に残るようなすばらしいものになりますよう、一層のご尽力をお願い申し上げます。

スポーツという以上、勝たねばなりません。大会が大きければ大きいほど、結果を出すことにその意義を求められるからこそ選手のプレッシャーは、途方もなく大きくなります。この部分は、スポーツと武道とのちょっとした違いでもあるように思います。そういえば、頭領がまだ柔道小僧だった頃、ロス五輪柔道無差別で、山下選手とラシュワン選手の試合で、頭領の柔道の師が、柔道小僧達をあつめて、こう言いました。「日の丸背負って、痛みに耐え抜いて、逃げずに戦った山下選手を見習うべし!」と。その言葉の中には、ラシュワン選手が山下選手の負傷した脚を攻めたかどうかには、全く触れず、また金メダルを取った山下選手に対する賞賛の言葉もありません。ただ、痛みに耐えて、日本柔道の面目を守った山下泰裕先生を見習えという、まさしくこれが武道なんです。柔道の師は、たとえ山下選手がラシュワン選手に負けていても同じ事を言ったとお思います。道を究めることを目的とする武道は、勝ち負け以上に習得しなければならないものがあります。その部分が、武道家とスポーツインストラクターと一線を画する部分でした。「でした。」というのは、武道家先生もその時代の流れからスポーツ化の道を歩んだように思います。それは、必然でした。なれば、勝敗は、きわめて重要です。その世界なら引退もあるでしょうし、人気を集めることも勿論、重要なことなのです。今でも「道」にこだわられる武道家先生もいらっしゃると思いますし、スポーツチャンバラの世界にもいらっしゃいます。しかし、今や武道として立ち、スポーツと一線を画することは、簡単な事ではないのでしょう。ですが、風の今吹衆は、スポーツから武道のよい部分を学びたいと思っています。スポーツである以上、勝つことにこだわって修行を積んでいきたいと思いますし、「勝つ」こと以上の価値のものにもこだわっていきたいと思っています。武道の先生方には、これからもご指導お願いいたします。何より、今般、オリンピック招致の成功については、心よりお喜び申し上げます。向後、この祭典に関して、世界中の、選手を含むご関係の皆様のますますご活躍をお祈り申し上げます。

 

2013年9月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

神々と人間と!

異常気象のレベルでなく、天変地異だそうです。この夏は、大雨といい、竜巻といい、「特別警報」とか「経験したことのない」とか、最大に警戒を呼びかける言葉が発報されました。不幸にして被害に遭われた方には、衷心より謹んでお悔やみ申し上げます。ニュースで見聞きするだけでも自然の力に脅威を感じずにはいられません。体験された方は、本当に大変だったことでしょう。我々の先人達は、強大な自然の力の中に神々の力をみました。ある者は恐れ敬い、また、ある者は自らの不徳を顧みるきっかけとし、そしてある者は、神々との戦いに身を投じました。先人達は、そこに自分、または、自分の周辺の人間以外の大きな力を持つ存在を感じ、それとの関わりを持ちました。これは大切なことだと思います。恨んでもいい、愚痴ってもいい、恐れても、憎んでも、それと共にあろうとすることが先人達の慎ましさの根源だったと思います。そして、神々との戦いに挑んだ、勇猛果敢な大なり小なりの土木技術者達は、歴史上、ただの一度もその戦いに負けたことはありません。時間と知恵を武器に彼等は、連戦連勝の結果を得ました。なぜって、神々は、弱い者いじめをしないからです。だから神々との戦いに身を投じた者も最後には感謝します。それは、仲間にであったり、技術にであったり、新しい知恵であったり、戦う相手であった神々であったり・・・。この相手と戦った者には必ずパッピーエンドが待っています。希望を捨てないで、自然は脅威じゃない、本当に怖いのはあきらめる自分です。僕は、自分の半身を失ったときもあきらめなかった。勿論、今もあきらめていません。もし、自然の力に全財産が奪われても五体が残って、時間があれば、十二分に戦えます。そして勝利できます。つらいニュースを聞く度に、僕は応援してます。山火事にも竜巻に大雨にも地震にも負けるな、人間は世界のどこにいたってそんにヤワじゃないわい、今吹衆頭領は、信じてます。神々の存在と人間の力を!

2013年9月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

下手の考え休むに似たり

レット イット ビーにケ・セラ・セラ、果報は寝て待ていうし、ケンチャナにモーマンタイ! 勝手な解釈ですが、どれもこれも、焦るな、焦るな、まずは、ゆっくり茶でも飲んで、受け止めようぜって事ではないですか?

なるようになるわいな、静かに待ってろや、よい結果がでればラッキーやし、ダメな結果なら、それから考えようぜってポジティブな考え方は、世界の人が理解する。「待てば海路の日和あり」、「人間万事塞翁が馬」です。でも、ただ待つのって、頭領は、ちょっと苦手でした。とにかく若い頃の頭領は、待つのが嫌いでした。こんな無駄な時間が世の中にあっていいのかって、何かを待つ時、いつもそう思ってました。だから、前の話ですが、野球の打順が嫌いで、野球が出来ませんでした。 でも、この体になってから待てるようになりました。こんな経験してからです。

それは、脳内出血発病後、退院して初めて教会にいったときのこと、勿論、半身麻痺で車いすに乗ってました。その教会には、エレベーターがあって、苦労すること無く聖堂に入ることが出来ました。車いすだったので、一番後ろの席の後ろに着きました。久しぶりの御ミサは、それなりに感慨深いものがあって、終盤に近づいてきました。御ミサには、聖体拝領と言われる儀式があって、カズラ(祭服)を着た神父さんから、ご聖体をいただくのですが、ふと見ると通路が狭すぎて車いすでは、祭壇に近づけない、ベンチの背もたれを手すりにして歩いて行くか、いや、ご聖体を拝領した信者さんが帰ってくる、この人達をよける能力はない、ならば、通路ではないが、壁沿いに進んでいこうか、いや、これもだめだ、みんなカバンを置いてる・・・。万策尽きた、聖体拝領の列も無くなりそうだ、あきらめるか、でもここまで来たんだ、なんとしても御聖体を受けたい、子犬でさえ、落ちたパンくずをいただけるというのに、今の自分には、その資格さえないんだろうかと思い始めていました。どれだけ考えても祭壇に近づく方法が見えてこない、聖体拝領をあきらめかけたその時、席に戻った神父さんに耳打ちする教会役員さんが一人・・・。小さくうなずいたポルトガル人のヌノという名の神父さんがカズラを颯爽と翻して大股で、こっちに近づいてきて、こう言うんです、「これがキリストの体です」心の中で(勿論、知ってますとも!それをいただきたくてこんな体でここに来たんです)と思いながら、目からは涙が、口からは、「アーメン」という言葉がでていました。御聖体をいただいた後も涙が止まりませんでした。愚かな障害者は、何もせずキリストがくるのをただ待っていればよかったんです。このとき頭に浮かんできた言葉が「下手の考え休むに似たり」でした。また大股で祭壇に戻るヌノ神父さんの背中を見送りながら、僕に気がついてくれた教会役員さんにも感謝しながら、もう自分は、誰かに頼らないと生きていけない体になったんだ、それは、人であれ、神であれ、その誰かが手を差し伸べてくれるの待たねばと思うと同時に、何でも出来た頃の自分ともちゃんとお別れをしなければ・・・。あふれてくる涙を抑えることなく、でも祭壇までのルートを一生懸命に考えた自分の滑稽さに笑みも浮かべて、偉大な者の前にあっては、頭領の浅はかな思考には、何の意味も無く、考えることより待つことの大切さを知らされた経験でした。

だから、今なら打順ちゃんと待てるんだけどなぁ。でも、やっぱ、野球は難しいなぁ。ま、今吹衆も一歩一歩前に進もうな、頭領といっても不惑にして、いまだ修行中の身なのです。一緒に修行しような、今吹衆!

2013年9月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

イチローさんが4000打った!

世の中には、年齢の上下に関係なくかっこいい男がいるもんです。そんな人を頭領は、先生と呼びます。

さて、イチローさん。12000回打席に入って、4000回ヒット打ったそうで、でもサラリーマンなら、上司から仕事を投げられれば、全てに成果を出すでしょう。3回に1回だけしか成果出さなければ、評価されない、下手すりゃクビです。だから、サラリーマンは、みんなすごい。そう、頭領もあなたも、今吹衆のパパ達もみんな、すごいんですよ。実は頭領には、4000本打ったことがすごいかどうかが分かりません。だけど、だけどね・・・。イチローさんの生き方もコメント、本当にかっこいい。

イチローさんは言います。これややこしい数なので、両方のリーグの数字を足しているものですから、なかなか難しいんですけど、ヒットを打ってきた数というよりも、こういう記録、2000とか3000とかあったんですけど、こういうときに思うのは、別にいい結果を生んできたことを誇れる自分では別にないんですよね。誇れることがあるとすると、4000のヒットを打つには、僕の数字で言うと、8000回以上は悔しい思いをしてきているんですよね。それと常に、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、誇れるとしたらそこじゃないかと思いますね」

くやしい思いを8000回以上して、逃げず、迷わず、且つ、結果をきっちり残して、これを「侍」といわずしてなんと呼びますか。イチローさん、バットを持った侍です。何より、くやしい思いをしたことをこれほどまでにさらっと言ってのけれるのが「侍」の証、人は、くやしいときに言い訳するし、逃げ隠れする。それが成果につながれば自慢する。なのにイチローさん、そのくやしさとちゃんと向き合って、しかも誇りに思うそのサムライ・スピリッツ、今吹衆!わかるか、この男気が!この人からは、本当に多くの学ぶところがある。今後のイチローさんの活躍と言葉をしっかり見聞きしようぜ!この人は、君らの目標にすべき人物です。つまり先生です。

ちなみに頭領は、野球を全く知りません。それでも子供の頃は、草野球をやりましたが、打順を待つのが嫌いでした。この場面は、当然、おれの出番やろって思って勝手に打席に立ってよく怒られました。ついに我慢できず、相手チームの打席に立とうとしたときから野球は、やってません。頭領には、基本的に民主的で集団的な球技は、合わないようです。つまり、頭領は、野球が分かりませんが、Ichiro Suzuki先生の生き様とそこから生まれる言葉の偉大さは、理解します。更に高みに進む先生と先生の言葉を聞きたいと思っています。

゛先生、4000安打達成 ゛おめでとうございます。

 

 

2013年8月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

夏期強化練習を実施!

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和歌山県下の子供達を全日本大会に!世界大会に! 通用するスポチャン剣士にグレードアップさせることを目的として、大阪市協会の大平会長、ヤトー館の伊賀先生をゲストにお招きして、有朋館の田中先生、自灯館の石上先生、ご協力いただき、今吹衆主催で、お盆の休みの終盤にたっぷり三時間ほど、練習しました。ただの練習ではありません。強化練習でした。普段は、「強くなる」前に「まずは、楽しくある」稽古をしている今吹衆には、かなりハードな内容だったと思います。幼年部の後に少年部の練習をする、今吹衆の練習スタイルを考えないとだめかなっと頭領もちょっと反省です。それは、さておいて、所属道場にこだわらず、先生方も熱心にご指導いただき、スポーツチャンバラというスポーツの器の大きさを改めて感じました。

さてさて自灯館も今吹衆も、暑い体育館で、動き回って、大量の汗をかきながら、目指すのは、「強くなること」ただ一点のみ、他に練習する理由なんてない、先生達でさえ「はぁっはぁっ」いってるシチュエーションでは、君らの「暑い」だの「しんどい」だの「痛い」だの「つらい」だのネガティヴな感覚は、吹き飛んだはずだ。ここに強化練習の強化たる所以がある。先生達が椅子に座って、がんばれ、がんばれって言ってたって、それでは、「強化練習」にはなりません。その意味で、今回来ていただいた先生方は、強化練習向きの先生でした。本当のありがとうございました。自灯館の子、今吹衆の子に成り代わりまして、私、今吹衆頭領が御礼申し上げます。それにしても、自灯館も今吹衆もよく頑張ったぞ、これは、指導に当たってくれた先生方を代表して、君たちをガンバリ精神を素直に認めたいと思います。何度でも言います!本当によく頑張った!

これなぁ、勿論一回で終わってしまっては、強化練習の意味がないので、次回、次々回と続けていきたいと思ってます。県協会理事の一人としては、可能であれば、この強化練習は、定期的に企画して全日本を目指したり、和歌山県から世界を目指せる選手が生まれるような環境を造りたいと思います。つきましては、石上公望先生、田中克典先生、諸先生方、これからも和歌山の子供達を育てるため、ご協力をお願い申し上げます。いずれは、他府県からも和歌山に行けば強くなる練習が出来るらしいぞ、言わせる練習メニューを考えましょう。ご指導のほど、よろしくお願いします。

では、ゆうごもカンタもむうまもナオトもみちかも自灯館の皆さんもお疲れ様でした!

 

 

 

 

 

 

2013年8月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

和歌山スポーツフェスティバルに行って参りました

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和歌山国体の応援イベントです。777日前だそうです。スリーセブンとか、ラッキーセブンとか、そういった意味合いだそうです。それよりシッピン、クッピンより強い、アラシでしょ、777なら!ま、意味はともかく、この和歌山の一大イベントに今吹衆が関わらないワケがないってことで、写真は、むぅま、とカンタとミーですが、これに流浪人のナオトを加えて、体験会をおこないました 。竹豊館(合気道の道場です)の皆さんが、たくさん、遊びに来ていただき、さすがは、゛天地の気に合いする゛の名を持つ武道、今吹衆の隙を見逃さず打ち込むその攻撃に写真の三人は、たじたじでした。前に言いました、日本武士道の継承者であるあなた方を見本に今吹衆は精進します。お暇な時は、今でも遊びにいらしてください。

イベント参加者は、3000人近く(なんでも抽選券の連番号が3000番に届いたとか届かないとか・・・)居たそうで、スポーツチャンバラの体験コーナーもスタートした11時から終了の4時過ぎまで、一度も人が途切れることなく体験に来てくれました。ありがとうございました。また、和歌山を応援できる機会があれば、今吹衆は駆けつけたいと思います。

 

さぁ、今吹衆よ!和歌山国体盛り上げような!引いてはこの和歌山を盛り上げようぜ!

 

 

 

 

 

 

2013年8月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

ゴールへの(逃げ)道

さて、そう言ったわけ(前回参照)で、頭領には、相手を責めるときも論争するときも相手のと着地点を捜す癖があります。特に子供を叱るときもこう答えてくれさえすれば、最後のとどめを刺さずにすむのに、言え!言え!、こう答えろ!と念じながら怒ってます。なのに、子供たちは、なかなか正解を言わない。ならば、誘導尋問だ!もう少しで不時着できる、がんばれ ! でも落下するよりいいだろう!なに!貴様!ここで急上昇するのか?待ってくれ!うわぁぁーおちるぅぅー

子供たちと話し合うときは、こんなこと多々あって、・・・最後は、強制着陸です・・・。ここゴールじゃないのにってこともしばしば・・・。これは、大人としての頭領の能力不足で起こることなんです。落下させてしまった子供には言わないけど、落としてごめんなって思ってます。本当です。

話し合うときは、この着地点を先にしっかり考えて、相手を追い込んで追い込んで、最後のとどめを刺してしまうより、相手が子供であれば、尚のこと。ちょっぴりのゴールに通ずる(逃げ)道と着地点を用意することはとっても重要なことです。かつての大人達は、叱ろうとするより、諭そうとしたのでかつての子供たちは、着地しやすかったのかも知れません。

頭領が小六生だった時のこと、A君が銭湯で、よその小学生とトラブルになり叩かれて、その仕返しに駆り出されたたときのこと、目的の小学校にたどり着いて、頭領は、10人ぐらい仲間の、まずは先陣を切って目指す学校には入ったのですが、はて?A君を叩いた相手が分からず、そういえば、目指す相手の名前さえ聞くのを忘れたぞっと分かったときは、そこの先生達に追いかけられ、その日は、無様に逃げ帰りました。翌日の放課後、10人は、自分の小学校の会議室に呼び出されました。この時、10人は、A君の仇討ちに行くという大義名分があったので、初めは、先生の説教に全員、馬のようになっていましたが、先生の一言で事態は、一変します。「Aが、なんで殴られたか知ってる者は?」この質問に10匹が10匹とも違う話をし始めて、結局、不思議なことにAが殴られたことを自分のことのように感じていた暴れ馬たちは、Aがトラブルになったその理由を知らなかったことが分かりました。先生が言います。「実はな。Aは、必ずその銭湯では、31番の棚に自分の服をいれてたそうだ。大好きな野球選手の背番号なんやと。その日は、その番号に違う服があって、勝手に隣の棚に31番にあった服を入れ替えたんや。」っと言うのです。誰が聞いても、Aに非がありました。10匹の馬が人間に戻った瞬間でした。10匹の馬は、殴られたAを見ていたBが、Cに話して後は、CからDとEに、そしてFとGへHへIへ伝言され10匹の暴れ馬が生まれました。しかも、その会議室で10匹の暴れ馬は、だれもA君とは話していなかったことが分かったのです。

10匹の暴れ馬を前にした先生は、事に真相を話した後、全ての出来事には、一つの真実があり、それを見る100の目には50のストーリーが生まれる、だから真実を求めることは重要で難しいことなんだと話してくれました、つまり諭しです。続けて、Aを叩いたZ君が、Aに謝罪に来るらしいぞと言い、お前達はどうすると聞きました、人間に戻ってた10人は、俺たちも迷惑をかけたZの小学校に謝りに行くと答え、それは正解でした。

暴れ馬に説教してもそれは、無駄でした。先生は、この暴れ馬を進んで謝罪させるというゴールを設定して途中いろいろな着地点を用意して、最終的には、暴れ馬を人間に戻してからそこに追い立てました。ゴールへ通ずる道が逃げ道だったので進みやすかったんだと思います。暴れ馬の状態でこれをやったら、無理矢理首根っこを押さえ込んで力ずくの謝罪になったでしょう。目的から離れた結果になったかも知れません。

頭領にとってこれは、(逃げ)道の先にゴールがあった宝物の経験です。

この事は今吹衆には、ちょっと難しいな。前項と併せて、知ってくれればそれでいい。なにをって?今吹衆の頭領と、今吹衆の周りの大人達はこう思ってることさ!

 

 

 

2013年8月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

このトドめ! ん?いいえ、トドメの話。

頭領は、二十代後半から発病した三十代後半までの十年間、周りが何でっと言うくらい走りまくってました。勿論、仕事の話です。スポチャンのことではありません。スポチャンで走り回ったら、間違いなく負けます。この頃の頭領の仕事は、刺激的なことばかりだったし、とてもいい上司に恵まれて、自他共に認めるラッキーな若者でした。この上司は、なんと世俗に生きていませんでした。ので、上司の考え方が理解できないことも実に多かったですが、筋の一本通った、「孤高」と言う言葉がよく似合うタヌキさんでした。団体がとってもお金持ちだったので、すり寄るよだれ犬も飢えて危険なオオカミもこのタヌキさんは、近寄ることを許しませんでした。これは、今思うに簡単なことではありませんでした。このタヌキさんは、それをさらっとやってました。タヌキさんがするりとよけるので、仕方なく頭領は、このよだれを垂らした獣達や、きれいな歌声を出す真っ黒カラスや、味方のふりをする襟巻きイタチにかんしゃく持ちの逆立ちキツネ、大亀長老と老獪大トカゲのお年寄り爬虫類軍団の相手をしなくてはなりませんでした。この百鬼夜行の世界は、頭領を相当に成長させ、今に至ってます。感謝はしていますが、そこは二度と戻りたくない泥ダメです。

そんな中で孤高のタヌキさんから教わったことがあります。ある部署で全然成績も上がらず、存在価値も分からない、箸にも棒にもかからない部署があって、頭領は、この部署を閉めにかかったときのことです。頭領の運転する車の中で、タヌキさんに頭領がその部署の閉鎖と再生について熱く語っていたときのこと、「お前の計画には、確かに隙がない、だけど、腐った果実は、揺すって落とすな、自然に落ちるのを待つのも花道よ」と一言、言われました。頭領は絶句です。なにゆうとんねん、このおっさん、自分がゆうてること、わかっとんかいっと若き頭領は、反発しようにも次の言葉が出ませんでした。よくよく考えると、この言葉は、本当に強くないと言えない言葉なんです。組織は、生むより育てる方が大変だし、閉めるより、延命する方が大変なんです。造るのも閉めるのもかっこいい作業だけど、それを押さえて「待つのも花道」って関係する人間、まして組織の上層にいる人間にはなかなか言えない強い言葉です。年喰って、それが理解できました。

ただ、それ以来、頭領は何につけ、トドメが刺せません。最後の判断は、本人がすればいいんです。この言葉は、上司から受けた言葉の中で、一番影響を与えたものになりました。このタヌキさんは、仲間であるはずのムジナ達から、あのタヌキは、冷たい男よ、非道なヤツだ、人情のかけらもないという愚痴をよく聞きました。そこは伏魔殿でしたので、仲間タヌキもたいがい不思議なのが多かったんですけど・・・。のでタヌキさんは孤高でした。木の実が落ちるその時がその木の実の最後のステージで花道なんです。誰も邪魔すべきではない。僕は、これ以上の優しさを見たことがありません。だから、これも先に述べた「仁」です。

今吹衆よ、この世には、勝つことに勝る強さがある。その強さこそ、頭領が大人から学んで、君らに伝えたいことの一つである。勝ち続けることが強いことではないんだ。優しさを悟って初めて人とは強くなる。

推して知るべし。

 

 

 

2013年7月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

この場をお借りしてⅡ

気がつくと今吹衆が活動を開始して早一年が過ぎておりました。

何ともあっという間の一年でした。初めは、6人だった今吹衆メンバーも、今や25名になり、保護者様の温かいご協力の下、地域の皆様にも助けられ、和歌山県協会の役員先生方は勿論、各支部・各道場の先生方にも支えていただき、何より頭領家族に手を引かれて障害者の代表はおろおろしながらも一年やってこれました。シャイな頭領が謝意を表したいと思います。では、お手を拝借!ハイ、シャイシャイっとこりゃ~、・・・いや、全くお恥ずかしい・・・この一年で、近畿大会を経験したこと、演武を披露したこと、昇級審査を受けたこと、今吹衆にとっても生まれたての赤ちゃんが色んな新しいことに触れて成長する過程と同じく今吹衆も育っております。この一年で、勉学を志してやめた者や練習について行けなくてやめた者もいれば、スポチャンに魅せられて新たに始める者、試合に勝って、負けて気合いを入れ直す者それぞれの立場で、今吹衆は、地域社会、ひいてはこの国の将来のため、今後ともより一層精進して参りますので、今まで以上に皆様のご支援ご指導をよろしくお願い致します。

 

 

2013年7月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

今吹八風第八の技「難風」

八風の第八の技 ー難風(なんぷう)ー

術系の技である。技としての形があるわけではない。居着かせた相手には、打てるという極意を理解できれば、この技は、完成となる。相手にどんな形であれ、剣を見せ、居着かせて攻めるという技だが、形にこだわっていては、この技の極意はつかめない。感じることがこの技の命である。

 

 

2013年7月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

今吹八風第七の技「疾風」

八風の第七の技 ー疾風(しっぷう)ー

この技は、運足法である。こちらが右構えの場合は、右足を広めにとり、左足を右足の真後ろまで移動させ、一気に相手との間合いを詰める。要するに軸足から移動することで、相手からは、移動した初めの第一歩が隠すため、あり得ない間合いからの攻撃となる。使えるようになると相当遠い距離から初一本が狙える。難しい運足ではない、基本の運足として身につけてほしい技である。

 

 

2013年7月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

今吹八風第六の技「旋風」

八風の第六の技 ー旋風(せんぷう)ー

この技は、運足法である。横移動に見せて、間合いを盗み取る技である。相手が、右構えの場合、こちらは、間合いの外から内へ右下段に構え右四十五度に一歩出る、更にもう一歩、つまり、二歩以内に攻撃に移る。これは、扇打ちでも回し打ちでも間合いを盗み取った!と思った瞬間に打つべし。横移動に見せる演技力がこの技の命となる。正しく間合いを読み取る力がなければこの技は使えない。

 

2013年7月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

今吹八風第五の技「山颪」

八風の第五の技 ー山颪(やまおろし)ー

八風の中で唯一の受けからスタートする技である。八風に防御系の技をいれるかどうか思案したが、がっちっと受け止める囲いでなく、受け流しと打ち込みが一挙動である。この技を今吹衆の受け技の基本、つまり護るための受けでなく、攻めるための受け技として、八風に存在する。相手の攻撃を流すためには、相手の攻撃に併せて一歩踏み込まなければならない。この踏み込みがこの技の命となる。

 

 

2013年7月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

今吹八風第四の技「山谷風」

八風の第四の技 ー山谷風(さんこくかぜ)ー

その名の通り山を降りる風(面を打ち流す剣)と谷を昇る風(下から切り上げる剣)にて成り立つ技である。山風に間合いが必要なため、どちらかというと長剣技である。吹き降りる風に迫力があるほど吹き上がる風に切れが出てくるので、うまく決まれば、一体どこから打たれたのか、相手が首をかしげる技でもある。初めの打ち下ろす剣に相手が、どう対処するかみて、次の打ち上げる剣の間合いなり、打つ場所なりを決める一瞬の判断力がないとこの技は使えない。山風、谷風が一気に吹き抜けることがこの技の命となる。そよそよと山から吹き降りて、さわさと谷から吹き昇ってても山谷風にはならない。

 

 

2013年7月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

今吹八風第三の技 「提馬風」

八風の第三の技 ー提馬風(だいばかぜ)ー

やはり鎌風を導入技とし、相手の剣下をくぐって相手の横面を打つ技である。浪風と同じく、脚を打とうとする相手に対して脚引きよけと、同時に打ち下ろす相手の剣が、恐ろしければ、この技は、使えない、相手が、右利きであれば、打ち下ろす剣は、左側面のガードを甘くさせ、左利きはその逆、相手を見て、防御体勢が解けるその時を狙えるかどうかが、この技の命である。勇気と判断力の無い者に使える技でない。

 

2013年7月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

今吹八風第二の技「浪風」

八風の第二の技 ー浪風(ろうふう)ー

鎌風を導入とし、足うちに対して、面を打ち込もうとする、或いは、脚引きで避けようとする相手の手首か、あご、若しくは、胴を切り上げる技、低く入って素早く切り上げる様は、岸壁に打ちつける白波のごとく、従ってこの名がついている。スピードに載せて、この技を使いこなせれば、相当にトリッキーな動きである上、応用も多様な基本技である。この技は、他のいくつかの技がそうであるのと同じく、鎌風をうまく使えるかどうかが、この技の命となる。

 

 

2013年7月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

今吹八風第一の技「鎌風」

八風の第一の技 ー鎌風(かまかぜ)ー

体勢を極限まで低くして、脚を打つ技、剣を持ってない手を地面についても出来るだけ、更に低く、更に遠く、更にお早くとイメージする。低い体勢で相手の脚を打つ以上に如何に早く元の体勢に戻れるかが、この技の命となる。従って、相当の脚力がないと面を割られる結果になる。練習すべきは、早く元の体勢に戻ることの方が重大、頭領がこの技を学んだときは、暗闇で、相手の背後から近づき、アキレス腱を切り飛ばす技と教えられた。正に暗殺剣である。大げさに、足うちをするように見せ、且つ元に素早く戻る技術は、八風の基本形になっているので、この技は、非常に重要な技である。

 

2013年7月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

今吹八風について

何度か言ってますが、今吹衆には八つの風の名を持つ技があります。最近は、メンタルな話ばっかしだったのでちょっとテクニックの話をしたくなりました。今吹八風について、技の名前は、前に紹介したことがありますが、これらは、多分文章で書かれたものを見ても理解するには、相当に難しいと思います。時間があれば、道場に来ていただければお見せしますよ。おいおい、写真を入れたり、どうやって、頭領がその技とであったかなどお話していきます。まずは、簡単にそれぞれの技の特徴をご紹介程度に綴ってみます。

今吹衆ならば、八風を文章書いていても読めば理解できると思います。一つ一つ丁寧に覚えていってください。では、次をどうぞ!

2013年7月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

えぇ格好?、関係ないね。えぇ覚悟の話。

最近、ある出来事があったせいで、話題が「耐える」ってことにこだわっちゃて、何だかくどくなってしまいました。・・・君が強くありますように・・・

 

さてさて、今回は、覚悟について。「かくご」って、一言でいっても、あきらめることだったり、腹をくくることだったり、自分にとって前向きな覚悟もあれば、後ろ向きの覚悟もある。一代決心して、大覚悟決めても結果は、玉砕だったり、敵前逃亡だったり、情けないこともある。じゃぁ「覚悟」って、一体、なによ?

常々、思っていることがあります。「覚悟」というのは、女性の美しさに男が唯一対抗する・・・。あの~、言い換えます。頭領のように見てくれの悪い男が女性の美しさに対抗出来る唯一の手段ではなかろうかと・・・。格好ではない、みよ!高貴な男の覚悟を・・・ふん!。覚悟が、度胸になり、勇気になり、男気になり、優しさになる。

だから、男性は、覚悟する女性にはかなうはずがないんだな・・・。

平素は、潔くありたいと思っているのに、負の「こだわり」がそれを邪魔をする。それが憎いっていう感情であったり、イヤだ、キラいだっていう心境であったり、負のこだわりは、初めは、ただドロドロしているだけなのに、だんだんカッチンカッチンに固まってきて、気がつくと、もうどうすることも出来なくなってしまってます。他のことや他の話は、何も入いんなくなってきて、考えたくないのに、思いたくないのに、負のこだわりが大きくなりすぎて、重くなりすぎて、意識せずにはいられなくなる。その巨大な岩のようになったこだわりをたたき割る、唯一の武器が、「覚悟」なんです。

頭領は、過去に「それとこれとは、違うやろ!」という気合いと同時に、覚悟を使って、その岩をバラバラにたたき割ってやった事があります。実は、これね、割ると相当に気持ちいい。「それ」も「これ」も、今では遠い昔の事・・・。恥ずかしくって詳しくは言えませんが、割れたおかげで、今では、よい思い出です。もし、あの時、あれを割らなかったらっと思うとぞっとします。

新聞読んでるとこの覚悟をうまく使えない人が多いのかなって思います。覚悟は、誰もが持ってる武器なんです。うまく使えさえすれば、巨大な岩を簡単にたたき割ることが出来ます。その巨大な岩の向こうはさわやかな散歩道があって生き方がかわります。でも使えなければ、巨大な岩の周りのいばら道を行くしかない。その道は、道に見えて道でないかも知れません、ちゃんと歩けてますか。回り道は、面倒くさいしょ、目の前の岩、君の持ってる武器を使って割ってください。君は間違ってないですよ、過去はよかったんでしょう、わかりますとも。でも、「今」は、「今」でしかないんです。なんだ、いい武器、持ってるじゃぁないですか、早くそれ使って割ってしまいましょ、目の前の巨大な岩。邪魔だから!

さあ~、今吹衆、覚悟の出来ないヤツは、強くならない、うまくもならない、一生、その枝にしがみついては生きていくのかい、その枝、今は、強く見えるけど、いつかは、折れちまう枝だ!。覚悟決めて、飛び降りる者に、着地する場所は用意される。でも、落ちていく者には、それは見えない。枝が折れて、落ちる者の上に折れた枝が落ちてくることもある。だから、進むときも引くときも覚悟しろ!

やると決めたら、それが覚悟よ、そして、帯締め直して一旦覚悟したら、大きい「こだわり」も小さい「こだわり」も片っ端からたたき割って、真っ直ぐ伸びてる道を歩け。歩き出したら最後まで止まるな。

なぁ~に、心配はない。今吹衆には、エアー剣がある。エアー剣使って岩山ごとたたき切っちまえ!

 

ここ今福には八つの風が吹くという

岩山に背を向けず 引きはしない

花に見向かず 一輪も散らさない

強きを求めて優しきを知る

我れら人呼んで風の今吹衆

 

 

 

 

 

 

2013年7月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

ガンマンにネクタイ?いいえ!我慢と忍耐です

頭領の時代の武道場の先生達は、堪忍をすることを修行の一つとしてました。それは、技術の向上と言うより精神修養でしたし、心体の基礎作りでした。そしてそれは、各家庭でも普通に行われていることでした。たとえば、町も今のような危険な時代でなかったので、どこの家でもお使いは、子供達の仕事の一つでした。頭領は、朝一番に田中屋のパンを買いに行くのが家での仕事でいやがろうが、雨が降ろうが、寒かろうが、暗かろうが、小学校に入学と同時に母親に背中を押されて朝のパン買いが始まりました。家では、母親が縫製の内職をしていたのでそれを家族で手伝うのも決まり事でした。それは時には自分の余暇より優先されました。何度、「遊びに行きたいのに・・・」と言う気持ちをすりつぶしたか知れません。家での仕事は、なんだか「我慢」だった気がします。

前に言いましたように頭領の家は頭領のひいじいさんからずっとカトリックの家です。日曜日には、家族そろって教会に行き、ミサにあづかる(ミサに行くことをこう言ってました)、平日の6時から始まる早朝ミサも神父様のお手伝い(侍者と言います。当時は「ミサごたえ」とも言いました)をしに行きました。これは、「忍耐」でした。

さて、どう違うの、と聞かれれば、イメージ的にはポリシーを持って耐えるときには忍耐で、意味も分からずこらえているときが我慢? ・・・どっちにしても必要な修行です。耐えてこそ見えるものがある。しかし、この加減が難しい時代になりました。諸先生方もこれで悩んでおられると思います。道場最初の行き止まりの壁です。子供達が、耐えないんです。これでは、練習にならない。それに、耐えない修行を続けることは、頭領自身が練習してきたことの否定につながって、へこみます。今吹衆には、「滅多打ち」という練習法があって、ある程度の年齢とある程度の技術が伴えば、練習メニューに入れるんですが、これが相当にきつい、ある人から、「滅多打ち」に意味があるのか、自分がよかったからって、他の人間に役に立つとは限らない、見た感じも悪いし、やめるべきと言われました。滅多打ちは確かにしんどいんです。つらいんです。でもそこから得るもの、見えるものを子供達に感じさせたい。今のところ、これに耐えたのは、頭領の二人の息子と野球を小さい頃から野球をやってた野球少年だけです。奴らは、腹筋しても腕立て伏せしても最後までやる子たちです。

我が身を振り返って、頭領の四人いる出来損ないの子供にも家での役目があります。朝一番に頭領が六人分のを洗濯をして、それを干すのが、長男、次男のお仕事、娘達も同じです。冬の寒い日も夏の暑い日も、長女はゴミをまとめて出す係、次女は朝の新聞取りに行く係、これは、多分、うちを巣立つその日まで続きます。ここで住む以上、いやとか、嫌いとかは、後の話で、やらないなら、ここを出て行く、それがこの家のルールで、社会のルールです。それが彼等にとって、我慢か、忍耐かは、それは彼等が決めることですが、きっと成長のプラスになる。だから、子供達に安心して我慢か忍耐をさせる環境を作る。それが父の勤めと思ってます。別に偉そうに言うこっちゃない、多分、昔から今も、どのとーちゃん達もやってきたことと思います。

今吹衆よ!いやだからしない、つらいから行かない、きらいだから食べない、頭領、前にも言ったぜ!我慢を選ぶも選ばないも君らの自由だ、自由に生きればいい。しかし、出来れることならば、よいものをえらんでほしい。「楽なもの」、「遣りやすいもの」の後ろには、あんまり何もない、これは頭領の経験だ。これいやだな、しんどいな、やりたくねぇなって思うものの後ろには、案外、お宝があるもんだぜ、今吹衆!それも頭領の経験したことだ、前にも言ったが、頭領信じて、とにかく、やってみな!堪忍全てをだ。堪忍する中で、どうしても意味の分からない堪忍なら、頭領にも話してくれ。その堪忍が我慢か忍耐か、意味があるんだか、ないんだか、一緒に考えような。だから今吹衆は、堪忍することから逃げる子供にならないでおくれ、頭領からのお願いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年7月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

第22回近畿・第10回和歌山大会完成会写真

和歌山県スポーツチャンバラ協会主催大会完成会実施!

反省あり、考察あり、感謝ありの式典(飲み会)でした                   P1070215 P1070216 P1070217 P1070218 P1070219 P1070220 P1070221 P1070223 P1070224 P1070225 P1070227 P1070228 P1070229 P1070230 P1070231 P1070232 P1070233 P1070234 P1070235 P1070236 P1070237 P1070238 P1070239

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2013年7月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

 この鶏野郎め!

人間、言われるとどうしても我慢ならない言葉ってありますよね。バック・トゥ・ザ・フューチャーで、主人公が、「チキン野郎」と言われれると、切れて、暴走するシーンがありました。実は、頭領にも、つい、反応してしまう言葉があって、一つは「こんなともでけへんのか!」っていわれることにくわえて「男のくせに・・・」と言う言葉です。要するに、出来ないということを指摘されることですが、それを言われた途端、怒ってました。それに「男」が絡むと、頭が真っ白になってもっと話はもっとややこしくなっていきました。今は、たばこを吸いませんが、その昔は、結構なたばこ吸いでした。そのきっかけが、「男のくせにたばこも吸えんのか!」と言われたのがきっかけでした。馬鹿な話でしょ。「男のくせに」っといわれた、一つ一つのことを今思うと反省するんですが、何につけ、相手に「出来ない」思われてるっと感じた瞬間暴走してました。終わって、フウフウいいながら、出来なかった何かをやり終えても、やり遂げたっていう喜びの前に、「どうじゃ、ざまぁ見さらせ!」と怒り終わってるって感じでした。この性格は、非常に体によくなかったです。

ので、いまでも「しばらく様子を見ましょう」とか、「先にこれをやってそれは後に」とか言われると「俺にはでけへんとおもとんな」って走り出してしまうんです。ところが体は壊れて、直ぐに動かないのでこっちは、焦ってるのにまわりは、「様子見たはるんや」って思っているらしく、体壊れてからは、なんとなく周りと歩調が合うようになってきました。障害も持ったことは、強がりでなく神のお恵みと考えてます。

出来ないことをやろうとすると後ろに下がるワケにはいかない、転んでも前に進むしかないんです。これは、おもしろいことでつらいことではなかった。ゴールがあったので、わかりやすかったです。なにより、出来ない何かを与えてくれる学校、法人、会社、道場、塾、教会、クラブ、仲間達・・・。ともかく何かの集団に加わることで、必ずできない何かに出会い、それが出来る連中がいて、出来ない仲間もいて、いっつも怒ってる自分もいて・・・。集団には、出来ないことを提供してくれた方々がおりました。それは大人であったり、友人であったり、見知らぬ学生であったり、いろいろな「出来ない」をくださった皆様に今は、感謝しております。本当です。

なんの努力も、苦労もしないで、出来ないことが出来るなら、道場にも学校にも行く必要が誰にもありません。だれにでも「出来ない」があるんだ、だから練習して、苦労して、「出来る」を勝ち取る、それがおもろいんとちゃうんかい。練習しんどい、苦労がしんどい、だから行かないっという理屈は、頭領には、あり得ないことに思える。

いずれにしても今吹衆よ、出来ないことを当然のように言う子、出来ないことに100の理由をつける子、今吹衆にはあわないぜ。そもそもそんなことこの頭領が許さない。まずは、やってみな、出来ないだろ、それから、何度でも、何度でも、やってみればいい。いつまでっていちいち聞くな、出来るまでに決まってるじゃないか、血反吐吐くまでとは言わないよ、おんなじ空気吸ってる、おんなじ水飲んでる、おんなじ歳の奴らがやってることだ、出来ないはずがない。君らにもやれるれんだ。出来ない何かを君らに言う、その人を先生と呼んでいい!出来ることばっかり言う人間は、今吹衆には必要ない。

さて、今吹衆、出来ないことにいつまでも逃げ回ってたって、出来ないことは、消えることはないぜ。ならば、逃げることに意味があるか、人類が始まったその日から逃げて逃げ切れたヤツは一人もいない。人間は、原罪を持った瞬間から、逃げ癖もついてしまった。逃げ口上考える時間はもったいない。ともかく逃げるな。性(さが)と呼ぼうが、本能と言おうが、そこから逃げるなよ、今吹衆!。逃げることに意味なんかない、そのことを理解せよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年6月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

第22回近畿・第9回和歌山大会に参戦!

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この第22回近畿大会・第10回和歌山大会にご協力いただいた、功誠館の長谷川先生、友心館の竹中先生、東大阪の山本先生、刀流館の宮津先生、・・・感謝せねばならない諸先生方を数え始めれば、書面が足りませんが、何よりYATOOの大平先生、この大会が成功裡に終了したこと以上に、この場に大平先生がいらっしゃったことをうれしく思っています。府連の優秀な選手と市協会の優秀な選手の試合を今吹衆の子らがみて勉強するその日が現実になる喜びを肌で感じております。本件関係なさっておられる諸先生方、よくぞ断じたまえるものかな、本当に感謝申し上げております。ありがとうございました。大阪は、いやいや、近畿はまとまって前に進みましょう。本当によい機会でありますので様々な事に厚く謝意を表する次第です。意味なんて、どうでもよろしおまんがな・・・、うれしんです。和歌山のおいやんがなんか知らんが有り難かっとるっと理解していただければ満足です。

 

さてさて、今吹衆としての参戦は、この大会が初参加!去年、ナオトとシンヤが一心塾&ヤトー館の交流試合に出たのと、頭領一家は、いやがられながらも行ける範囲のローカル大会に参戦してきましたが、今吹衆としての参戦は、実は初めてです。結果ですが、その意味で、試合になれしてる高島愛有が、幼年基本動作の部で三位、高島美有が無級小太刀の部で優勝、高島有護が有級有段二刀の部で三位でした。何より初出場にあって幼年部小太刀の部で三位に入賞した岸陽彩は、本当によくやった、将来有望です。でもな、今吹衆よ、結果は、川の流れの一すくいだ。その部分だけすくい取って、ココの水は、うまいとか汚いとか言っても意味あるか?明日は、違う川になってるかも知れないのに、その瞬間のきれいな水は、誰も覚えてくれない。ずっと、きれいままで、おいしいままの水を流す川のそばに人々集まるし、感謝もする。でも人が集まってきた川は、汚れる。世の理よ、今吹衆、学べ。結果に対して一喜一憂大切なことよ、でもいつまでもこだわるな、さっさ捨ててしまえ、まさに鶏のあばらよ、今吹衆の目標はもっと大きいはず、結果が出た衆も出なかった衆も次の目標に向かって歩き出すぞ。さあ、準備しろ。おっパじめようぜ!

 

 

 

 

2013年6月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

合同練習実施!

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東大阪の橙竜「攻誠館」、奈良は、剣豪の里から「一心塾」、紀北の黒豹「自灯館」そして風の「今吹衆」四道場合同の練習です。加えて、有朋館の田中先生、大友館の一匹狼松下くん、本町道場の福森先生、有田は誠心道の由良先生も参加、第22回近畿大会兼第10回和歌山大会に向けて普段は、練習しない相手と試合を想定して練習しました。

実は、練習は、門下だけでなく、ママさん達も試合で、コートアシストの練習をみっちり、長谷川先生につけてもらい、とっても有意義な時間を過ごしました。皆さんお疲れ様でした、そしてありがとうございました。また、合同練習企画します。その時も、和歌山の子供達、ママさん達に稽古つけてやってください。遠くから功誠館様、一心塾様、ほんとうにありがとうございました。和歌山のスポチャンは、発展途上です。一日も早く、皆様に追いつきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

 

さて、今吹衆よ、残念ながら、今回、合同練習して知ったことがあるだろう。言ってみな!そう、俺たちは強くない。その通り、生まれて一年経たない赤ちゃん道場のおれたちゃ~、弱いんだ。他の三道場は十年クラスの道場で、練習量の違いが自ずと出る。各道場には、この子うまいなっと思わせる選手がいるが、今吹衆にはスター選手がいない、ぼろぼろに打たれて、めげてる子、あきらめてる子、悔し涙を流してる子、今吹衆には、がっかりな合同練習で、つらい一日だったろうな、でもな、棟梁の目にも、今吹衆のスター選手は、一人も映らなかったが、スターの卵がいっぱい見れてうれしかったぞ、お前ら、今は、ただの「すきま風」だけど、でもいつか、船を出航させる「だし風」となる日が必ずやって来る。頭領はそう確信した一日でした。がんばろうな!

 

2013年6月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

限界発 目標行き 努力号

頭領の柔道小僧時代、道場の先生方は、みな怖い存在でした。勿論、「怖い」といっても、ただの一度も突き飛ばされたり、殴られたり、蹴られたことはありません。でも怖かった。怖い先生がいっぱいの道場でした。その例を一つ・・・、「さぁ、腕立て伏せじゃ」、「おりゃ、腹筋せいっ」と先生から号令がかかっても、先生は、「何回する」を言いません。先生が、数を言うのは、決まって「最後10回じゃ!」からです。それがそのうち「最後の5回」になって、「最後の3回」になって、この頃になると手は、ブルブルしてて、「よぉ~し、最後!たったの1回!」となりますが、この頃になると、全身震えて、腕立て伏せの姿勢をとるのがやっとの状態で、門下は、みな、たったの最後の1回を必死にやります。最後の1回って、永遠だったのか、と思い始めた頃、限界に到着です。腕立て伏せの姿勢すらとれない。限界に到着した腕は、翌日がたいへんでしたが、しかし、門下の誰一人、途中でやめる者はいませんでした。勿論、最後まで出来ない者はいました。でも、先生も門下もそれを論ずる者は一人もいませんでしたし、同じく、この練習に弱音を吐く者も愚痴を言う者も一人もいませんでした。そして、腕立て伏せが出来て褒める先生も一人もいません。ただ、怒ってるのか応援してるか分からないややこしい霊長類はいました。要するに出来る出来ないは、個人的なことで出来ないことを責めたり、責められたことは一度もありません。そこにいた先生も門下も皆、限界に到着することが目的だと知っていたので、「最後の3回」で限界に到着した者も、「最後のたったの1回」で、限界にたどり着いた者もみな、最後までやろうとしたし、その場を離れたり、立ち上がったり、逃げ出す者はいなかった。ともかく、苦しいうめき声は聞こえても、だれもやめようとしませんでした。それは、怖い先生を信じて従っただけのこと。門下は、強くなるという目的をもっていた、それだけのこと。たったそれだけのことなんです。

結果、その道場から世界大会に優勝した者がいたか、一人もいません。オリンピックのメダリストが生まれたか、誰も生まれません。でも確信していることがあります。それは、その道場の門下で、その後、それぞれの世界にあって、弱音を吐いて、やめていく者は、いなかったということです。みんな自分の世界で何度も限界に到着して目標に到達してるでしょう。本当によい修行をさせていただきました。

以上は、頭領の子供の時代がそうであったと言う話です。今吹衆のこの手法を使っても多分だれもついてはこないし、頭領では、あのころの先生達のような怖い雰囲気もつくれない、「恐い」でなく「怖い」、「恐い」のは、だれでも演出できますが、「怖い」のは難しい。そして、怖い師匠は、弟子を連れて行きやすい。どこへ?勿論、限界へ・・・。限界を経由しないと目標には、たどり着けません。なぜか、そこから努力が始まるからです。限界にたどり着くまでの練習は、準備運動です。限界に到着した者は、絶対こう思います。「つらいな」「やめよっかな」「でもな」「だる~」「うざ~」「でもな」・・・この「でもな」が努力号の切符です。何度か限界に着いて、そこから出発すると今度は、努力号からは、降りられなくなる。後は目標まで直行です。つまり、限界の到着からが本当のスタートです。だからどんな武道の先生もどんなスポーツの先生も弟子に限界から雄大なる目標という景色を見せたいと考えてる思います。そして、一度努力号に乗った者は、次からは、努力号に乗りやすくなる特典付きです。

ので、どうやって、頭領が経験した限界への到着を今吹衆に経験してもらおうか、悩みます。やろうとする心を引っ張り出すためにあの頃には経験しなかった「褒める」と言う手段をつかいます。がんばらせるために「褒める」、かつての柔道の師匠達が最も使わなかった方法でもあります。前出の通り、「怖い」は、限界に到着させやすいんです、褒めてもなかなか限界までは、行ってくれない。「がんばった」と「努力した」には、差があるからです。努力号は、気づきの世界の乗り物です。しかも努力号に乗った者が必ず目標に着くほど世の中甘くはない。弟子達を努力号に乗せるために、師匠は弟子に、しっかりした希望を持たせなければならないのです。そして褒めてがんばらせる。師匠には、このくらいしか出来ません。その先、努力号に乗るか乗らないのかは、その弟子が決めること、限界まで連れて行っても、その弟子は、努力号に乗らずに飛行機でもっと遠い目的地に簡単にたどり着くこともある。かと思うとイカダに乗ってしまって漂流し始める弟子もいる。師匠は、限界駅まで連れて行った弟子達が別々の乗り物に乗ってしまい、弟子達の背中に手を振ってるだけのこともある。とにかく、限界駅から努力号に乗せる、その経験がスポーツチャンバラで出来れば、頭領と名乗る値打ちがあると思っています。

さぁ、今吹衆、まずは、6月の和歌山大会だ!入賞目標にして練習して、努力号に乗り込むぞ、ただ乗り、飛び乗りなんでもいい、俺が乗せてやる。しんどいけど、がんばろうぜ!今吹衆。

 

 

 

2013年4月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

有田川町スポチャン教室に行って参りました

有田川町にて、スポーツチャンバラ教室が立ち上がりました。二年後に開かれる国体デモスポ競技になってるスポーツチャンバラで、有田川町民にメダル奪取計画があるやに聞き、紀北の雄、今吹衆は、いえいえ、デモスポのメダルは、俺たち今吹衆が頂戴します!と宣言し、南下しました。

さて、教室は、毎月第四土曜日午後2時から4時の二時間、きび体育館にて行われるそうです。将来を有望視される26人のまめ剣士が終結し、スポチャンのルールやセオリーのレクチャーを安田先生から受けた後、ミットうちの練習をたっぷり90分ほど行って、サバイバルで仕上げました。生まれたての赤ちゃん道場とはいえ、けして侮れない、新しい風を感じて、有田川町の地を後にした今吹衆でした。

近々、和歌山市内の東和中学校でも新しいスポチャン道場が生まれるやに聞きました。ここも同じ紀北にあって、今吹衆は、着々と総攻撃準備をしています。早く立ち上がらないかな。立ち上がり次第、今吹衆は、颯爽と駆けつけて、新しい道場の皆さんと一緒に、メン、コテ、ドーだ!どうだ、どうだ、こんにゃろめ!楽しみだよな~。

この紀ノ國は、まだまだスポチャン発展途上の国です。今吹衆は、いつか、この紀ノ國が日本中の剣豪が黙ってても集まってくる、そんなチャンバラ王国なるように精進せよと、スポチャン県協会理事長でもあらせられる自灯館の館長に言われてます。さぁ、そうなれば、日本中の剣豪をみんなみんなバッタバッタと返り討ちだ!こんにゃろめぃ!今吹衆だけじゃない、和歌山をもっと強くするぞ、な、俺たちは、紀ノ國の今吹衆だ!

なにはともあれ、まーちゃん、シンヤ、ナオト、ジュン、ユウゴ、まーちゃんママ、ナオトママ、お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

2013年4月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

初!今吹衆昇級審査!

 

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近畿大会前にして、今吹衆の子供たちとお姉さまたちが初の級位審査を受けました。ドキッドキの瞬間です。皆、相当に緊張してましたが、こちらで審査してる頭領はとっても楽しかったです。今吹衆の級位審査では、始まりと同時に目標とか夢を宣言してもらいました。近い目標を言う者、遠い夢を語る者、それぞれのゴールを認識して審査に入ります。ゴールをしっかり持つことは強さを身につける条件です。

それでは、今吹衆、級位審査始めます!。

幼年部さんへ・・・

男の子達のおとなしいこと、おとなしいこと・・・。上手にやりたい感は、十二分に伝わります。紅一点女の子は、気迫十分、間違いを屁とも思わない勇猛さ、彼女は母親似にて、きっと大物になる。勿論、きれいに極めたい気持ちは、彼女も他の男の子たちに同じ!それ以上に「わたし、楽しいの!」って声が聞こえそうな基本動作でした。正しくやる、美しく仕上げる、とっても大切です。でも今吹衆は、それに恐れをなして、こぢんまりまとまることを是としない、泥だらけでいいじゃないか。つまずいて転んでいいじゃないか。ゴールがしっかり見えていれば、寄り道もいい、泥道もいい、坂道もいい、迷子になっても怖くない。つぎはぎだらけのゴールインでかまわないないぜ、かっこよくテープ切らなくたって、君らのゴールに君らが到着することが大切なんだ、だから頭領は、君らがサッカー選手になって動物の飼育係になって、ふと振り返ったとき、ずっと後ろの方で旗を振ってる事が出来れば満足だ。だから、ちびっ子今吹衆!小利口に生きていくなんて、つまらないことやめようぜ!今は、不細工だって無様だってかまないい。ゴールがしっかり見えてればね、さぁ!もっと頑張ろうな。

少年部さんへ・・・

素直な君らは、自分の間違いも人の間違いも許せない。間違った時、とってもわかりやすく「しまった」って顔したね。間違っていいとは言わないよ、でも間違っても「誠」であれば、人々は、君を責めないし、自分自身を責める必要もない。間違っても「誠」、そのことをしっかり学ぶんだ。「誠」は心の余裕につながる。「誠」はその幅をぐんと広げるよ。自分も人も責めない、常に「誠」であったかどうかを意識して、「誠」なのに間違ったのなら笑ってしまえ、それ以上することはない。いいわけも後悔も自責も他責もいらないんだ。でもね、素直なのはいいことだ。素直は、強さに直結する、だから君らは、今回の級位審査もうまくいって、大阪大会に入賞して、サッカー選手になるにちがいない、まだまだ修行中の身よ、がんばろうぜ!

ママさん部へ・・・

亀の甲よりなにかの功、なんの功だったかな?忘れた・・・。間違いをさらっと次につなげる技術、大人の技です。そうやって、人生乗り切ってきた「ありのまま」の美しさを見ました。う~ん、褒めすぎか・・・。でも基本動作は、事実、かなり完成されてましたよ。安田先生、石上先生の指導あっての完成です。私って美しい・・・とうぬぼれないでね、慢心はすべての向上心を封じ込めます。いや、美しいんですよ、皆さん。あえての、あえての老婆心です。老婆でなく老婆心ですぅ~。対戦は、それぞれのキャラクターが出ておもしろかったです。これから、どんどん対戦も練習しましょ。んで、修行もっともっと積んで、一緒に子供達の指導、手伝ってください。そして、100歳になって、世界旅行に行って、明るく楽しく仕事できると思います。がんばりましょう。

みんな、普段見せない顔を見せてくれました。頭領は、それだけでもとっても満足の時間でした。っでは、今吹衆、級位審査、終了~!

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年4月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

自灯館級位審査会行って参りました。

人に評価されるって、緊張するよな。それには、大人も子供もない。俺ってば、よく見えるのか、それよりうまく出来てるのか、う~、緊張する~ってなるよな。どうでもよいことならば、緊張はしません。真剣に思うからこそ緊張するんです。大事な経験です。幼い頃に緊張する経験を多くすることは、必要なことだと思います。将来、色んな事に落ち着いて反応するために幼い頃の緊張して、失敗する経験は、いいんです。自灯館の子供達に言ってあげたい。緊張をコントロールできればそれが最高点、そして、それが答えだ。

 感情の抑制がうまく出来ない子が、最近とっても多い気がします。いいや、子供だけない、感情が混乱すると判断能力が劣る大人、乱暴になる大人、感情のコントロールできない大人も実にいっぱいいます。この前、ある飛び込みの営業マンが頭領の福祉の施設である職場に来ました。販売商品は、送迎用のバスでした。その営業マンにこの車には、車いすが何台固定できるか聞きました。彼は、このバスに、車いすは、乗せることは出来ませんと満面の笑みで言いました。加えて、以前、頭領から「送迎車が必要ですって聞きました」とい言いました、確かにうちの施設に送迎車が必要なことがありました。彼にそういったことは記憶にもありました。その彼に、「あなたが営業に来ているこの場所が、どんな施設か知っていますか?」と聞くと彼は、顔を真っ赤にして、「送迎車がいると聞きました。」と言い、更に「送迎車がいると言ったのは、あなたですよ。」と頭領に言いました。彼に「どこに営業されてるか分からないようなので、お引き取りください。」というと彼は、真っ赤な顔を私に近づけて「送迎車がほしいとあなたが言ったんですよ!」と繰り返しました。頭領は、心の中で、「お前は、あほか!」っと思いながらも、「私が、説明不足だったようです。お引き取りください。次の機会によろしく!、では失礼。」っと申し上げ、帰ってもらいました。この手の飛び込み営業マンは、過去には笑い話でしたが、今は、少なくありません。営業がうまくいかないということにパニッくったんでしょうが、彼のせいばかりでなく、おそらく、ちゃんとした社員教育も受けてないのでしょう。社員教育も下手くそなのかな?、次は、その例です。ある取引業者が法人の実印を押印してほしいというので、印鑑証明は必要ないのかと聞くと、そんな堅苦しい書類でないんですと、やはり、満面の笑みで答える若い営業マンにちょっと注意して、実印の押印を拒否しました。その後、すぐに部長の名刺を持ってきたおっさんが来たので、法人の実印を押印依頼する姿勢がなっていないことにクレームをつけましたが、その時の部長の面を見て、この会社はダメだなと思いました。その後、直ぐに担当が変わりましたと、別の若い担当者がきて、頭領は、変えるのは人間と違うやろっと思いながらも、たぶん、法人同士のつき合い方をちゃんと教えてもらっていない初めの彼を気の毒に思うと同時にその業者とのつきあいをやめました。

さてさて、感情コントロールは、簡単でないんです。緊張時の感情コントロールは、まして上級クラスです。・・・ので、今吹衆の昇級審査は、簡単ではありません。君らの感情をいったんグルグルにかき乱してから審査に入るからです。乗り越えてこい。今吹衆!

今吹衆の頭領は、自灯館の級位審査を受審した子供達の前向きの緊張に好感を持って、合格の判定出すことが出来ました。

 

 

 

 

 

 

2013年4月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

孫市祭りに行って参りました

 

 

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第九回目の孫市際りだそうです。勿論、雑賀孫市、雑賀衆に思いをはせ、和歌山のヒーローを世に広めんが為のイベントです。今吹衆を名乗る我らが参加しない法はないってことで、武蔵坊ユウゴ、猿飛ジュン、牛若ムーマ、流浪人ナオト、の四人の今吹衆が参加して、スポチャン体験コーナーを盛り上げてきました(ネーミングだけでもコスプレっぽくしてみましたが如何?)。

このイベント、もろコスプレ大会で、目のやり場に困るお姉さんたちもいて、きっと、有名な何かに扮しておられるのでしょうが、頭領は、コスプレは、全く門外漢で、イベント会場を電動カートで、爆走してました。天気がよくないと、頭領は体の半分が重くなって、テンションがちょっと下がります。が、不思議と、スポチャン体験会中に雨、降りませんでした。ので、まずは、よし!とします。来年は、もっと、今吹衆たち、来てほしいな。

でも、頭領は、偉そうに行っても、雑賀衆って、和歌山くるまで、ほとんど知らなかった。強いて言えば、鬼武者で出てきたので、ゲームの話ですが。鉄砲使う人なんだってイメージはありましたが、その程度、和歌山にきて、色々見聞きして、道場名を今吹衆にしたときには、雑賀衆が好きになってました。こいつらすげ~ってね。技術集団にして、ケンカが強くて、共和主義ときたら格好いいを絵に描いた状態じゃないですか。だけど、集団が成り上がるには、強烈なリーダーが必要です。雑賀衆にも強烈なリーダーがいれば、紀ノ國から歴史が動いたかも・・・。って想像すると、なんかワクワクしませんか。歴史に、「もしも」はナンセンスですが、信長が、伊達政宗が、道三が、信玄が和歌山に生まれていたら、・・・楽しいだけです。

いいところですよ。どんな人も穏やかになる。それが、和歌山なんです。

さぁ、今吹衆、いずれ、俺たちは、スポチャン界の雑賀衆になるべく精進するぞ、あちこちの大会で大暴れしょうぜ、いまは、ちびっ子衆でもそのうちな!

頭領は、来年も孫市祭りにいこおっと。鉄砲は、「ば~ん!」って!コスプレのお姉さんも「ば~ん!」って、うふっ。・・・っん!、ちがうがな、スポチャン体験会を盛り上げに来年もいきますて話ですってば!

 

 

 

 

2013年4月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

友心館に行って参りました

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やっぱり、たくさんいるのは、いい!少数精鋭なんて、十の偶然が重なれば生まれるんです、だけど、千の偶然が重なっただけで、道場は大きくなりません。偶然ではできないんです。どの先生もその部分でご苦労されるんです。道場門下が、たくさんいて切磋琢磨することが、強くなることの近道なんです。強くしてあげたい、だから集めたい、わかっていてもなかなかできない。・・・ので、友心館のような道場を創った竹中先生の手腕と方針に敬意を払います。先生は覚えているかどうかわかりませんが、10年以上も昔、竹中先生一家が東大阪道場に出げいこにお越しになった時のこと、一汗流して、雑談する中で竹中先生は、私、本当は、もっともっと強くなりたい、だけど、道場運営を始めた以上は、強くなるのは自分ではない、マネージメントに徹すること、これが私の役割だと話していただきました。当時は、その言葉の重みがわかりませんでした。でも今は、先生のポリシーを感じ、敬意を払わずにはいられません。友心館の門下は、捧げられた竹中先生の向上心を地盤にして立っているので、あんなに強いんです。先生が生徒に教えるだけでは、スポーツチャンバラは、強くなりません。ましてやよい道場は出来ない。そのことを改めて感じた今吹衆頭領でした。

さて、出稽古したのは、今回は、ユウマ、ジュン、ユウゴ、自灯館長石上先生の四名で、友心館に出稽古行かせていただきました。優秀な選手が、たくさんいるので、出稽古に来る面子も有名です。ホントいい道場だな~。竹中先生の最後のお言葉も、「世界目指して頑張りましょう」っとの由、目指してるものもちがうんだな、うち、いつか今福一剣術オープン大会やりたいと思ってるんですが・・・。うれしかったのは、矢倉選手が、ユウゴをお世辞とはわかっていても褒めてくれたことです。左利きにしては、器用に剣を使うとの言葉、そうなんです、隔世遺伝で、ヤツのジィは、カレーを食べながら、らっきょを箸でつまんで食べてました。ユウマとジュンもそれぞれの道場の有名選手と練習して、その技術も精神も盗みとれ!、お前らは、まずは、ユウゴを乗り越えて、その向こうにいる、強いらつやに追いつくぞ!

我らは、風!どこに吹き渡かは我らとてあずかり知らぬ。ただ、エアー剣とちっちゃい責任、鞄に詰め込んで、強いと噂のあるヤツのところへ吹き抜けるだけ、いくぞ、風の今吹衆!  

なにはともあれ、ジュンもユウマもユウゴも石上先生もおつかれさまでした.

 

2013年4月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

強さに裏付けされた優しさ

先の続きみたいなものです。頭領にこんな経験があります。それは、まだ頭領が柔道小僧だった頃の話、いつもと同じように練習していた日のことです。僕の通った道場の隣が、中華料理屋さんだったんです。さらにその隣が果物屋さん、そこで、練習終わって、スコール飲むのが楽しみで・・・、はなしがそれた・・・。たぶん、トラブルはその中華屋さんで起こったんだとおもいます。見るからに、ケンカしたてホヤホヤのおいやんが道場に走り込んできて、「助けてください、かくまってください」と叫びました。道場も水を打った状況になって、静まりかえってました、そこに、ゴリラみたいな吉田先生、竹刀もって(あつ、誤解されないようにいいますが、この先生、竹刀か、雑誌丸めてガムテープとめてた棒状のものをいっつも持ってました。何か持たないと落ち着かない霊長類だったんだと思います。)、そのおいやんにひとこと、ケンカか?と聞いて、そのおいやんがワケをぺらぺら言い始めると、それを遮って、「ケンカならとめへん、好きにやってくれ、見学なら、すわって、黙って見とれ!ほな、練習じゃ!」と、門下に号令一下、門下は、みな練習再開、吉田先生は、入り口で、仁王立ち・・・、その直後、二人ほど、別のおいやんが道場のぞきに来て、吉田先生に、見学か!と聞かれて「違いますぅ」って、やりとりがあった程度で、その後は何もなく、鼻血流したおいやんに、吉田先生、自分の汗吹いたタオルだか、ぞうきんだか分からない布を、「道場を血で汚すなよ」っといいながら渡してました。そのおいやん仕方なく、その布を受け取り、自分の鼻血拭いて吉田先生に返そうとして、怒られてました。結局、そのおいやん、吉田先生の横で、最後まで見学させられ、タオルだか雑巾だか分からない布もって帰って行きました。たぶん、その間、ずっと説教されてたんだと思います。それっきりの話ですが、これが、頭領がはじめてみた「仁」でした。

頭領が正道空手を修行していたころの話、正道館には、先生がおりませんでした、それはフルコン空手全体の慣習か、正道館の慣習かは分かりませんが、支部長と先輩がいて、ともに技術も人格も先生にあたる面々なのですが、先生と呼ばれる人はいません。ので、実は、頭領は、スポチャン業界で、先生と呼ばれるのは、ちょっと、おこがましく感じるし、ちょっとこっぱずかしく感じるし・・・、インストラクター資格あるから先生だ、という感覚は、たぶん武道をやってきた人には、理解されません。強いから先生だし、偉いから先生なんです。でも、ここで使ってる「頭領」と言う言葉は、ちょっとお気に入りです。・・・また、はなしがそれた・・・。頭領が、ある事情で、正道空手をやめなければ、ならない事があり、それを迷いもあって、だらだらと先輩にも支部長にも言わずにいたんです。手紙でも書きゃいいやってね、更衣室でふさぎ込む日が重なって、支部長から呼び止められたのは、いよいよ次回が最後の練習って時でした、支部長から、「どないしてん、最近へんやぞ」ときかれ、もうダメだ、ちゃんと言わないと、と思い、事情といっしょにやめる話をしました。はじめに聞かれたのは、「お前、やめれんのか」ってことでした。とっさに頭領は、退館止めにきたなって思い、「仕方ないけど、それしか道がありません」というと、「おまえが、やめれるはずない、まぁ、自分で決めろ!」、結果、会話としては、頭領が一方的にしゃべって、支部長は、「どないしてん」、「やめれんのか」、「自分で決めろ」の三言しか言わんなかったんです。最後の練習は、本当に足が重かった、ローキック決められて、内ももが真っ黒になった日も、ミット蹴りまくって脚がバーンアウトして動けない日も、この日ほど、足は重くなかった。練習に行っても、僕がやめる話を支部長は最後まで、しませんでした。ただ、その日の支部長との組み手は、本気でした。すぐに、頭領もいつもと違うって感じました。こっちも俺がここにいたこと、支部長の体に刻んでやると思い、最後の練習をしました。

帰り道は、行きとはまるで違う道でした。別れの言葉もなく、別れの挨拶もせず、最後の練習は終わりましたが、頭領の感じてたのは、支部長の「優しさ」でした。だから、道場出てから、家に帰るまで、涙が止まりませんでした。今でも思い出すのは、「やめんのか」でなく、「やめれんのか」っという言葉です、あれは、確認だったんです。今ならこう答えます。「支部長、やっぱり、やめられませんでした。」

 

強さに裏付けされた優しさを語れば、キリがないんです。スポーツの世界とはちょっと違う日本武道の世界に、それを感じた人は、いっぱいいると思います。今吹衆よ、君たちに武士道を手本とし、筋の通った大人になる手伝いをしたいと頭領は思ってる。その意味で、横道に外れた全柔連も君たちのサンプルとしよう。いつか、本当の武士道を実践してるのは、柔道やってるあの子達だよ、剣道してるあいつらだぜ、空手もそう、合気道もそう、少林寺拳法もそう、日本拳法もそう、だから、あいつら優しいんだな~、っていわれるといいな。みんな強いだけじゃだめなんだ。武の道歩むなら武士道を知らずには歩けないぜ。1000年前からその道を歩いてきた先輩達が大切にしてきたものだから。俺たちチャンバラーもその道の端っこでいい、歩かせさせてもらおうな。今吹衆!

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年3月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

強さを求めて優しきを知る

ここでいう「優しき」とは、「情け」です。そうそう、寝る前に強めのお酒を口に含む程度、胃袋に飲み落として、体が熱くなるのを感じながら眠りにつくとぐっすり眠れて、・・・それは、ネザケね・・・。そうではなくて、「情け」です。まったく、飲むことばっかり・・・。

さて、誠の優しさを教えるのも身につけるのも、本当に難しいことです。今吹八風に、「強さを求めて優しきを知る」と歌い込んだのは、この「難しさ」を意味しています。優しくせい、情け深くせんかい、なんと簡単に言える言葉でしょう。優しいだけでいいならば、それも簡単です。何を見ても、何をされても、逆らわず、ニコニコ受け入れればいい。でも、それを、人は、「優しき」と言わない、人は、そうする人を「愚か」と言うでしょう。誠のなき優しさは、道に落ちてるゴム手袋に同じ。しかも、優しくします、情け深くします、そう言うことも、また、そう見せることも、難しくはない。優しいだけでない「情け」には、浅い深いの調整も必要なんです。独眼竜伊達政宗の遺訓ですが、「仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる、礼に過ぎればへつらいとなる、智に過ぎれば嘘をつく、信に過ぎれば損をする」、儒教を重んじた時代に五常をからかったような言葉を遺訓にするあたり、これぞ、伊達男の由来、独眼竜は、やはり、かぶき者です。とはいえ、一国一城の主の遺訓であれば、今吹衆も耳を傾ける値打ちのある言葉だと思います。「浅きも深きも過ぎるなよ」ってことでしょうが、普段から食べ過ぎを指摘される頭領にも、何事でも過ぎてはいけないことぐらい分かってます。

「仁に過ぎれば弱くなる」、これに注目します。優しすぎては、弱くなるんです。右のほほ、打たれたら、左のほほ向けるようにいわれる代々のカトリッカーのお家に育った頭領は、幼い頃から、キリスト教の言う無限の隣人愛は、よいものであるとは感じながら、少々の疑問も持ちました。武道を学ぶ度に強さに裏付けされた優しさに出会い、そこから、離れられなくなったんです。これがお宝で、それを子供達に教えたい、そして、これが、スポチャン道場やってる所以です。

・・・ので、剣道の先生が、子供を足蹴にする映像は、これ以上にないショックでした。ばかな・・・。まさか・・・。言葉が出ません。日本代表の柔道の監督が、相手は子供ではないとはいえ、選手を突き飛ばす映像も、ショックでしたし、あげく団体のコソ泥まがいの横領ニュースも、もう聞くに堪えない。ちょっと前の時津風部屋の事件も・・・、なんかおかしい。頭領は、これのどれとも関係は、ないけど、なんだか、門下の子供達に謝りたくなる。日本武道は、こんなもんじゃないんだ・・・。

やぁ!今吹衆よ、日本武道は、すばらしいものなんだ、俺たちチャンバラーは、大和の魂を教科書としよう。いま日本武道は、なんか狂ってるけど、すぐに完璧に浄化されるに決まってる。このままのはずがないんだ、大和の魂を正当に継承する日本の武道界なんだから!頭領は、そう信じています。

ともかく、今吹衆よ!誠を大切にし、恐れるべきをおそれ、それを男らしい、女らしいと感じて、それをかっこいいと考えて、その強い地盤の上で、本当の情けを実戦する、必要なときに必要な情けを受けた者がその情けを「仁」と呼ぶ。強い地盤がなくては、「情け」は、理解できないし、ましてや、自分のものでない、必要なときに必要な「情け」=「仁」の理解は、もっと難しい!分かるか、今吹衆!

さあ、「強き」を求めないと本当の「情け」は理解できない。なのに、ここの頭領ときたら、強さを与えることが出来ない、だって、頭領が強くないんですもの・・・。強さも情けも説明されたって、理解できるもんじゃない。これは、学ぼうとするな、求めろ、強さも情けも学べるもんじゃない、そして感じろ、自身が強くなったと感じ、優しくなったと感じた時、「仁」を悟るはず、今吹衆!それ以外に「仁」を理解する方法がない。歩みて倦まず!日々鍛錬よ。

今吹衆が優秀であることを願うと同時に日本武道が浄化され、再び武士道に立ち返ることを願ってやまない頭領である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年3月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

ママさん剣豪現る!

シーズン的に小学校の体育館が使えない三月は、近くの公民館会議室を借りての練習になるので、対戦を皆でやることが出来ません。ので、基本動作の練習がじっくりできます。youtubuにアップされてる基本動作の映像を観察してもらってのイメージトレーニング、実は、頭領が半身不随なので、映像に頼るほかないわけです。

そうそう、おもしろい現象がありました。子供達に完成された基本動作を見せたかったのが本音なんですが、映像見ただけで、四人のママさん達の立ち振る舞いが、立派なチャンバラ-に変わってて驚きました。ママさん達は、細かいところが目に入るんですね。細かい足運び、指先の位置、頭領でさえどっちかなっと思うようなこまかい仕草を映像から見抜かれておられました。普段から、子供達の小さな現象から、体調を見抜いたり、食事の取り方から、その日の出来事を推し量るお母さん達と、冬に半袖着てしまった子供にさえ気がつかないお父さん達との違いです。あとは、武道チックにキリッとそれぞれの動きの中で、大げさなくらいメリハリつければ、試合で勝てるところまですぐに届きそうです。このキリッ意外にこっぱずかしい、分かってても自分程度が、そう振る舞うのはおこがましいような気がするんです。スポチャン初めた頃、頭領にも経験あります。ご存じの通り、頭領は照れ屋さんで、とっても恥ずかしがり屋さんなんですもの!

ともかく、自分で自分は、日本一の大剣豪と言い聞かせて、審判には、これ以上美しい基本動作見たことあるか、審判!っと鋭い眼光を投げつければ、基本動作は、もっと美しくなります。しかもうちのママさん達は見た目も美しい、これ結構必要なんです。周囲が味方に付くから。腹の出たおっさんには、なかなか周囲が味方に付いてくれない。あっ、これ、人から、聞いた話です。頭領は、そんな経験したことありません。

さて、ママさん達にもどんどん練習に参加してもらおうっと。子供達の意識も変わります。送り迎えだけなんてもったいない。勿論、遊び半分で結構です。残りの半分がスポチャンならね。

 

 

 

2013年3月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

ハンディースポチャン体験して参りました

 

 

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第4回WA!WA!WA!スポーツフェスティバル IN 東住吉区民ホールでの体験です。ハンディ-スポチャンの他、風船バレーボール、ボッチャ、 車イススラロームなど体験してきました。でもやっぱり、スポチャンがおもしろい。上の写真通り相手のハタをはたき落とすってルールです。マジックテープで止まってました。立位のとれる人は、いわゆる一般ルール。だから立ってる人とやるときは、ハタを防御しつつ、近づいてきたところにアシ~で一本!ってことに・・・、立ってることは不利なんです。おもろ!このルール。

陽炎党 http://nagaikagerou.blogspot.jp/ 土井代表の考案だそうです。土井代表は、電動車いすサッカー誕生にも大きく関わっておられるそうです。すげ~。

頭領の車いすで、やってみるか今吹衆、マジックテープは、研究の余地があるかも知れないが、的確に打つ練習になるかもよ。何より、いろんな人と楽しめる、それ、スポーツチャンバラの極意です。これ、和歌山大会のデモンストレ-ション種目にならないかな。車いす使う人だけのモンにするのもったいない。元気なもん同士でもやれるぜ、これ!名付け子連れオオカミ、車いす介助者と息が合わないと勝てないし、結構奥が深いと思います。「座剣」、「座頭市」につずく修行方法にいれよっと!

 

 

 

 

 

2013年3月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

父ちゃん安心、母ちゃん闘争心

いろんな道場の先生が家族でスポーツチャンバラやっておられるケースは、普通にあります。頭領一家が珍しいわけではないのです。父である頭領には、家族が同じ目標で、同じ土俵に上がることにえも言われぬ安堵を感じる時があります。憶測ですが、一族郎党で一集団だった時代のDNAが家族でいることの安心感を呼ぶんだと思います。一族で戦場に出たり、猟場に出るときの高揚感と安心感を蘇らせる気がします。それを感じると自ずと家族に対する意識も強まります。だから家族で参加する選手の強いことは納得できます。そうして、その選手家族は、やがて先生家族になっていくのです。子育てというか、家族育てには、非常によい影響をスポチャンは与えてくれます。不思議なのが、スポーツチャンバラを家族でやってる場合、不思議とその中心は、経済力を握ってるからか、子供が母親につくからか、とーちゃんでなく、かーちゃんであることが多い気がします。なぜでしょう?とーちゃんは、集団でいることに安心感を覚え、練習中もニコニコ、ニコニコばっかりして強くならないからか、かーちゃんは、かつて、自分も戦いたいのに女である理由から供に戦いに行けなかった我慢のDNAを爆発させて、練習に打ち込むのか、あるいは、戦場に行く家族を見送り、家を護るDNAが、家族をうまくリードするのではないかとなどなど想像して楽しんでます。スポチャンやれば、とーちゃんもかーちゃんも遠い遠い昔の記憶の声を聞くはずです。それは、子供達もいつか聞く声なんです。

いずれにしても、頭領の子供時代には、家族が同じスポーツをやることはマレでした。公園で家族でバトミントンとかしたかな・・・。いやいや、正に公園でやったバトミントン感覚でスポチャンは出来ます。んで、とーちゃんらしさ、かーちゃんらしさをだせば、家族らしさもでてくる。うちは、DaddyとMammyですがね・・・。

今吹衆の基本参加単位は、そんな意味で「家族」となっています。忙しいとーちゃんらは、まだ、誰も来ませんが、もし、おとうさん、家族と一緒にいられないご事情があれば、相談乗ります、なんでも聞きますよ!勿論、聞くだけだけど!・・・でもね、家族で一緒にいることの安堵感を馬鹿にしないで、ほんと感じてみてください。これ以上の安らぎがないんです。血を分けた子供たちと、時を分けた奥さんと同じ目標、同じ土俵、これが絶対条件です。これなくて、その安堵感は得られない。だからいくら信頼できる仲間であっても、いくら好みのキャバ嬢であっても、その部分の安堵感は、条件が足りなくて得られないんです。おとうさん、経験あるんでしょ!えっ、ないって・・・。うそばっかり~かーちゃんらは、ますます勇ましくなっていきます。とーちゃんらもいそがねば!、えっ、だから、うちは、Daddy、Mammyですって!

 

 

 

2013年3月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

つながり文化祭行って参りました。

去年から練習続けてきたつながりの文化祭での基本受打、そして殺陣・・・。いよいよ本番!みんな一緒に練習した基本受打は、今まで最高のできだったと聞きました。殺陣は、途中メンバーがやめたり、変わったりでうまく進めず、残念なこともあったけど色々乗り越えてきた経過を知ってる頭領は十分だと思ってます。でもドキドキだった子のもにこにこだった子もその場にいる皆が喜んでくれれば、それが一番いいこと、きれいな型は、自己満足じゃできないよ、周囲を味方につけて、周りに受け入れてもらって、初めて完成するんだ、だからこの日の君らは、成功なんだ。自分一人で成功なんてあり得ない!それが分かれば、頭領もその場にいなかったけれど大満足です。

さぁ、今吹衆、まだまだ俺たちゃ~、スタート地点だ、冒険は、まだ始まってもいない、もっと楽しもうぉ~ぜ!

2013年3月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

海賊王に俺もなる!

人間、目標もゴールも夢もあって、無茶もすれば、評価もされる。君、何でスポチャンしてるの?楽しいやん!、おもしろいモン!・・・あのね、頭領は、目的を聞いてるんです。なんにつけ、この場面多い気がします。小さい子ならそれもいいんです。小学生がこう答えるとなんだか寂しい気がします。小学生の頃の頭領は、何で、柔道やってるのって人に聞かれたら、お前より強くなりたいからや!、って答えてました。目標は、漠然としながらもあったので、いろんな武道に手を出しました。強くなりたかったから・・・。炎天下にサウナスーツ着込んでストイックに走り続けたのも、人からアホやボケやっと言われながら自分の影が映るブロック塀を鏡代わりにシャドーしてたのも誰より誰より強くなりたかったんです。足腰立たなくなって、地下鉄の階段降りるのに2~30分かかっても、人からやめとけっていわれてもただ強くなりたかった。

だから、ルフィーが「海賊王になる!」って言ってることには、好感が持てます。君は?へぇ~、英語習ってるの、なんで?ふぅ~ん、野球部なんだ、なんで?普通に学校行ってんやろ、なんで?なんで?なんで?・・・まっ、なかなか、目標が聞けない。

楽しいのは分かる、スポチャンは、おもしろかろう、それは、無料体験の段階だ。そろそろ次の段階に上がらないとね。級位審査の時、受審者には、全員目標を聞きます。具体的でも漠然としててもかまいません。何でスポチャンやってるの、海賊王になりたいから! 勿論、問題ありません。

さて、目標を言えない門下は、つまり、師匠である私に問題があると考えます。子供らに見せねばならないものを見せてない、と言うことではないかと思うので、頭領は、今、猛烈に反省しています。特別なことではありません。ブログ更新しながら、よく反省するんです。いつものことです。

目標を持たなくなった子供達は、おもしろいかおもしろくないかだけが判断材料になります。だから、練習がつらいとすぐにやめることを考える、怒られるとすぐに逃げることを考える、こんな体験ばかりしてると、将来かならず負け犬になってしまう。これも反省の一点、、目標も夢もゴールもを見せることが出来ない自分、これも反省の一点、さらにその方法がぴんときてない自分、これも反省の一点

そういえば、この前、本部講習で、大先生がそこに集まってる先生方に段位、資格の受審を進めておられる中で、弟子達は、いずれ、先生達よりうまくなる、その時に先生に段位資格がないのは、弟子達がかわいそうだ、私もそう思います。片麻痺の頭領には、段位取得は無理かも知れないが、いやいや、今吹衆にかわいそうな思いはさせない。師匠が鍛錬する姿は、弟子の希望で、夢で、ゴールだと信じています。片麻痺には片麻痺流のやり方がある!この頭領、自分は、マヒマヒの実を食べた悪魔の実の能力者と思ってるんですから・・・。話がそれた・・・。

今吹衆には、目標も夢もゴールもしっかり見せてあげるよ。目標ない子は続かない、社会に出ても続かない、だからしっかり、夢を見ようぜ、ここで、夢を見る練習もするぞ、そうすれば生まれるぜ、向上心が!向上心、ゆっくり育てような、今吹衆!

 

 

2013年3月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

つながりの文化祭

去年から、練習してきたつながりの文化祭での演武、頭領も楽しみにしてましたが、ごめん!。学校の施設をお借りするための会議が、その日に当たってしまいました。校長からは、頭領でなくても代わりでいい、と言われましたが(代わりでいい程度の会議なら、日にちを変えてくれよなぁ・・・)、なんせ、みんなつながりの文化祭に出てるしな、俺、ちょっと学校にいってくるわ。大丈夫!俺がいなくても、幼年部の基本受打は、完成されてるよ。問題ねえ、ついでに、3月は、小学校は、入学式、卒業式があって、体育館が使えません。練習は、地域の連絡所の二階会議室を貸してくれたぜ、愛徳幼稚園の園長も、応援してくれてる、正に拾う神だ。なぁ、今吹衆!俺たちゃ~、地域に支えられて、サムライスポーツやってんだ、肝に銘じておけ!そんでもって、いつか、この地に恩返しするんだぞ。

 

さぁ、頑張って、つながりの文化祭盛り上げようぜ!もう一回言うけどお前らなら、問題ねぇ!頑張ろうぜ。

2013年3月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

本部講習(近畿地区)に行って参りました

片麻痺の頭領にはちょっと場違いだったかなっと思いながら、基本動作の一挙動、一挙動に新しく得る知識、改めて関心する知識、さらに深まる知識を頂戴しました。大先生、ありがとうございました。スポーツチャンバラが、様々にステップアップの進行形にあり、オリンピックを目指す団体で、その末端にいることをなんだか、誇らしげに思える講習でした。次は、今吹衆幹部(だれ?)も参加してもらい、審判、段位の資格審査も受けてもらおっと!

さて、大先生の言葉の中に印象に残る言葉がありました。「サムライスポーツ」なんだから云々かんぬん・・・っというフレーズをよくお使いでした。このブログでも、実は、怖くて触れてないテーマがあります。「スポーツチャンバラは、スポーツか武道か」・・・。頭領には、スポーツと言ってしまうと寂しい感があり、武道といってしまうとおこがましい感がありまして、勿論これは、私見です。スポーツとして大成しようとなさっておられる先生もいらっしゃるし、武道として精進なさっておられる先生もいらっしゃいます。大先生の「サムライスポーツ」と言う言葉は、実にしっくりきました。広義には、現代武道は、すべてこれに当てはまるカテゴリー名です。・・・でもいいなあ、今吹衆にも、サムライスポーツをやってるって言わせよう、これいいなぁって思いながら、大先生に話し、聞いていてました。勉強になりました。ありがとうございました。

府連の林先生、諸先生方、体の不自由な私に色々と、細かいお心遣い、ありがとうございました。大先生も不思議な味の飴、ありがとうございました。

さぁ!うちも、今月は、級位審査実施じゃ。基本動作、みっちりやろうぜ、今吹衆!

2013年3月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

今吹八風!

今吹衆には、八つの風の名を持つ技があります。技の名前だけ羅列してみます。

鎌風、だいば風、山谷風、山おろし、浪風、疾風、旋風、難風・・・、これは、頭領が先生から教わったことや、各道場の猛者の技を見て盗んできたものなんですが、いろんな道場に出稽古行くにあたって、このままでは、通じないと感じる技も出てきました。ので、今吹八風は、風のように自由に変化します。前にも言ったようにこれらは、基本形としてほしい型ですが、スポーツチャンバラが、自由である以上、これに学ぶ今吹衆もまた、自由に吹き渡る風です。今吹八風も、頭領と、同じ体格、同じ筋力であれば、それなりに使える技になりますが、今吹衆の誰も、頭領とは違う体型で、違う筋力であれば、今吹八風は、参考書に過ぎません。参考書も、学者の発見、歴史の流れで書き換えられます。ので、八風も、時に書き換えられます。一風を極めてもいい、組み合わせて、新しい得意技を作ってもいい、もっかい言うけど八風は、あくまで参考な!そろそろ幼年部にも教えようかな?

さて、変える必要があるのは、鎌風だ。低さに特徴のある技だけど、いまのスポチャンのスピードには、ついて行けない、実戦を意識しすぎなのと、相当に脚力がないとこの技は成立しません。ちょっと、君らには、難しかったかな?鎌風を使おうとして、面を割られる様なので、これではダメだって思いました。低さにスピードが伴えば、いい技なんだが・・・、ダメだ、今吹衆が勝てない。以後は、足うちのすくいと扇打ちの連続技に変化させていこう。

よっしゃ、今吹衆幼年部!八風については、おいおいやっていこうな。ともかくつながりの文化祭、基本受打しっかりやろうぜ!

 

2013年2月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima

武心館に行って参りました

武心館に行って参りました。武心の長谷川先生と植田先生と言えば、頭領が初めてスポチャン修行した東大阪道場で、先に話した、こだわりのきっついおっさんとおばはんの一人でした。長谷川先生とは、大阪大会でもお会いしましたが、植田先生とは、ほんと久しぶり!6年ぶりくらいでしょうか。そういゃぁ~、長手さんとも久しぶりに東大阪クラブで会いました。ハルも元気かな?それにしても植田先生、相変わらずの電光石火の面打ち、ユウゴを放りだして植田先生とスポチャンやりたい気分をぐっと押さえて、見学させていただきました。武心も、基本動作には、熱心な指導が飛ぶ道場でした。長谷川先生、ユウゴにダメ出しの嵐、こやつも、紛うことなく、この頭領の血筋、基本動作より、しばき合いを好む傾向にあります。早いうちに矯正せねば・・・。

来週、武心館では、昇級審査があるそうで、基本動作には、皆、熱の入る様子、武心の子達は、基本動作の流れがいいんです。一つ一つの技の合間に小太刀を正眼に構え直す姿に不自然さがない。基本動作の一つ一つに筋があるんです。つまり、基本の動作一つ一つににこの道場流のセオリーが存在するんですね。門下は、そのセオリーを理解した上で姿勢を保つので、形が統一されてます。これは、今の今吹衆では、とてもまねできないな。姿形のきれいは真似したくなるけど、セオリーは、真似できるものじゃないし、道場セオリーなら教えてもらうワケにもいかない。あかん、まずは、頭領自身がしっかり基本動作を学ばねば、対戦に近い基本動作セオリーでは、今はダメなんだな、昔はそれでよかったのに・・・。困ったな、どっしよかなぁ~、よし!ママさん部と安田会長に頼ろう!。つまらん先生持った今吹衆の門下が不憫だな~。よし、必殺、神頼みだ!しかし、どうせ祈るなら、すてる神より、拾う神。相撲取るならあの方のフンドシ、功名取るならこの先生の刀、これぞ頭領の得意技、いいものは、どっからでも、どんな形でもすくい取れ、なっ、今吹衆!

さぁ~て、対戦だ、おっ、長巻使ってるぞ、異種だ、異種!おもしれ~、やっぱ、こうじゃないとな~、相手の得物がなんであっても対抗できないとな・・・。いい練習だ。大賛成だ。・・・あれ?でも、この先生にして門下が、電光石火の面打ちを使わねぇ、あぁ、あれ、きっと武心の隠し技なんだな・・・。それにしても両先生の特徴が子供達にでねぇな。植田先生も長谷川先生もご自身がお持ちの技は、門下に継承されていないのかな?あぁ、きっと武心の奥義にされているんだな。そだ、そだ・・・。

いえいえ、違いました。自由がスポチャン醍醐味です。皆、好きにやればいい、そう言うことか!変わってねえな、長谷川も植田先輩も・・・。そういや~、昔っから、二人とも師匠の話きくのいやがってたもんな~。

武心の先生方とは、練習もいいけど、一杯飲みながらスポチャン談義してぇな、まぁ今日のところは、紀ノ國に帰りまっさ。

とにもかくにもユウゴ、ユウマ、ナオト、それと、ナオトママさん、おっつかれ様でした~!

それと、植田先生、キオツケの話、おもしろかったです。長谷川先生、これから、今吹衆も基本動作に力を入れますので、また、出稽古行かせてください。ありがとうございました。

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2013年2月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : humishiotakashima